表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
α CMa  作者: 嘘吐き
5/6

5


 崖を登りきると、そこは水溜まりだった。

 ただし果てしなく延々と続く、まるで大海の如き。


 浅い水面は夜空を映し、どちらが天地か、混乱させるほどに美しい。

 キサラは神域の壮観にため息をつきながらも、違和感があった。


 動物や虫の鳴き声、気配が一切無い。

 大自然の姿をしながらも、神域とはその実、生物などいない静寂の世界だった。


 不安になったキサラが、獣毛をきつく握ると、獣は脚を止めて少年を背から降ろした。


『どうした。何を恐れている』


「……どうして僕を喰ったの?」


 獣は唸り、どこか気まずそうに顔を背ける。

 キサラは鼻先を掴み、自らの方を向かせた。獣が呟くように答える。


『俺は長いこと餓えていた』


「うん」


『腹が減るわけでもなし、何に餓えたのかは知らない。だがあの英知の炎を喰らい、少し理解した。自らの在り方というものを』


「在り方……。いやそもそも、どうして英知の炎を喰った?」


 獣は腰を落とし、少年に鼻先を近付ける。

 獣の生暖かい吐息は、いやに生臭いが、キサラは慣れたものか、離れたりはしなかった。


『火を喰えば、ひとまず生きるに足る知恵を得ると、俺を解放した奴に言われた』


「ウッコ神に?」


『いいや“凍った黒薔薇”という者だ。自らの火に苛まれる俺を哀れだと言って、封印を解いた』


 恐らくは、神の名だろう。

 何を思い、忌々しい化物を解放したか。今は知るすべもない。


 

『俺は望まれない存在だ。教会も神もどんな人間も、俺を恐れ彼方に追いやる。

しかし、俺が何をしたというのだろうかな。いっそ殺してくれさえすればいいが、それも叶わん』


「罪悪が欲しくて、僕を喰ったんだ」


『それもある。お前が俺を許さないのは承知の上で、死をくれるならばそれでいい。

だが不思議と、お前といると餓えない』


 獣のいう“餓え”というものはよくわからないでいたが、キサラはどこか自分と共通する部分を見つけた。


「葦弥騨の民を知っている?とても古い民で、教会より昔からある」


『一般的な知識としては。お前自身も含むな』


「葦弥騨は昔、大きな戦争の原因になることをしたんだ。

ベリオールっていう、信仰心の深い民も巻き込んで、最後には聖ゲオルギオスに伏されて縮小したんだって。

葦弥騨は、未だに他の民族から嫌われてる……今の王様の慈悲があるからいいけど」


『なるほどつまり、お前の家族は人質か』


 葦弥騨の文化解明交流など、所詮は表向き。

 実際には葦弥騨法務を仕切る一家の分家を国が人質にとり、歯向かわぬよう監視し、その力を削ぎ落としていく。


 教会はその間に入り、森の管理をさせると同時、外界とほとんど切り離して、キサラたちの行き場を失くした。


「葦弥騨って、わかる?“悪しき野に追われる堕した民”っていう意味なんだよ。本来の民の名前は、なくなっちゃったんだ」


 獣の首元の毛を掴み、キサラは震える声を絞り出す。


「世界は……僕たちに優しくないよねぇ……」


 

 キサラの涙を舐め取った獣は、再び少年を背に乗せ歩く。


「ねえ、ええと、ウリディシム?」


『それは魔女どもが勝手につけた名だ。やめてくれ』


「じゃあ、なんて呼べばいい?」


『お前の好きなように呼べばいい。名とは存在。お前のつけた名を、俺は受け入れたい』


 キサラは唸り、しばし考えた。ただの野良犬につけるのとは違うのだ。


「えっと、天狗てんこう……流れ落ちる星を指すことばなんだけど」


 名をつけられた獣は、とても嬉しそうに鳴いた。尻尾を振り、上機嫌に歩く。


『天狗か、いいぞ、気に入った』


 天翔る姿そのままに。遠吠えは星の墜落の轟音のように。黒い獣毛に映える青い眼は、眩く煌めく青星。


「ねえ、天狗はどうして、僕のそばに……ううん、味方になるの?喰ったから?罪悪感?」


 宗主も神も魔女も、キサラを利用しようとするばかり。そんな中で、天狗だけは、キサラのそばにいた。


『そうだな、それもあるが……。強いて言うなら、お前が好きだからだ』


「……えっ?」


 脈絡のない好意の示しに、キサラは動揺した。慌てて意味のないことをまくし立てる。


「あ、いやなんていうかその……無し無し!今の無しっ」


『……』


 やつ当りぎみに天狗の背を叩く。獣は不満げに唸り、しかし文句は言わなかった。


 

 つと、何もない虚空より、黄色い羽が落ちてきた。

 キサラの掌に収まってしまうほどに小さな羽は、雨足が強まるように、その数を増やす。


 異変に気づいた天狗が走りだす。されどもそれに逃れうる者などいない。


 世界が黄金に染まる。否、前も見えないほどの金糸雀かなりあの大群。

 襲われることはないが、圧倒的な物量に、キサラたちは恐慌を起こす。


「なっなにこれっ!」


 天狗は吠え立て、蒼い火を吐く。それでも金糸雀は燃えず、いっこうにその数を増やすばかりだった。






 キサラは緋色の空間で、荒野に立っていた。椅子に座っていた。

 対面に誰かが座っていた。白髪の艶やかな男が座っていた。折れた角をキサラに渡した。キサラは拒否した。男は深紅の眼を光らせ、角をキサラの心臓に突き立てた。


 心臓は血を流し続けた。周りの葦弥騨の民は皆、角を刺されていた。痛々しいが、誰にも抜けなかった。


 けれどもキサラの心臓は、獣が食べた。血がとまり、獣の心臓を共有した。






「……うう」


 ひどく頭が痛む。おまけに寒い。

 苦労して起き上がると、そこは雪原だった。しかも少し吹雪いている。


 キサラは運良く、小高い丘にいた。周囲を見渡せば雪山で、かなりの斜面があった。


「天狗ー!天狗、どこぉー?」


『喚く元気はあるようだな』


 厳格な印象を与える、低い男の声。

 声の方を向くと、そこには白い大きなペリカンがいた。


 

 キサラは怪訝な顔で、鵜に近づく。


「ええと、貴方は……神様?」


『そう呼ぶ者もいるな。貴様が裁定者の覚醒に巻き込まれていたが故に保護したが……貴様はこの地で何をしている』


 滑稽な見た目で、ふてぶてしい発言をする鵜に、キサラは少し可愛いなと思った。

 気を取り直し、お礼を言ってから、自らの身に起きた説明をする。


『なるほど、確かに我らの不手際、謝罪しよう』


「で、ええと……天狗、獣を見ていませんか?」


 鵜は長い嘴で彼方を示す。


『あすこにて暴走し、手がつけられないでいた。ついて来い』




 丘を下り、狭い洞窟に入る。雪を払いながら進むと、奥に天狗がいた。


 だが無残にも、自らの陰火に焼かれ、身を悶えさせている。


「天狗!」


 キサラは思わず飛び出し、素手で蒼い火に触れ、払った。

 青白い炎は刺すように冷たく、手は見る間に凍傷を負う。


『……ッ!キサ、ラ……やめろ、俺から離れろ!』


「嫌!やだっ!」


 恐らくは混乱の末、金糸雀に吐いた火が燃え移ったのだろう。

 天狗は死ぬこともできず、痛みに苛まれるばかりだった。


 そんな哀れな存在を見捨てたくはない。それにキサラを殺したとはいえ、天狗は唯一の味方だった。

 好意を向けた者を無碍にするほど、キサラは冷酷ではない。


 しかしこのままでは、キサラは無事では済まない。天狗はもがき、地を蹴って走る。


「待っ……天狗!」


 少年の悲願に応じたか、鵜が獣の尾をくわえて止めた。

 鵜がさらに口を大きく開くと、陰火は鵜の喉袋に吸い込まれていった。


『勝手に動くな』


「あ、ありがとう、ございます……」


 

 神の力を見たキサラは、下手に逆らってはならないと感じた。


『冷静になったか』


「はい……」


 天狗をなんとかなだめ、キサラはその場に座った。獣の毛が暖かく、無意識に擦り寄る。


「あの、貴方は天狗を昇華する方法を知っていますか?」


『昇華しろ、とは……まさか教会のあの男が言ったのか』


「宗主のことでしたら、そうです」


 鵜はしばし黙り、金の眼で獣を見た。


『“満たされる紅の杯”の力……そして“緋に侵食する荒野”の欠片……。

そうだな、裁定者にこちらから願い上げよう』


「裁定者……?」


『我らを統率し、神域を形づくる者。今、この雪山も裁定者の夢だ』


 いわく、裁定者が眠り、夢を見るごとに神域は変化していく。

 あの金糸雀の大群は、裁定者が目覚め、また眠る時、世界の更新が行われていたという証。


 神域を形づくるということは、現世をも変化させることを指す。

 餓えた獣を世界に還すには、裁定者に獣の存在を根本から変えてもらう他ない。


「その裁定者は、どこにいるんですかっ?」


 ようやく希望が見えた。だが色めき立つキサラを遮るように、天狗は唸る。


『待て、悪いが気が変わった』


「え……」


『その裁定者、キサラを俺から切り離すことも、俺を殺すことも容易なわけだ』


 天狗が発した言葉に、キサラは驚き、呼吸が止まった。


『ならば、力の塊である俺は、神になることも可能なはずだ』


 当然ながら、鵜は怒りに鳴いた。


『貴様、生半可な知識を得て世界を知ったつもりか!

はした力如きが、我らと同等であると思うな』


 神の怒りを買っても、天狗は諦めなかった。強固な意思に、キサラは圧倒されるばかりだ。


 

『ならば俺はなんだ?世界に除け者にされるならばまだしも、自由意思を持つことすら叶わないというのか!』


「天狗っ、どうしたんだ急に……」


『俺は実に脆弱だ。俺自身だけでなく、小さな子ども一人守れない』


『その子ども害したのは貴様だろう』


 獣は臨戦態勢に入った。腰を低くし、牙をむく。


『俺はキサラを守らねばならない。世の悪意から、人の差別から。それはいずれ、俺の餓えを満たすだろう』


 キサラは獣の想いを汲み取り、涙を滲ませた。誰も省みない自身を、同じく忌み嫌われた化物だけが愛してくれた。


 憎悪よりも情が勝り、キサラは矛盾する内心に混乱する。

 どちらを優先すればいいのか。家族も天狗も、今や双方失いたくない。


『そうか……ならば』


 鵜が本来の姿を見せた。

 三重の光輪を戴く、全身を鋼鉄鎧に包んだ騎士。

 騎士は腰の長剣を抜き、天狗に向けた。


『貴様の動きを止め、裁定者の元まで連れて行く。後に然るべき処置をとり、世界に秩序を取り戻す』


 動きは天狗が早かった。爪と牙を剥いて飛びかかり、巨体を活かして圧倒する。


 その物量と、野性的な猛攻は剣では捌けず、騎士は洞窟の外まで後退する。


 洞窟内ではキサラを巻き込みかねないため、ようやく蒼い炎を騎士に向けて吐いた。

 しかしその行為は、大きな間違いだった。


『――貴様、我輩の化身が火を飲んだことを見なかったのか?』


 騎士の剣が、赤い火を纏う。軽く凪げば、陰火は見る間に赤く染まり、騎士の動作に従う。


『我輩は文明の火を司る。蝋燭のようにか弱い種火であったな』


 

 不利を悟った天狗は、高らかに遠吠えをした。

 雪山に響く叫びに、宵に煌めく青星が反応し、より一層輝きを増した。


 凄まじい轟音と共に、一筋の閃光が夜空を裂く。

 青白い光が地表に降り、地面を砕く。


 雪山は崩落し、雪崩を起こした。

 天狗はキサラを背に、破砕した岩場を蹴って態勢を整える。


「てっ天狗!今のはなに?まるで星が降ったような、あの力は!」


『お前が与えた名だ。名は存在、名は生命。俺はその名を持って、新しい力を得た』


 とんでもないことをしてしまった、とキサラはぞっとした。

 山を崩壊させるほどの力を持つ化物を、この先どう扱えばよいのか。


 騎士は光輪から三対の光翼を展開し、飛行することで崩落に巻き込まれずに済んだ。

 そして神域を破壊するほどの威力を見て、キサラ以上に危険視した。


『力の制御ができていないのか……?まずいな』


 騎士は光翼の速度を上げ、炎纏う剣を構える。次の流星が来る前に、なんとしても一撃を与えねば。


 その目論見を当然、天狗は理解しており、再びの遠吠え。


 明けが近いのか、空が白んでも青星はまばゆい光を放つ。


「天狗、だめだこんなのっ!争って得られるものはないよ!」


『たとえ俺が何も得なくとも、俺はお前を守りたいんだ』


 青白い光線が降る直前、暁において最も輝く金星が、さらに白熱した。


 ぱしん、と軽い音が立ち、あとは静寂のみ。


『鎮まりなさい。不毛ですよ』


 舞い降りたのは、一羽の小さな翡翠かわせみだった。


『貴方はわたしの金星と同じような力を持つようですね』


 騎士は光翼を仕舞い、雪原に着地。翡翠の名を呼んだ。


『“金星の裁き”で相殺したのか――“翡翠ひすいすすぎ”』


 

 翡翠はすぐに本来の姿を顕した。蛇を体中に這わせた、しかし美しい姿の神だった。

 警戒する獣に微笑み、両手を広げてゆっくりと近づく。


『大丈夫ですよ。わたしは貴方がたを害する気はありません。今の攻撃は危険であったため、わたしの力で無効化しただけです』


 慈父のような穏やかな声音と、優しい言葉に、天狗は安心して腰を下ろした。キサラも、蛇神は危険ではない気がした。


『大変な目にあいましたね。触れても?』


 キサラが蛇を怖がっていることを察してか、神は纏う蛇らを背に隠した。

 白く冷たい両手が、キサラの頬を壊れものを扱うように触れる。

 見る間に顔や手の凍傷が癒えて、元通りの健康な肌になった。


「ありがとうございます。あの、貴方は……」


 名を聞こうとしたが、蛇神の興味は天狗の方に移っていた。


 白い手が、獣の首や耳の後ろを撫でる度に、天狗は嬉しそうに鼻を鳴らし、尾を振る。もっと撫でろとばかりに首を押し付ける。


「……天狗」


 呆れて名を呼ぶと、天狗は弾かれたように頭を振り、キサラに鼻先をくっつける。


『それで、何用だ“翡翠の雪ぎ”まさか犬を愛でにきたわけでもあるまい』


 化身に戻った鵜が、不服そうに促す。蛇神は胸に手を当て、諭す。


『貴方の怒りも解りますが、わたしの金星とほぼ同様の力は、むしろ裁定者の管理下に置くべきです』


 鵜は逡巡し、一理ある、とこぼした。


『それに見てください。この子は一度死の淵にいったことにより、あの者の呪縛から解き放たれています』


 蛇神は優しく、キサラの頭を撫でた。

 他人からの接触を嫌う葦弥騨人だが、不思議と安心した。


『餓えた獣、貴方は我らと同じものになり、その力をもって、この子を人に戻してあげなさい』


 

 それを聞いて、キサラはようやく天狗の意図が解った。


 神になれば、キサラを人に戻し、教会や魔女どもから追われて害されることもない。

 天狗がこの哀れな存在のまま消滅するよりは、その方がずっといい。


 蛇神は、獣の顎を取り、語りかける。


『わたしから貴方に、名を授けましょう。

ショロトル――偉大なる星と炎、愚行を犯さぬよう戒めを』


 蛇神は名前でもって、天狗の強力すぎる力を縛りつけた。しばし獣の手綱は、かの神が握ったと言える。


 満足げに背を向け、翡翠となった神を、鵜が引きとめる。


『この者らを導くのではないのか』


『それは裁定者守護役である貴方に任せます。わたしはひとつ、思いついたことがあるので』


『思いつき?また妙な兵器でも造る気か』


『いいえ。ショロトルはどうやら、あの子の意識を受け入れて、同質化している様子……。

人が我らの意識を受け入れてようやく、現世に介入できますが、それはまだ不可能。ですがショロトルと同様のことならば、わたしにならできそうです』


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ