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α CMa  作者: 嘘吐き
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2

 こんな状況でも楽しげに笑う男に、キサラは返事ができない。


 男が木枝を集め、火を点す。

 炎の暖かさに安堵し、キサラはもう一度、男を見た。


「あの、貴方は……」


 何者か、と問い掛けたことを、キサラは後悔した。


 男の胸に光る、白金の聖印。

 問う必要もない。それを身につけることができるのは、この世においてただ一人。


 教会の長。宗主である証。


「そ、宗主……」


「うむ。宗主様とか、偉大なる宗主御大とか、素晴らしい教会指導者さまとか、好きに呼ぶがよい」


「……宗主、あの、僕はどうなる、でしょうか。それに……家族は」


「この餓鬼め……。汝の処遇は、追い追い決めよう。家族は全員無事だ。安心せい」


 精神が崩壊した、姉の話はしなかった。

 キサラはひどく安堵し、涙目で感謝を述べた。


「まあ、あれだ。汝にはしばらく、ここにいてもらう」


 宗主は黒パンや干し肉。水をキサラに渡した。


 それらを見たキサラは空腹と、喉の乾きを覚え、口にした。


 人間に会えたことと、家族の無事の確認が、キサラの生きるための欲を蘇らせた。


「食いながら聞け。その獣のことだ」


 キサラが頷くと、宗主は語り始めた。


「その獣は、教会が発足したばかりの頃にできたものだ。餓えた獣――魔女らはウリディシムと呼んでいる」



 

 キサラが食事を終えたことを確認すると、宗主は着替えを寄越した。


 下着も含めた簡素な衣服は、確かにありがたいが、キサラはおずおずと宗主を見る。


 話を進めたい宗主はしばらく待ったが、服を手に動かないキサラを見て、ようやく気付いた。


「……ああ、肌を見られるのを厭うのか。面倒な」


 車椅子を動かし、宗主は背を向ける。


 キサラは葦弥騨あしやだと呼ばれる古い民だ。

 白い髪に、白い肌、黒い瞳。他民族に比べて、圧倒的に小柄な体躯と、若々しい見目を特徴とする。


 特殊な方言と文化を持ち、その解明と交流のために、キサラの家族は故郷を離れて、教会に入っている。


 葦弥騨の民は貞節に厳しく、男女の差なく、婚前の若者は肌の露出を嫌がる。


「――終わりました」


 乱れた白髪を整え、キサラは深く礼をした。


 やたら礼儀正しく、物静かであるのも、葦弥騨人の特徴だ。


 宗主は振り向き、改めてキサラの様子を確認した。


「外傷は無いようだな」


「はい、ないです」


 だがキサラが先ほどまで着ていた法衣は、血に染まり、大きく裂けていた。


 宗主は裂けた布地を撫でた。


 もしもこの傷を負ったならば、キサラは確実に死んでいる。


 それでもキサラは、無傷で生きていた。

 そして獣が、やたらとキサラに纏わり付く様子。


「餓えた獣。汝、あの英知の炎を喰ったろう」


 

 獣は宗主に耳を向けるのみで、首を巡らせようとはしない。


 それでも構わず、宗主は続けた。


「あの火はあらゆる知識の集合体。実験に過ぎなかったが……獣よ、実は言葉がわかるだろう」


 肯定の意か、獣が尾を一度だけ振る。


 犬の口は、人の言葉を話すには向かない。

 そのため喋ることは無かったが、キサラたちの話していることは理解していた。


「……生意気な獣よ」


 話を戻そうとキサラの方を見れば、少年は正座したまま、こくりこくりと船を漕いでいる。


 宗主は密かに、催眠効果のある香を焚いていた。それが効いたらしい。


 衝撃的な事件ばかりで、ろくに睡眠も取れないのでは、今後に支障が出る。思春期の青少年を、やたら刺激してはならない。


「もうよい、眠れ。吾は此処にいてやる」


 毛布を投げつける。


 キサラは獣や周囲を拒絶するように毛布に包まり、寝息を立てた。


 獣は寂しげに鳴き、毛布に鼻を押し付けるが、諦めてキサラの隣に伏せた。







 宗主が夜空を見上げると、闇夜には星が瞬いていた。


 その内でも、一際輝く青い星があった。

 青き星は、獣と少年を照らし続ける。


 宗主は――男は、青星に手を伸ばし、まるで胡桃の殻を砕くかの如く、握り締めた。



 

 湿った空気が、肌に纏わり付く。

 濡れた土と草と、けだものの匂いが、キサラの鼻を刺激する。


「……ふ」


 獣がキサラの顔をしきりに舐め、起きろと催促する。キサラはそれを手で払い、獣の唾液を拭いつ起き上がった。


「ふはああ……」


 みっともない欠伸が見られぬよう、毛布で顔を隠す。本当は顔を洗いたいが、贅沢は言えない。


 何せ此処は、人知を越えた神秘の森。化け物と神とが、やすやすと実在してしまうのだから。


「挨拶は無しか?」


 約束通り、宗主はいた。

 小刀で山桃の皮を剥き、種をくり抜いていた。


「……おはよう、ございます」


「本日もよしなに。食え」


 木の器に盛られた山桃が、キサラに渡される。

 几帳面に切り分けられた果実に、宗主の人となりが見れた。


「……あ、りがと、ございます」


 口の端から果汁が零れる度、獣がそれを舐める。

 その行為を止めさせるのに、キサラは苦労した。


「や、舐めないでってばあ」


「くうん」


 今にも食われそうなキサラだが、獣はそんなそぶりは見せない。


 狼は本来、群れを成す。格下の者に、ああいった行動はしない。


「……つがいか。ははは、気持ち悪い」



 

 キサラが食事を終えると、ようやくこの事件に関する話が始まった。


「というか、キサラ。お前はこちらの言語がわからぬだろう」


「あ……はい。ごめんなさい」


 話し方がやたらたどたどしいのは、そのためだ。


 葦弥騨の方言はかなり特殊で、文字と言語の統一を推進する教会は、故にキサラたちと交流していたのだ。


 それでも子供ながらに、会話を成せていた方だ。

 宗主は怒ることはせず、むしろ褒める。そして葦弥騨の言葉に切り替えた。


「あー……久々に使うな。おかしい箇所があったら言え」


「いえ、完璧です。さすがですね」


 褒められ、宗主はふふん、と鼻を鳴らした。意外と単純らしい。


「それで宗主……餓えた獣とは、何です?僕はいつ、家族と会えるのでしょう」


 少年の切実な願いに、宗主は残酷な答えを寄越した。


「なあ、驚いて泣くなよ――汝は、獣の牙を心臓にたてられ、死んでいた」


「……生きていますよ、僕は」


「では何故、傷ひとつなく、吾と話している?」


 その答えを、キサラは出せなかった。まさか物語りに出てくるような、幽霊にでもなってしまったのか。


 宗主は柘榴石の指輪を外し、地面に投げた。

 柘榴石はたちまち犬の姿を形作り、従順に宗主の足元に座る。


「真実を表す石に、汝の血を探らせたが、堂々巡りでな。別の手で、こうして見つけたが……」



 

 柘榴石の犬を仕舞い、宗主は続ける。


「どうも汝は、人でありつつも、人ではないようだ。

それが判明するまで、この森からは出せぬ」


「そんな……どうかご慈悲を!」


「ならぬ。獣は汝以外に危害を加える。家族を死なせたくなければ、吾の言葉に従え」


 容赦のない命令に、キサラは毛布を手に泣いた。

 それを慰めるように、獣が鼻先を寄せるが、キサラはさらに毛布に顔を埋める。


 泣くなと言ったに、と宗主が苦々しい表情をしていると、ふいに老いた声が降る。


『あ、泣かせたの。無垢な子を泣かせたの』


「“成就した藍"!よりにもよって汝か!」


 飛んで来た鴨を見て、宗主は嘆息し、キサラは希望を見出だす。


「ウッコ神!」


『可哀相に、いじめられたのかい。おーよしよし』


 ウッコは着ている外衣の袖で、キサラの涙を拭いてやる。


「ウッコ神……お願いです、どうか、家族と会わせて下さい」


 老人はうんうんと頷いたが、宗主が待ったをかける。


「ウッコ、汝だろう。獣の封印解除の助力をしたのは」


 え、とキサラはウッコから離れる。なんだこの状況は。頼れる味方というものが、誰もいない。


「こやつは“成就した藍"――雷、天空、呪文、願いを司る。

ゆえに善悪の区別無く、全ての願いを叶える、いわば最高の偽善者だ」



 

「偽善者とは失礼な。おぬしも見方によっては、偽善者じゃよ」


 神に対し、それを崇めるはずの教会宗主は、とんでもない暴言を吐いていた。


 睨み合う二人を、キサラは止めた。争う場面ではない。


「どうか鎮まりください。僕に指針を賜りくださるのでは、ないのですか」


 神と崇拝者はひとしきり睨み合うた後、ふん、と顔を背けた。


「なれば今は静観せよ。それが吾の願いだ」


『ま、いいかの』


 キサラの願いを打ち捨て、ウッコは新しい願いを叶えた。

 想いなど無視し、機械的に願いを叶え続ける。その姿は確かに、偽善的ですらある。


 故にウッコは、封印を解除した者を助けてしまったし、今もやたらと願い叶えようとする。


 ある意味危険な存在だと、キサラは感じた。


『すまんの。まだ家族には会わせられぬ』


「そんな……」


『それより、他の者から知恵を借りたところ、とんでもないことが判明しての』


 言うべきか迷うウッコを、宗主が促す。今さら、これ以上に衝撃的なことなど、あるものか。


『坊やは獣に喰われた。獣は、坊やの身体を自らの力で再構築し、霊質を共有させているのじゃよ』


「なるほど故に、獣は小僧から離れたがらない」


「一定距離を離れるとの、坊やの身体は保てなくなり、死んでしまう」


 死という単語に、キサラはひどく衝撃を受け、一拍置いてから全身が震えあがる。



 

「この状況は、終ぞ見たことがない。契約者とも違うようだ……」


『あまりに一方的じゃの。精神波長が合っても、こうはいかぬ』


「うむ。これを“神憑き"と呼ぶか。今度試そうぞ」


 ウッコの鹿がキサラを連れ去った時、キサラはひどい動悸に襲われた。


 それが獣と離れたことによる死の兆候ならば、キサラは呆気なく死んでしまうに違いない。


「そ、そんな……どうして、どうして僕が!」


 混乱に喚くキサラを、獣が慰めるように鼻先を寄せる。


 獣の顔面を叩き、この時初めて、キサラは獣に怒りを向けた。


「お前のせいだっ!何もかも全て!お前がいなければ、こんな事には……!」


 獣は許しを請うように切なげに鳴くが、少年はそれを否定し、なにもかもを拒む。


「宗主もウッコ神も、何の救いにもならない!何が神だっ、僕らはこんなものを崇め奉っていたのかっ」


 言い切ってから、自分がとんでもない発言をしたとキサラは気づき、青ざめた。


 教会最高指導者と、信仰すべき神に盾突いた。

 宗主は怒りはしなかったが、無表情でキサラを見ている。


 それがかえって恐ろしい。

 自分たち一家が、教会に従属していることを思い出したキサラは、その場から脱兎の如く逃げた。


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