銀閃の鬼神に百合の花束を
「……ふぅ。今回も私は生き残れたんだな」
暗くなった町並みの中にある、私の家の前に着いてからそう呟いた。
窓から見える中の様子は暗く闇色。いつもの光景だ。
私は帝国陸軍第一師団大隊長。簡単に言えば軍隊のそこそこ偉い役割を勤めている。
そして今回の私の仕事と言えば、このグランレスト帝国の近くにある峡谷に突如として現れた大鬼・オーガの群れの討伐。そこで指揮官、及び前線に出て兵士達の士気を上げるのが私の与えられた使命だった。
結果から言えば今回の任務も無事成功。被害も大した事はなく、負傷者はチラホラ出たものの死亡者を出すことは無かった。
また、研究素材として大鬼・オーガの角等の戦利品も持ち帰る事ができ、大成功と言っても過言ではないだろう。
そうして私は、私の家に五体満足で帰ってこれた。それだけで私は幸せなのだろう。
触れればツンとした冷たさを孕む取っ手を回す。
ガチャ、と鳴って奥へ開いて中へ入る。
「……ただいま」
そう、呟く。家の中は真っ暗なのだから、返事が返ってくることはない。
「おかえり。アーシャ」
返ってくることは、ないと、思ったんだけどな。
暗い家の中で、私の呟きを返す凛とした声。
目を凝らせば柔和な笑みを浮かべる私と同じぐらいの背丈の少女。ノノ。
「ノノ。どうしたの?」
「使いの人がアーシャは今日帰ってくる予定だって言ってたから、会えるのが楽しみで寝てられなくって。お仕事お疲れ様」
「うん──って、ちょ、ノノ?」
呆然としている私に、ノノは飛び込むようにして私の胸に飛び込んできた。
長い黒髪がフワッと舞い、一緒に漂う甘い香り。
「ふふふ、アーシャの匂い、やっぱり落ち着くなぁ」
上目遣いでそう言うノノは蠱惑的で、私の理性と言う理性を刈り取りそうになる。
だって私はノノの事が──
「あ、そうだ。疲れてると思ったからお風呂沸かしておいたよ!」
「え──ああ、ありがとう。入らせてもらうよ」
抱き締め返そうとしたところでノノはサッと離れてはにかみながら提案してきた。
お風呂も普通の家には存在せず、体の清潔を保つなら魔法・キュアーの副次効果でどうとでもなる。つまりお風呂は娯楽であり、これも私が帝国陸軍第一師団大隊長と言う肩書きのおかげなのだ。
ちなみに私の家にメイドや執事は居ない。
いや、本来は居るのが普通の待遇なのだが、私としては気心の知れない人を近くに置く事よりも、気心の知れたノノと二人で居る方が数倍嬉しく思う。
それに、折角仕事から帰ってきた自分の家でも安らげないと言うのは、やはり精神的にも問題があると思っている。
だからこそ私は、ごく普通の家に疲れを癒す為のお風呂だけを付けた家を大隊長特権と言う事で与り、ノノとの二人暮らしを楽しんでいるのだ。
「じゃあ連れてってあげる」
「へ? って、うひゃぁっ!?」
ノノは私を軽々と持ち上げた。お姫様抱っこと言う奴だ。
今、私の目の前にはノノの凛とした、それでいて優しげな顔と、私の胸とは比べるのもおこがましいほどのおっぱいがある。
しかもスキップ気味に歩くものだから、むさ苦しい男共が大半を占める私の隊、戦乙女の騎行でよく見たガチムチとした胸とは違う景色が見れて、これが眼福と言う奴なのかと理解した。
あ、言っておくが私の隊、戦乙女の騎行と言うのはいつの間にかそう呼ばれているだけで、私が名付けた訳ではない。
更に言えば戦乙女が私の事を指しているのでも無いらしい。
では、私の事をどんな呼び名で指し示しているのかと言うと、銀閃の鬼神である。
銀閃の鬼神。
それは、目をつぶれば最後。
それは、まばたきをすれば刹那の銀。
それを行うは、鬼神のごとき狼の少女。
そんな物騒な名前だが、グランレスト帝国が他国に攻められないようにするための牽制の意味も成している為に、私の一存で無下に扱うことは出来ないのだ。
そうして気付けば私の体はすっぽんぽん。私の青いショートヘアーから覗く少し尖った耳と、お尻の付け根にある砂埃で汚れた尻尾。
ノノとは違って貧相で悲しくなってくるほどに平らな胸や、剣を振るう為に鍛えた為に、年頃の少女よりもしっかりとした手足がノノの手によって露になっていた。
「ほら、座って座って」
「ん、ありがと」
お風呂場には濡れても構わない座椅子があり、そこに座る。
そこで任務の疲れがドッと出て来たのか視界が霞んできた。
「寝ても、いい?」
「尻尾揉んでもいいならいいけど」
「やっ、ダメだ。それだけはダメだ!」
「ふふ。やっぱり今もダメなんだね」
「あ、こら、ちょっ──ひぁぁぁんっ!?」
いたずらっ子のように無邪気な笑顔で私の尻尾を撫でると、どうしても我慢が出来ずに嬌声をあげてしまった。
「あー、もう。可愛いなぁ、アーシャは」
「う、うるさい! 私は可愛くなんか……っ!」
「可愛いよ。私からしたら、アーシャは私にとっての希望なんだから」
「の……ノノ?」
ノノが少し潤んだ瞳で私を見詰めてくる。穢れの無い純粋な瞳に射ぬかれて、吸い込まれそうになってくる。
「だからアーシャが家に居るときぐらいは私と一緒に居てよ」
涙が一滴、溢れおちた。
私はノノの体をそっと抱き締める。ノノのおっぱいが私の胸に当たって、どうしてここまで格差が出るのかと心の片隅で悩むが、今はそれよりもノノを安心させてあげることだ。
「大丈夫。私はノノの為のアーシャだよ。私はノノを裏切らない。私はノノよりも先に逝かない。今までずっと一緒だったのと同じように、これからも、ずっと、ずっと一緒だよ」
脳裏に、微かにちらつく炎に包まれた村。
山間の村で私とノノは生まれ、育ち、成長していくはずだった。
しかし現実は残酷で、村は魔物の群れによって襲われた。私達は村の人達に連れられて命からがら逃げ出したけど、それでもその大半が力尽きた。
私達は、それでも逃げた。逃げ続けた。村の人達が私達を庇って死んでいくのを見ないフリして、体のあちこちに草木による傷を作りながら。
そうして逃げていく内に魔物達は追ってこなくなった。単純に飽きたのか。それとも魔物達が生きる為の分の食料を確保出来たからなのか。
逃げ続けて路頭に迷っていた私達は、運良く街に辿り着いた。それがここ、グランレスト帝国。
それからは早かった。私は村の皆の仇を討つ為に帝国軍に属した。実はノノも軍隊に属していたのだが、ある日途端に魔力が無くなり、戦場に立つのは危険だと言う事で引退した。
私はノノが暮らせる場所を手に入れる為にも奮闘した。
気付けば、銀閃の鬼神と言う二つ名や戦乙女の騎行と言う私が率いる部隊にも名前が付き、そして帝国陸軍第一師団大隊長と言う肩書きを得て、ノノを私の家に招き入れる事が出来たのだ。
だからこそ。
「私は今一度、ノノに誓う。私はもう負けない。ノノに不安を与える存在は私が全部斬り伏せる。だから──」
ノノの肩に手を置いて、泣いた事で真っ赤になった目尻に苦笑いを隠して言う。
「ノノは私にずっと付いてきてくれないかな?」
「……はい。私、ノノはアーシャにこの身の全てを捧げるよ」
なんかおかしい。おかしいけど、でもノノは笑ってそう言った。そう言ったのだから、それでいいんだ。
コロコロと表情が変わるノノの赤みを帯びた笑顔を見て、私はやはりと再確認する。
「やっぱり、好きだなぁ」
「ふふ、なら両想いだね」
私の無意識の呟きはノノに拾われて、ノノは嬉しそうに唇を突き出してきた。
私は可愛らしく目を閉じて待つノノのおでこを小突いてから、ノノの小さな唇を塞いだ。