ウンディーネの危機
それはウンディーネに言っているというよりは寧ろ、何か別の精霊に言っているようでもあった。
「……まあ、いい。お前が何と言おうが、俺はお前の意志を尊重する気は無いのだから。関わりこそなかったが、アーシュ・セドウィグは我がシュデルゼンが統治する国の民の一人だ。多大なデメリットがない限り、俺は王族として国民を守る義務がある。……そして俺は、お前を封印することにさしたるデメリットは感じない」
アルファンスは手の中に火の玉を作りだしながら、冷たく言い放った。
そのまま頭上に掲げられた巨大な火の玉は、まるでマグマのように灼熱を宿してうねっていた。
「精霊を無差別に害したり殺したりすれば他の精霊も怒るかもしれないが、今回のことは事情が事情だ。お前一人を弱体化して、たかだか百年程度封じるくらいならば、さして問題はないだろう。……まあ、水の眷属のものは多少気分を害すかもしれないが、封じるのは火の大精霊の加護を受ける俺だ。大精霊を敵に回すような馬鹿なことをする精霊は、誰もいないだろうよ。――だから安心して眠るといい。俺が引導を渡してやる」
「っアルファンス!! 待て」
ウンディーネに向けて今にも火の玉を投げ出さんばかりのアルファンスの前に、慌てて立ちはだかった。
確かに、ウンディーネのしたことは間違っている。……だけど、こんな乱暴な解決策も、やっぱり間違っているよ……!!
「誤解、なんだ!! 確かにアーシュは眷属になることを口に出しては同意をしていないかもしれないけれど、きっと本心では受け入れているんだ!! だからこそ、今こんな風になっているわけで……とにかく、話し合いが必要なんだよ。この二人には!!」
「……レイリア。お前は、何を言っているんだ?」
アルファンスは手に火の玉を持ったまま、呆れたように溜息を吐いた。
「夢見がちなのは昔からだったが、未だに治ってないんだな。ロマンス小説の読み過ぎだ。……全てを知ったうえで、アーシュがウンディーネのことを好きになんてなるわけないだろ。周囲の記憶を奪って、無理矢理自分を眷族に引きずり込むような相手を」
「っだけど、アーシュはっ」
「アーシュが何と言ったかは知らないが、それにしたってウンディーネから操られただけに決まっている。……アーシュの兄の件だって、犯人がアーシュでないとするならば、大方こいつの仕業だろう。兄を殺して、自分を勝手に人間でなくさせようとする利己的な化け物を、一体誰が好きになるというんだ?」
【……っ】
アルファンスの言葉に、ウンディーネは傷ついたように顔を歪めた。
そんなウンディーネの様子に、胸が締め付けられる。
「それでも……それでもきっとアーシュは、受け入れる筈だよ」
確かに、ウンディーネがしたことは、正体も含めて一般的に受け入れられるようなことではないのかもしれない。
恐れ、忌避するのが普通のことだろう。
だけど、アーシュなら。
初恋に呪われていると称すくらい、ウンディーネを愛しているアーシュなら。
それでもきっと、ウンディーネの全てを受け入れてくれる気がするのだ。
「……その根拠は?」
「根拠は……ない、けれど」
「……話にならないな。レイリア。邪魔だ。火傷したくなかったら、どいてろ」
「っ……だいたい、そんな火の玉投げつけたら、アーシュにも当たってしまうかもしれないじゃないか!! そんな乱暴な方法じゃなくて、まずはちゃんと話を……」
「ああ。それは、そうだな。……ウンディーネ。お前だけに当たるように顔を狙うから、愛する男が大事ならちゃんとその体勢でいろよ。コントロールには自信があるが、流石にお前がそいつを盾にしたら俺にはどうもできないからな……まあ、裏切られる前に第三者によって命を奪わせたいのなら、それも有かもしれないけどな」
「っそうじゃなくてっ!!」
「――いい加減、うるさいぞ。レイリア。お前は俺の後ろで変態獣にでも守られていろ」
魔法を展開していない方の手で、フェニの方に突きとばされる。
先ほど同様に、フェニが体で受け止めてくれたので痛みは無かったが、そのせいで反応に送れた。
「それじゃあ動くなよ。ウンディーネ」
アルファンスの手から、ウンディーネに向かって火の玉が放たれる。
「……っウンディーネ!!」
慌てて火の玉に向かって、水魔法で作りだした水の玉を投げつけるが、私程度の水魔法では火の勢いを弱めることすら出来なかった。
ウンディーネもウンディーネで水の障壁を作って身を守ろうとしているが、アルファンスの炎にウンディーネの水が敵わないことは先程までのことで実証済みだ。
ウンディーネ一人の障壁では駄目だ。
ウンディーネ一人だけの力では。
「――アーシュ、いい加減目を醒ませ!! このままじゃ、君の大切な人が傷つくぞ!! 大切だと、愛しているというなら守ってみせろよ!!」
火の玉が、障壁にぶつかる。
途端に音を立てて水が蒸発し、立ちこめた真っ白な煙でウンディーネの姿が見えなくなった。
――ウンディーネは無事だったのだろうか? そして、アーシュは?
煙が晴れた時、現れた光景は。
「……寝起きで、いきなり魔法を使うっていうのはなかなかキツイもんだね。それにしてもアルファンス王子の火魔法強過ぎ。俺とディアンヌの魔法合せて、ぎりぎりだなんて」
投げ出されたような姿勢で座り込むウンディーネを、守るように立ちふさがるアーシュの姿だった。
「……良かった。目を醒ましたんだな」
ホッと安堵の溜め息を吐く私に、アーシュはバツが悪そうに頭を掻いた。
「うん。お蔭様で。ていうか、本当は声だけはずっと聞こえてたんだけど、ディアンヌの眠り魔法強烈でなかなか起きて体を動かすこと出来なくてさ。ごめんねー。レイ。何度も話しかけてくれたのにさ」
「ディアンヌ?」
「……ああ、そうか。名前までは知らないか。この子の名前だよ。俺の好きな人の名前。可愛い名前でしょ?」
【……アーシュ…?……】
軽口を叩きながらへらへらと笑うアーシュと対照的に、ウンディーネ……ディアンヌはもともと白い顔を一層蒼白にして唇を震わせた。
【……聞こえてたって……いつから?……いつから、外の声が……】
アーシュは振り返ってディアンヌに向き鳴ると、小さく肩をすくめた。
「……ディアンヌは水魔法と記憶操作は一流だけど、眠り魔法はあんまり上手じゃないんだね。体は眠ってたけど、意識だけはずっと残ったままだったよ……最初から、ずっとさ」
【っそれじゃあ、私の正体も全部……!!】
「うん、聞いてたよ。……だけど、今更だよ。だって本当は俺、全部知ってたんだから……ずっと前から」
「……やっぱり、そうだったのか」
「ディアンヌの魔法にかかる前にレイにはちゃんと説明しようとは思ったんだけどね……最初から全部話そうとしたのが悪かったね。すっかりタイムオーバーしちゃった。あの時話できてれば、こんな風にレイを危険に合せることもなかったかもしれないのに」
再びアーシュの視線が、私の方へ向く。
アーシュの灰色の瞳は、穏やかに凪いでいた。
「レイの言う通りだよ。俺は卑怯だった。ディアンヌが知られたくないと思っている過去を、改めて彼女に突きつけるのが怖くて。ただディアンヌの望み通りに身を任せれば、それでいいと思って言葉を惜しんだ。それが一番、楽だったから。……でも俺は、ちゃんと伝えなければいけなかったんだ。ディアンヌを不安にさせないためにも」
そう言ってアーシュはそっと、ディアンヌの手を取った。
「ディアンヌ。……君は一年前に、俺が初めて君を知ったと思っているけど、本当は違うんだ。俺が君を知ったのは……君に恋に落ちたのは、六年前だ。君は気づいていなかったようだけど……俺は六年前に、君が兄さんを殺した所を、一部始終見ていたんだ」




