扉の先に
アルファンスの視線と卒業生である私達の視線が交差する。
「そうすればきっと、忘れていた本来の自分の姿を思い出せるはずだから。……大人として生きていくうえで道に迷った時、この四年間を思い出すといい。迷い葛藤しながら、未熟に足掻いた日々を思い返せば、きっと苦境を打開するヒントが得られるはずだから、……大人として生きて行くことがたまらなく苦しくなった時、この四年間を思い出せばいい。身分を越えて交流した仲間との楽しかった思い出は、きっとお前達が前に進む為の力になってくれるはずだから。――この四年間で得たものは全て、お前達は未来を切り開いていくうえで、役に立つ。だから、忘れるな。この狭い箱庭で、束の間に与えられた自由の中で過ごした【子ども】であった日々を、けして忘れるな……俺は、絶対に忘れないから」
その瞬間四年間の思い出が、脳裏に駆け巡った。
楽しかった日も。
悲しかった日も。
現実と理想の差に、歯噛みした日も。
理不尽に激しく憤った日も。
……四年間、この学園で過ごした様々な日が、浮かんでは消えて行く。
「この先どんな未来が待ち受けていようと、絶対に忘れないから……!」
この学園に入学しなければ、知ることはなかったかもしれない、様々な種類の感情が胸の奥から溢れて広がっていく。
気がつけば、頬に生暖かいものが伝っていた。
そして、それはきっと、私だけじゃない。
「そして最後に……頭でっかちで、何も知らない癖に分かった気になっていた未熟な俺達に、様々なことを教えて下さった先生方……そして、俺達に子どもでいられる場を提供してくれたこの学園に、心から感謝を述べさせて頂きます。……本当に、ありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げたアルファンスの声もまた、震えていた。
「……以上で、俺の答辞を終えさせて頂きます」
早口で最後にそれだけ述べるとアルファンスはさっさと後ろを向いて元の場所まで戻ってしまった。
だけどかすかに垣間見えたその瞳が潤んでいたように見えたのは、きっと見間違いじゃない。
少しの沈黙の後に、ぱらぱらと始まった拍手は、徐々に大きさを増して行き、最後には割れんばかりの盛大なものになっていた。
私もまた、溢れ出る涙を拭いながら、手が痛くなるまでに拍手を続けた。
アルファンスの答辞は、由緒正しい貴族学園の卒業式で行われるものとしては、けして相応しくなかったかもしれない。
だけど、あの答辞は紛れもなく、アルファンスの心からの言葉だった。
ここにいる卒業生達の胸に抱いた思い出を、飾ることなく表現してくれたものだった。
今日、私達はこの学園を、卒業する。
生徒と言う庇護されるべき立場から卒業して、明日からは、いっぱしの大人として自らの未来に向き合わなければならない。
だけど、どれほど自らを取り巻く環境が変わろうと、どれほど長い歳月が経とうと、私達はきっと忘れない。
この箱庭の中で与え垂れた、束の間の自由の中で過ごした、四年間の「子ども時代」を、この先もずっと忘れることはないだろう。
自由な雛として過ごした、この青春を。
「――レイ様、その、今からお話したいことがあるのですが……!」
「ごめんね。レイチェル。君と話したいのは山々だけど、今は先約があるんだ」
「っ……私の名前を憶えてくれたのですか?」
「当たり前だろう? 二年の時の武術大会で、差し入れをくれたよね。君のように可愛らしい娘を、私が忘れるはずないさ」
「――レイ様―――!!!! 愛してます!!!!」
「あは、ダイアナ。ありがとう。私も君が、大好きだよ」
「レイ様、ずっと私レイ様をお慕いしてました!!」
「ありがとう。フラア。君の気持ちは応えられないけど、それでもすごく嬉しいよ」
卒業式の後。
押しかけてくる女の子達に一言ずつ言葉を返しながら、何とか人ごみから外れることに成功した。
……本当はもっとゆっくり話したい所だけど、約束の方が優先だからな。
駆け足で、約束の場所へ向かう途中、すれ違ったマーリーンが軽く肘打ちしてきた。
「……うまくやりなさいよ。レイリア。じゃないと、私と修道院行きが待っていること、肝に銘じておきなさい」
……マーリーンに今日のことを話してはいなかったのに、どうやらすっかりお見通しらしい、
流石、親友。……敵わないなあ。
苦笑いをしながら脇を通り抜け、ただひたすら武闘場を目指す。
「……ついた」
荒い息を整えながら、武闘場の扉に手をかけた。
普段は鍵が閉まっているはずのそこは、今日は開いていた。
扉を開けかけてから、少しだけ思い直して手を離して。
「……せめて、髪くらいはもう少し整えておこう」
走ったせいで、乱れてしまった髪を一度ほどいて、てぐしで整え、また結んだ。
……本当は、もっと凝った女性っぽい髪型をしたいんだけど、今の私にはこれが限界だからな。
走ってきただけが理由ではなく、早鐘を打つ胸を押さえながら、大きく深呼吸をした。
……落ち着け、私。相手はアルファンスだ。二人きりで会うなんて、今更だ。
最後に大きく息を吐きだすと、その勢いのまま、思いきって扉を開いた。
「――来たか。レイリア」




