新たな騒動の種
その真紅は、一瞬マーリーンのそれかと思った。
豊かに波打つ鮮やかな赤を身に纏っている人を、学園の中では私はマーリーン意外に知らなかったから。
しかし、すぐにその宿す赤の種類が異なることに気が付いた。
マーリーンの赤は、大地の赤だ。
大地に深く根を下ろし、天に向かって鮮やかに咲き誇る、リーンの花の色。
しかし、この赤は違う。
【だめ……だめ、なのじゃ!! それ以上、アルファンスに近づくではない、レイリア!! わらわは、主が精霊の声をきくことはゆるしても、そのように、今まで以上にアルファンスに近づくことまではゆるしておらぬぞ!!】
この赤は―――炎の赤だ。
私は、私とアルファンスの間に入り込むようにして、肩にしがみついてきた小さな赤毛の女の子を、唖然と見つめていた。
私の身長の半分ほどしかないであろうその体は、完全に地面に足が届いておらず、その全体重が私にかかっているはずなのに、全くといって良い程重さは感じなかった。
女の子は涙に潤む橙色の瞳で(この辺りもまた、瞳まで赤いマーリーンとは違う)きっと私を睨み付けた。
【だいたい、わらわは主のぴんちを、広いこころで救ってやった恩人なのじゃぞ!! なのに、その恩をこのような仇でかえすとは……この恩知らずのうつけものが!! 平服して、こころから感謝をのべて、わらわをほめたたえた後、この恩を返すまでは、アルファンスに近づきませんと言うのが筋じゃろ!!】
……な、なんか滅茶苦茶なこと言われてるぞ?
というか、この娘はもしかしなくても……。
「――やっぱり、あの時の炎は、お前のものか。ラファ」
アルファンスの硬質な低い声が響いた途端、私に文句を捲し立てていた女の子の体が、びくりと跳ねた。
その顔には目に見えて動揺が浮かんでいた。
【……そ、そのアルファンス……わらわは……わらわは、レイリアの身に何かあれば、主がかなしむと思ったから……じゃから……】
「――あの場で契約書を燃やしてくれたことには、素直に礼を言う。俺には、どうしようも出来なかったからな」
ラファと呼ばれた女の子を見据えるアルファンスの瞳は、今まで見たことがない程に冷たいものだった。
ディアンヌを罵った、あの時よりも、ずっと。
「だけど、もう二度と俺の前に姿を見せるなと言った筈だ」
アルファンスは、そう吐き捨てると、背を向けて書庫を出て行ってしまった。
……ラファにしがみ付かれている、私をそのままに。
ちょ、ちょっと待ってくれアルファンス!! こんなわけが分からない状態のまま、私を置いて行かないでくれ!!
せめて、この娘を剥がしてから行ってくれよ!!
【うう……アルファンス……なぜじゃ……なぜ、そのように冷たい……わらわはこんなにもアルファンスのことを好きじゃと言うのに、なぜわらわを拒絶するのじゃ……】
そのまま私の胸元で泣き始めてしまったラファに途方に暮れてしまう。
……というか、もしかしなくても、この娘はあの炎の大精霊だよな……。
やっぱり子どもだったのか。……見掛けは6歳くらいかな。中身もそれくらいに見える。
クオルドの話からすると、実際の年齢的は私とアルファンスとそう変わらない筈だけど、精霊は精神の発達も、こうもはっきり遅いものなんだな。
そんなことを考えながらも、私の口からは泣いているラファを慰める言葉は出てこなかった。
少し前の私ならば、泣いている小さな女の子がいる時点で、何も考えずに慰めていただろう。女の子を泣かせたままになんて出来ないと言う義憤に駆られて。
だけど、ラファはかつて、アルファンスを深く傷つけた存在であることを、今の私は知っている。
恐らく彼女に悪気が無かっただろうことだとはいえ、大切なもの全てに忘れられそうだったアルファンスの恐怖を思うと、容易に慰めを口にすることは出来なかった。
どれほど、理想的なあり方を説いたとしても、許せないものは許せないことを私は、知ってしまったから。
……だけど、あの時、カーミラの契約書を燃やしてくれたのが彼女だとしたら、お礼だけは言っておかないといけないな。
「……あの時、契約書を燃やして、私を助けてくれたのは君だったんだね。ラファ」
目の前の赤い髪を、そっと撫であげる。
……柔らかくて、何だかネコでも撫でているかのような手触りだな。
「ありがとう。心から、君に感謝するよ。……君のおかげで私は、悪魔の力に侵されることがないまま、いつもの私でいられたから」
私の言葉に、いつの間にか泣くのをやめたラファが目を真ん丸にして見上げていた。
しかし、その顔は一瞬にして真っ赤に染まり、先ほどよりも剣呑な目つきで私を睨むと、パッと胸元から飛び出して行った。
【……ぬ、主に礼を言われることではないわ!! うつけレイリア!! わらわは、アルファンスのためにやったわけで、主のためにやったわけじゃないからな!! ゆめゆめ、かん違いなぞするのでないぞ!! ……だいたい、主にラファなぞと、気安く呼ばれたくないわ!!】
そう吐き捨てると、ラファは宙に溶けるかのように消えてしまった。
現れる時も突然なら、いなくなるのも突然だ。
一人書庫に取り残されてしまった私は、まだ整理途中の棚を見つめながら、呟いた。
「……心から感謝を述べろと言ったのは、君じゃないか」
また一つ、新たな騒動の種がやって来た。




