食欲が落ちる暑さ
目撃者探しは人海戦術だ。しかし、今のメンバーだけでは無理がある。
聡介は課長にどうにか人手を回してもらえないか交渉しに行った。
当然ながら手の空いている警官などいない。
今までの経緯を報告した上で、水島弥生が事件当夜現場で目撃されていないかどうか調べたいと言ったところ、案の定、課長は苦い顔をした。
相手が地元の名家であり、しかも山口県警に黙っている訳にもいかないことがネックなのだ。
「本当にその、被害者の妹が怪しいのかね?」
捜査1課長の大石警視は良く言えば慎重、悪く言えば決断力に欠けるタイプだ。
「適当な推測や思いつきではありません」
「冤罪だけは困るんだよ。池田記念病院の院長婦人のことを忘れた訳じゃないだろう?」
課長は苦々しげに言った。池田麻美を参考人として任意の取調べをしたところ、すぐに弁護士を通じてさんざんクレームをつけられた。
「あれは任意であり、適正に取調べは施行されました」
刑事の中には取調べの際、文字通りの暴力を振るったり、脅したり、閉鎖された空間の中でやりたい放題という場合も少なくない。しかし聡介は事情聴取を和泉に任せた。彼は口の悪い男ではあるが、決して暴言を吐いたり、まして暴力に訴えたりはしない。
「そうでなきゃ困るよ。とにかくね、失敗は許されないんだ。警察の威信にかけても」
そんなもの、と聡介はつい口にしそうになったが、なんとか抑えた。
「それで、応援の件はどうなんですか?」
「ま、なんとか考えておくよ」
課長がそう答えた時はイコール、自分で何とかしろということだ。
聡介は廊下に出て溜め息をついた。
「よぉ班長、どうした? シケた顔して」
向かいから鑑識課の相原巡査部長が歩いて来る。
「イクラは一緒じゃないのか?」
「イクラ……?」
「卵でもいい。鮭や鶏肉はあんたの方だ」
聡介はようやく和泉が一緒じゃないのかと訊かれたのだと理解した。彼はいつも聡介と和泉をなぜか親子丼と呼ぶ。
「あいつは外に出ています」
「この暑いのにご苦労なこった」
相原は胸のポケットから扇子を取り出して仰いだ。
「相原さん達こそ、毎晩遅くまでハードなスケジュールで頑張っておられるじゃないですか。鑑識あっての刑事ですよ、感謝しています」
それは本心だった。
「班長。確かに俺達は、毎日ぶっ倒れるぐらい働いてる。けどな、あんたに何か頼まれたら、徹夜してでも優先してやるよ」
鑑識課の巡査部長は捜査1課強行犯係長の肩をぽんと叩いて言った。
「頼りにしていますよ」
少し気持ちが軽くなった。
しかし、そうは言っても現実問題として人手が足りないのは事実だ。
大事件が発生した際、刑事課だけでは回らない場合に交通課や生活安全課の警官を助っ人に呼ぶことはある。しかし、今や捜査本部は縮小し、それも時間が経過してしまった事件のことで応援を頼むのは気が引ける。
ふと時計を見る。午後1時半になっていた。
この頃、食事はほとんどが外食かコンビニ弁当というあまり健康的でない食生活になっている。娘と一緒に暮らしていた頃は、必ず彼女がお弁当を拵えてくれたものだ。
この頃は若い頃に比べて食欲もない。しかし、何か食べておかないと。
聡介は重い足取りでビルを出た。
食事を済ませて県警本部に戻る。
「できたよー、班長」
三枝がモンタージュを持ってきた。「ほら、可愛いでしょ?」
髪型を変え、メイクを変えた水島弥生はまるで別人だった。
「これ持って現場付近に聞き込み、だよね?」
「わかってるんなら、とっとと……」
「もう、手配はしたよ」
「手配……?」
「流川界隈の僕の友人知人に、このモンタージュを写メして、見かけた人は連絡してねって流したんだ。そろそろ電話かメールが……痛っ!!」
思わず聡介は三枝の頭を拳で叩いた。
「自分の足と目で情報を掴んで来るんだ! ついて来い!!」
目を白黒させている石油王子の襟首を掴んで、聡介は刑事部屋の外に出た。




