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利き手の話

「ところで縁談のこと、お兄さんはご存知でしたか?」

「ええ。私が話しました」

「どんな反応でしたか?」

「それも、悪くないかもって……」

「悪くない? つまり、ホスト稼業をやめてもいいということですか?」

「兄は、限界を感じていたようです。思ったよりは成功したけれど、それ以上にはなれない。将来に対する漠然とした不安もあったと思います。今の仕事を辞めれば、元の鞘に戻す……つまり、跡取りにしてもいいと父も言っていましたから」


 ケーキが運ばれてくる。しかし、弥生は手をつけようとしなかった。

「俺を裏切るのか?」

 いきなり和泉が言ったことに、弥生はびくっと全身を震わせた。当然ながら聡介も驚いている。

「……って、きっと『まーくん』は言ったと思いますよ? もし、お兄さんが本気でそんなことを考えていたのだとしたらね」

「裏切るって、どういうことですか……?」

「だって、二人で将来的には店を出す約束もしていたそうですよ。それに、二人にはあまり大きな声で言えないような過去も一緒に背負っているらしい。今この仕事を辞めたりしたら、借金の回収はどうするんだって話になりますよ」

「それはあの、もしかして傷害事件のことですか?」

「ええ、ご存知でしたか?」

「兄は……何でも私には打ち明けてくれましたから。それに、その際のお見舞い金を出すために私も協力しましたし」

「協力? つまりお金を出したということですか」

 たいした金額ではありませんでしたけど、と弥生は自嘲するように言った。


「あなたは本当にお兄さんを愛しておられるんですね。でなければ、そこまでできるものではありませんよ」

 聡介が微笑みながら言う。


 すると、弥生は顔を強張らせた。

「弥生さん。どうぞ、ケーキを召し上がってください」

 和泉が勧めると思い出したように彼女は左手にフォークを持った。


 相手に気付かれないようにこっそりと和泉は胸の内で笑う。


 聡介とは眼と眼だけで通じ合い、理解し合うことができる。


 特に言葉にしなくても、和泉が何を考えているのか聡介もだいたいわかりかけてきたようだ。

 それは水島弥生が左手でフォークを持ち、ケーキに刺した時だ。

 

 犯人は左利き。そしてあの殺害手段は、女性に多いと言われること。

 水島弥生は充分容疑の対象になりうる。

 

 魑魅魍魎が跋扈する、あの流川の町で起きたホストの殺人事件だから、きっと夜の世界のしがらみが原因で殺されたに違いない。今まではそう考えていた。

 

しかし……。

「そう言えば、あの女性はどうなったのですか?」

 ケーキを食べ終えてから弥生は訊いた。

「あの女性?」

「池田さん、でしたよね? 兄が最後に電話でお話した相手という……」

「ああ、残念ながら証拠不十分で釈放されましたよ」

 そうですか、と弥生は溜め息交じりに言った。

「兄の……特別なお客様だったんでしょうか?」

 彼女の知りたいことはわかる。つまり、深い関係にあったかどうかということだろう。

「朗報と言いますか、お兄さんはかなり身持ちの固い人だったそうですよ。三流のホストみたいに、すぐに客と関係を持つような真似はしないことで有名だったとか」

 和泉の答えに弥生は満足げな微笑みを浮かべた。

「それにしても、お兄さんはこの県内の名士と呼ばれる女性から人気があったみたいですね。それってすごいことじゃありませんか?」

「……そうですか?」

「池田麻美さんは、広島市内でも有名な池田記念病院の院長夫人だし、何よりもすごいのはMTホールディングスって知っています? あの会社の女性社長からもかなり気に入られていたようですよ」

 弥生はあまり関心がなさそうだった。あるいはそう装っているだけかもしれない。

「ところで弥生さん。本当に流川に……お兄さんの職場へ行ったことはないんですね?」

 和泉が訊ねた。

「……どうしてです?」

「夜の社会科見学っていうんですか、興味がおありではなかったかと思いまして」

 弥生は不快そうに眼を細めた。

「ありません」


 それから彼女は腰を浮かせ、

「私、明日も仕事なので……これで失礼してもいいですか?」

「ええ、遅くまで引き留めてしまって申し訳ありません」

 弥生は自分の分の代金をきっちりと支払って店を出た。


「彰彦……お前、彼女を疑うのか?」

 水島弥生の姿が完全に見えなくなってから聡介が訊いた。

「聡さんだって、途中からおかしいと思いませんでした?」

 まぁな、と答えて父はすっかり氷の解けたアイスコーヒーを飲む。

「彼女、自分の兄貴に恋してますね」

「そのようだな」

「普通、自分の兄弟にそんな気持ちを抱けるものですかね?」

「俺に訊くな」

 お互い、ただでさえ女性の気持ちが理解できない朴念仁なのに、分かる訳がない。


「ただ、わからないのは被害者本人の気持ちですよ。水島弘樹の本命はいったい誰だったのかなぁ? 本当に敦……小杉拓真とそういう関係だったんでしょうか」

 聡介は首を横に振った。

「自分だったら、って考えてみろ。お前、男に好きだって言われて嬉しいか?」

 和泉はにやっと笑い、「相手によりますね」と、聡介にわざと密着してみた。

「もし聡さんが、実は彰彦のことが好きだなんて言ってくれたら……僕はたとえ、警視総監の娘との縁談があっても蹴ってしまいますよ」

「適当なことを言うな」

「本気ですって」

「お前の『本気』は99パーセント本気じゃないだろう」

 息子の腕を振り払い、聡介も立ち上がる。

「ちなみに俺は100パーセント本気で彰彦、お前を愛しているぞ」

 へ? と、和泉は間抜けな顔をしてしまった。

「何と言っても、父親だからな」

 負けた……。


 和泉はそれでも、爽快感を覚えていた。


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