夏休みの予定
小学生の頃から周はいつも早めに登校する。
遅刻ギリギリに来る生徒もいるが、焦って走ったりしたくないから、いつも余裕を持って家を出る。
夏の暑い時期は特に、走ったりしたら学校に着いた時点で汗だくである。
あと一週間もすれば夏休みだ。周が自分の席に着いてカバンから教科書を取り出していると、おはようと智哉の声がした。
顔を上げて驚いた。
智哉の白い頬が右側だけ赤く腫れていたからだ。
「昨日……父親に会ったんだ。それが母親にバレて、この有様だよ」
彼の両親は離婚している。親権は智哉の母親が持っており同居しているが、まさかそんな事態になるとは。
「大丈夫か?」
「うん、しばらくすれば腫れも引くから」
「お前のお母さん、そこまでお父さんのこと……」余計なことだったかな、と周は口を噤んだ。
「うん、意地になってるんだと思う。でも、僕にとっては血のつながった父親だから、たまには会いたいし」
「会えるうちに会っておいた方がいい、生きてるんなら」周は言った。
智哉はすっと眼を逸らした。
それから話題を変える。
「ねぇ、周。夏休みって何が予定あるの?」
「俺? 実はバイトすることになったんだ。義姉の働いてる旅館で」
義姉の美咲が話をつけてくれたおかげで周は週に1、2回ほど、彼女の実家である『御柳亭』でアルバイトをすることになった。
たいした給料は期待できないとしても、自分で働いて得たお金で欲しい物を買おう。
なるべく兄の世話にはなりたくない。
智哉は少し考えた末に言った。
「へぇ、じゃあ僕はお客として泊まりに行こうかな?」
「ほんとに? お母さんと妹さんと?」
すると彼は意味ありげな笑みを見せてから、
「さぁ?」
あの笑顔は何だったんだろう? 周が不思議な気持ちで一日を過ごし、帰宅して玄関のドアを開けると、やったぁ! と、義姉の嬉しそうな声が耳に飛び込んできた。
なんだ?
「あ、周君。お帰りなさい」
「ただいま……どうしたんだよ?」
「見てみて、これ! やっと撮れたの、メイちゃんとプリンちゃんのツーショット!」
二匹が並んで座っている写真。
機械音痴の義姉は最近やっと、携帯電話のカメラで写真を撮ることを覚えたのである。
「ねぇねぇ、これを待受画面にするにはどうしたらいいの?」
口で説明するより自分でやった方が早い。
貸して、と美咲の携帯電話を手に取る。
ほんの十数秒で今撮った写真を待受画面に設定し、はい、と手渡す。
「周君、すご~い! ありがとう!」そう言われて悪い気はしない。
それから美咲は携帯電話をリビングのテーブルの上に置いて台所へ向かう。
その時ブルブルと彼女の携帯電話が震え、着信中というメッセージが出た
周は何気なく発信元の名前を見る。
石岡孝太、の名前。誰だ?
「周君、出てみて」水を使っている義姉は言った。
冗談だろう? と思ったが、相手がどんな反応をするのか少し楽しみでもある。
「もしもし?」周は通話ボタンを押してみた。
案の定、電話の向こうの相手は絶句している。
それはそうだろう。美咲に宛ててかけたのに男の声が聞こえてきたのだから。
「おかけになった電話番号は、藤江美咲の携帯電話ですが……どちら様?」
『……もしかして、弟君?』
「えっ?」今度は周が驚く番だった。自分のことを知っている?
『サキちゃ……お姉さんは?』
しばらくして思い出した。確か『御柳亭』の板前だ。
何日か前、美咲が巻き込まれた事件の折、少しだけ言葉を交わしたのを覚えている。
「義姉さん、石岡さんって人から」
「え、孝ちゃん? ちょっと待ってて……」
美咲は急いで水を止め、タオルで手を拭きながらリビングに出てきた。
「あ、ごめんなさいね。そう、弟なの……うん……」
言ってみれば職場の同僚ということだ。
義姉は屈託なく、楽しそうに笑いながら話している。
よほど気を許している相手なのだろう。
少しだけおもしろくなかった。
メイが足元に擦り寄って来る。周は猫を抱き上げ、自分の部屋に戻った。




