弁護士がやってきた
「……何がおっしゃりたいんですか?」
「夫のある身である女性が、ホストに頻繁に電話をかけて、声が聞きたかった、気持ちをつなぎ止めておきたかった……それはどういうことですか?」
池田麻美はしばらく黙って俯いていたが、何かを思いついたように顔を上げ、
「アイドルの追っかけのようなものです」と笑った。
「アイドル?」
「私と同年代の知人にも、未だにジャニーズの男の子を追っかけて全国を飛び回っている主婦がいますわ。ご主人はもう、諦めているみたいですけど」
「なるほど。つまり恋愛感情などではなく、ただの憧れのようなものだと」
自分の返答に満足したらしい。
池田麻美はそうです、と頷いた。
「話は変わりますが、水島弘樹さんがあなたのことを『京橋川の君』と呼んでいたことをご存知でしたか?」
「京橋川の君……?」知らなかったようだ。
「彼は自分のお客のことを、ニックネームというか、独自の渾名をつけて携帯電話に登録していたようですね。あなたのことは『京橋川の君』。他にもいろいろありますよ、心当たりがあれば教えていただけませんか?『蝶々夫人』だの『3丁目の貴婦人』だの、あとは『レディ南観音』だなんていうのもありましたね」
「……どうして私が『京橋川の君』なんですか?」
池田麻美は不思議そうに首を傾げる。
「あなたが京橋川の近くに住んでいるからだとか、あなたとデートするのは決まって京橋川近辺だったとかそういったことではありませんか?」
すると何を思い出したのか、池田麻美は黙りこんだ。
「どうしました?」
その時だった。取調室のドアをノックする音が聞こえ、
「失礼しますよ」と、中年男性が入ってきた。
頭頂部がだいぶ薄くなった、猫背気味の痩せた男性はズカズカと中に入り込み、
「これは任意ですよね?」と言った。
弁護士か。和泉は内心で舌打ちした。
「麻美さん、帰りましょう。これは任意です。無理してこんな違法な取り調べに付き合う義務はありませんよ」
「上田先生!」
池田麻美は溺れていたところに浮き輪が飛んできたかのような、安心した顔で立ち上がる。
「どうして早く私を呼んでいただけなかったんですか?」
「ご主人の手前があるからでしょう。ちなみに違法ではありません」
和泉が代わりに答えると、弁護士はジロリと睨んできた。
「……あなた、名前と階級は?」
「和泉です。警部補ですよ」
「よく覚えておきますよ」
「それはどうも」
弁護士は池田麻美の背中を押すようにして、さっさと取調室を出て行ってしまった。




