仮面夫婦
「安っぽい刑事ドラマなら公務執行妨害で逮捕ってことになるんでしょうね」
「残念ながら、これは現実です」
二人の視線は真っ直ぐに絡み合い、まるで先に目を逸らした方が負けだとでも言わんばかりだ。
だとすればこの場合は和泉の勝ちだ。
賢司はすっと眼を伏せて、外国人がするように大げさに肩を竦めてみせた。
「僕はただ、麻美さん……友人の心配をしているだけです。控室にいるであろう彼女の様子を見に行くのに、周と言い、刑事さんと言い……何なんですか?」
「周君は純粋に、大好きなお義姉さんのために一言物申しただけです。僕は、池田麻美さんに関心があります。刑事として、ですがね」
それから和泉は伊達眼鏡とエプロンを外した。
「先日の葬儀の際といい、今日といい、我々を妨害しようとするのはなぜです? 藤江賢司さん」
「心外ですね。僕がいつ刑事さん達の邪魔をしましたか?」
その時、無線機に聡介から引き上げるようにとの指示があった。
「申し訳ありませんが、我々はこれで失礼します」
またね、と周に微笑みかけ、美咲に軽く会釈する。
それから和泉が踵を返した時、
「待ってください」賢司が言った。
「何か?」
「先ほどの質問に答えてもらっていません」
和泉は首だけ後ろを振り返り、
「何でしたっけね? もう忘れましたよ。それに、質問は刑事の専売特許ですよ」
それだけ答えて宴会場を出て行った。
広島北署に戻る。『京橋川の君』と被害者の携帯電話に登録されていた女性が、池田麻美だったことに和泉は大して驚かなかった。
彼女は弁護士を呼ぶかどうかとの問いに否定の意を示した。
取調室でこうして向かい合って見ると、巧みに化粧で隠してはいるが、だいぶ肌が荒れているようだった。
長い爪にはキラキラとデコレーションが施され、両方の薬指に金色の指輪が光っている。しかしその指はすっかり皺が寄って潤いがなくなっていた。
和泉は初めに名前、住所、生年月日など基本的な個人情報を聞き出し、初めは軽く雑談程度の質問をして、それから肝心の質問に入る。
「水島弘樹さんが殺害された7月2日の午後十時から翌二時の間、どこで何をしておられましたか?」
「……家にいました」
「どなたかそれを証明できる方は?」
「あの日の夜はめずらしく、主人が早めに帰宅していまして……」
「残念ながらご家族の証言ではアリバイが立証できないんですよ」
池田麻美は溜め息をついた。
「午後9時頃、水島さんに電話をかけておられますね? 何の用件だったのでしょう」
「用なんて……ただ、彼の声が聞きたかったんです」
「かなり頻繁に電話をかけておられますね」
一時間に約15回。ちょっとしたストーカー並みだ。
「それは……隼人は人気がありましたもの。私みたいな地味な女は、そうでもしないとすぐに忘れられてしまいます」
地味な女という自己評価は間違っていないと思う。
顔立ちもそうだが、あまり自己主張の強そうな感じもしない。基本的には気が弱く、場の雰囲気に流されるといったタイプだろうか。
「ところで、初めてあの店に行ったのはいつですか?」
「……さぁ、何年前になるでしょうか。忘れてしまいました」
「どなたかのご紹介で行ったのですか?」
「ええ、友人がよく行く店だったので。ある日、私がひどく落ち込んでいた時に、あの店に連れて行ってくれたんです」
「ご友人の名前は?」
すると池田麻美は唇を固く引き締め、横を向いた。
「答えたくありません」
「では、こちらで調べるまでですよ。質問を変えます。あなたは水島弘樹さんと、肉体関係はありましたか?」
さっ、と彼女の顔色が赤く染まった。
「……そんなこと、お答えする義務はないと思います」
「彼は、そう簡単には客と寝たりしない。女性にとっては頼もしいような、少し物足りないような……そんなところでしょうね」
「私には夫がいます!!」
「そうですね。けれど、それはただの事実だ」
先ほどパーティー会場で集まっていた招待客達を何気なく観察していた和泉は、彼女の夫が宴会場の隅で秘かに、妻であるの麻美以外の女性とひそひそ話している場面を見かけた。パーティーコンパニオンの一人のようだった。
別れ際に、おそらくホテルの部屋の鍵と思われる物を渡していたのも見た。
夫が他所に女を囲っている反対側で、妻はホストに入れ上げていた。そういう夫婦を世間一般では仮面夫婦と呼ぶ。




