京橋川の君
日下部は身体が大きいが決して太っている訳ではない。
それどころか動きは俊敏で、一流アスリートを思わせる。駿河は驚いていた。
自分は一緒に働く仲間達のことを何一つ知らないでいた。
別に知らなくても仕事はできる。そう思っていた。
池田麻美に事情聴取してこい、と命じられたのは駿河と日下部の2人だ。女性に話を聞くなら友永か和泉の方が適役ではないかと思ったが口には出さなかった。
「なぁ、質問はお前がしてくれよ?」
日下部は大きな身体を縮めるようにして言った。
「何故です? 日下部さんの方が先輩じゃないですか」
「……俺は、正直言って苦手だ……」
「それは、事情聴取がですか? それとも、女性がということでしょうか」
やや間があって「両方だ」と答えがあった。
確かに、彼はあまり話を引き出すのが上手そうではない。
「いつも、水着姿の女性が映っているグラビアを見てるじゃないですか」
「……それとこれとは話が別だろうが!」
日下部が女性を苦手にしているとは思いもよらなかった。
駿河が黙っていると、
「怖いんだよ……」と、彼は言った。
「怖い?」
「昔、事情聴取でヘマをやらかしたことがある。だから……」
以前誰かが彼のことを、身体はデカイくせに気は小さいと言ったことがある。その二つは必ずしも比例するものではないと思うのだが。
どんな失敗をしたのかは知らないが彼はその時、どんな上司の下で働いていたのだろうか。きっと自尊心を徹底的に砕かれるようなむごいことを言われたに違いない。
もしかしたら、あまり真面目だとは思えない彼の普段の態度は、そう装っているだけなのかもしれない。熱心さを表に出して、それが空回りした時の恐怖を予測して。
「そんな心配は無用だと思います」
日下部が驚いて駿河を見つめる。
「……たとえ何か失敗したとしても、高岡警部は責めたりなさいません。間違いなく上手にフォローしてくださいます。それが上司の仕事だと言って」
「……駿河、お前……」
「何ですか?」
「しゃべるんだな、ちゃんと」
「……」人を何だと思っているのだろうか。
控室に到着する。日下部が息を吸い込んでドアをノックした。
はい、と返事がある。
「警察の者です。少しお話を伺えますか?」
「どうぞ……」扉が内側から開く。
招待客への挨拶を終えた池田麻美は、控室に一人でいた。
芸能人の楽屋のような明るくて鏡がたくさんある部屋は多くの花束で埋め尽くされている。
いつかこんなことになるだろうとあきらめたのか、開き直っているのか、先日の葬儀の時よりはかなり落ち着いて見えた。
紺色のドレスに身を包み、きちんと膝の上で両手を揃え座って刑事達を出迎える。
「池田麻美さんですね? 広島県警捜査一課の日下部です」
「駿河です」それぞれ手帳を示す。
「先日……7月2日に殺害された水島弘樹さんをご存じですか?」
本名ではピンと来なかったようだ。
「源氏名は隼人でした」駿河が口を挟むと、
「ええ、存じております」
「どういったご関係ですか」
すると池田麻美は苦笑して、
「もうお調べになっているのでしょう? 私がよく行くホストクラブの店員です。いつも隼人を指名していました」と答えた。
実際、水島の家と付き合いもあったのだろう。
しかし、彼女が葬儀に参加したのはごく個人的な理由。夫の名代などではなかった。
「お住まいはどちらですか?」
日下部が質問すると、なんでそんなことを? と不思議そうな顔を見せた後、南区のとある高級住宅街だと答えた。
「京橋川に行かれることは?」
「あります。友人が経営するレストランや、お気に入りのブティックがありますし」
日下部と駿河は顔を見合わせた。
「その、ご友人のお名前は?」
すると麻美はさっと顔を曇らせた。警戒する顔付きになる。
「……言えません。彼女に迷惑をかける訳にはいきませんので」
その時、携帯電話の着信音が部屋の中に鳴り響いた。
麻美はごそごそとカバンの中を探り始める。無線機から指示が流れる。
『今、京橋川の君に電話をかけた』聡介が言った。
二人の刑事は池田麻美を挟むようにして立ち、それから
「お手数ですが、署までご同行願えますか?」
医者の妻は顔を真っ青にし、震えたまま刑事達に腕を取られて控室を出た。




