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黒い餡を白い餅で包む

 リンゴの甘い香りとシナモンの芳醇な香りがリビングに広がる。

「あ、いい匂い」

 猫達を両腕に抱えた弟がやってきた。

「周君、まだ猫ちゃん達を解放しないでね」

 猫達はオーブンの中に入りたがる癖がある。美咲は焼き立てのアップルパイをケーキクーラーに乗せてからオーブンの蓋を閉めた。


「……お隣は、今日も留守かしらね?」

 ワンホールのケーキを二人だけで消費するとなると、相当時間がかかる。隣室の親子がいればお裾分けもできるのだが。

「たぶんね。今日、高岡さんに会ったけど……何か事件を抱えてるみたいだった」

 周は猫を床に降ろして、椅子に腰かけた。


「俺が持って行こうか? 確か、広島北署にいるから」

「……差し入れだったら、大福がいいのよ」

 黒い餡を白い餅で包む。事件解決を願っての縁起物だと聞いたことがある。刑事達は驚くほど縁起を担ぐのだ。

 へぇ、と周は興味なさそうに相槌を打つ。


 また失敗したかしら、と美咲は忸怩たる思いだった。

 昔の恋人に聞いたことなど披露しなければ良かった。

 

 その時、玄関のドアが開く音がした。猫達が走って行く。

「ただいま」

 なぜか喪服姿の賢司が戻ってきた。

「……おかえりなさい……」

 今日、どこかで誰かのご葬儀があったの? なんていうことを夫に尋ねなければならない妻なんて、他にどこにもいないだろう。

 賢司は自分の部屋に戻り、しばらくして服を着替えて出てきた。

「クリーニングに出しておいてくれるかい?」喪服の一式を手渡される。

 はい、と返事をして受け取り、クリーニング用の袋に詰める。周は一切、兄の方を向こうともしない。頬杖をつきながらテレビを見つめている。

「……これ、もらってもいい?」

 一瞬何を言われたのか分からなかった。

「え?」

「君が作ったんだろう? 研究室の皆に、差し入れで持って行ってもいいかな」

 おどろいた。今まで一度だって、賢司がそんなことを言ったことはない。

「え、ええ……じゃあ、包むから少し待ってて」

 美咲はケーキを切り分け、プラスチックのパッケージに小分けにして詰める。


 その間、賢司はリビングのソファーに腰掛けてテレビの方を見ていた。


 気のせいだろうか、苛立っている?

 

 元々何を考えているのか全然分からない人ではある。いつも泰然自若というか、すべてが自分の思い通りになっているという満足感に浸っているような人だと思っていた。

「お待たせ、はい」

 ケーキを詰めたパックを紙袋に詰め、賢司に手渡す。しかし反応がない。

「……賢司さん?」

 はっと我に帰った夫は紙袋を受け取り、立ち上がる。

「ありがとう」そして再び家を出て行く。


 しばらくしてから、

「なんであんな奴にやるんだよ」周がぼそっと呟いた。

「だって、めずらしいじゃない……」

「だいたい何考えてるかわかるだろ? 夫婦円満ですよって、会社の人間にアピールしたいんだよ」

 彼の言うことは間違っていないと美咲も思う。けれど、口に出して同調するのは憚られる。


 もう一回作るわね、と言ってから冷蔵庫を開く。

「あら……」バターがない。

 美咲は時計を見上げた。午後5時。まだ近くのスーパーは空いている。

「バターがないから買って来るわ」

「別に、大福でもいいよ」

 背中から弟の声。

 誰に似たのか、時々嫌味を言う。

 

 玄関を出て一応、美咲は隣室のドアチャイムを鳴らしてみた。応答はない。

 

 やっぱり忙しいのね、と溜め息をつく。


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