ムシが好かない
「ところで、お兄さんに今の職業に就く前から親しくしていた女性などは……?」
「そんな方はいらっしゃいません。兄は元々、女性とロクに口もきけないほど内気な人間だったのですから」
そういえば先ほど受付にいた男女が『あいつがホストだって?』と笑っていた。
しかし、妹がそう言い切れるのだろうか。
「私にお話できることは以上です。もうすぐご住職がいらっしゃいますので」
水島弥生はすっと立ち上がり、部屋を出て行こうとする。
「いろいろとありがとうございました。また、広島までご足労いただくことになるかもしれません。その際は、ご協力お願いいたします」
和泉が声をかけると、彼女は立ち止って振り返る。
「広島ぐらい、たいした距離ではありませんわ」
それから庭に出た二人の刑事は再び、受付に次々とやってくる弔問客を見張った。
その中で和泉は気になる人物を見つけた。
平静を装っているようだが、明らかに挙動がおかしい。
記帳をする手が震え、筆ペンを地面に落としてしまう。
西洋の婦人がするような黒いベールで顔を隠している。黒いワンピースを着たその女性は、黒い手袋をしていた。
駿河が視線で訴えてきた。声をかけますか?
和泉は彼に頷き返し、中に入ろうとするその女性に声をかけた。
「失礼ですが、水島弘樹さんとはどういったご関係ですか?」
びくっ、とその女性は全身を大きく震わせた。おそるおそる振り返る彼女に警察手帳を示して見せる。
「わ、私は……ただの名代ですので」
「どなたの名代ですか?」
「それは、あの……申し訳ありませんが……」
「言えないような方なのですか?」
もっと突っ込んで質問すれば、ポロっと真実を漏らすだろう。
しかし、その時だ。
「アサミさん、どうかしましたか?」
和泉達の後ろから声がした。どこかで聞いたことがある。
振り返るまでもなく、声の主は刑事達を追い抜いて女性の隣に立つ。
その顔を見た瞬間に驚いて思わず息を呑んだ。藤江賢司だ、周の兄の。
「……藤江さん?」
「ああ、刑事さん達。和泉さん、でしたっけ? それと……」
賢司は喪服を着ている。彼もまた参列者の1人ということか。
「我々はそちらの女性に職務質問をしているんです」
邪魔だから退け、と暗に匂わせて和泉は言った。
すると、
「でしたら、私がお答えしましょう。彼女は池田麻美さん。広島市の池田記念病院の院長先生の奥様ですよ。水島家とは遠い親戚筋に当たる方です。ですから、葬儀に出席なさっても何の不思議もないでしょう」
「……今、どなたかの名代だとおっしゃいましたが?」
「それはもちろん、ご主人のでしょう」
「だったら正直にそう答えればいいはずです。なぜ隠すような真似をなさるんですか?」
すると藤江賢司はくすっと笑った。
「和泉さん、鏡をご覧になるといいですよ。そんな怖い眼で睨まれながら、警察手帳を振りかざされたら、普通の人は怯えてしまいます。特に麻美さんはか弱い方ですのでね」
そんなに怖い顔をしていただろうか?
「……あなたは、池田さんとどういうご関係ですか?」
「私ですか? 仕事上でのお付き合いです」
そうだ、彼は製薬会社の社員だ。彼の親族が経営する藤江製薬の。
「では水島弘樹さんとは、こちらのお家とは?」
「古くから家族ぐるみでの付き合いですよ」賢司は答えてから「もうよろしいですか?」と、歩き出そうとする。
「我々は、彼女自身に質問に答えていただきたいんです」
普段の自分にないことだった。和泉は自分でもいつになくムキになっていることに気付いていた。
「……ご自分の立場をわきまえるよう、ご忠告しますよ」
賢司はそう言い残して、池田麻美の背中を軽く押して歩き出す。
「……和泉さん……」
声の調子こそ普段通りだが、気遣わしげな様子で駿河が見つめてくる。
自分でも理由はよくわからないが、和泉ははっきりと賢司に対して苛立ちと嫌悪感を覚えていた。
表現し難い不愉快な感触。本気で気分が悪くなってきた。
「戻りましょう、本部へ」
和泉は頷くしかなかった。




