ヤンキーにからまれる
定時まで無事に時間が流れた。
聡介は時間きっかりにダッシュで職場を出た。
それを見送ってから和泉も立ち上がる。
「なんだジュニア、お前さんもデートか?」珍しく真面目に働いている友永が言った。
彼が和泉につけたあだ名は『ジュニア』である。
「残念ながら、不動産屋めぐりですよ」
そろそろ家を探さなくてはならない。聡介にいつまでも甘える訳にはいかない。
それじゃお先です、と庁舎を出た。
庁舎を出て広い道路を挟んだ反対側には市内随一の繁華街が存在する。
和泉は不動産屋の窓に貼られている物件情報を眺めながら、どうせほとんど留守にするわけだし、せいぜい雨漏りがしない程度の部屋でいいな、と考えていた。
あとは家賃と相談。独りだからワンルームでいい。
その時だ。何気なく窓ガラスに写った人影を見ていたら、見覚えのある少年が、どう見てもガラの悪い集団に囲まれていた。
傍目には仲良しグループが一緒に歩いているように見えるだろうが、そうではなくてこれから路地裏に連れ込まれ、金銭を恐喝によって奪われるのだ。
和泉は尾行を開始した。思い過ごしならそれでよし。
しかし案の定、彼らは路地裏に移動した。
「なぁ、ちょっとだけでいいんだよ。必ず返すからさあ。お前その制服って安佐南校だよな? お坊っちゃまの通う学校なんだから、金なら持ってるだろ?」
絡まれているのは確か周の友達だ。名前は思い出せないが。
不良達の言うように周達が通う安佐南高校は県内でも偏差値の高い進学校として有名である。私立だけに授業料は安くはない。
彼を取り囲んでいる不良グループも似たり寄ったりの年齢層に見える。
「お金なんか持ってない!」
少女のように華奢な身体つきで、顔立ちもあどけなくて可愛らしい。それでも彼はきっぱりとそう答えた。
「嘘つくんじゃねぇよ!」
少年の1人が拳を振り上げる。
「本当だったらどうする?」
突然あらわれた闖入者に少年達は目を白黒させる。
「なんだよオッサン?!」
ムカっ。自分はまだ「お兄さん」と呼ばれたい。
「警察だよ、お・に・い・さ・んはね」
懐から警察手帳を示してみせる。「恐喝未遂の現行犯で逮捕してもいいけどどうする? ここなら最寄りの警察署は広島北署かな」
少年達は白けてしまったのか、舌打ちして去って行った。
「大丈夫?」声をかけてから和泉は思い出した。
初めて会った時、この少年はあまり警察官に対して良い印象を持っていなかったようだということを。
瞳に敵意のような、軽蔑のような感情が灯っていたことを今でも覚えている。
「……ありがとうございます」
やはりというかなんというか、少しも安心した様子ではなく、むしろ余計なことをしやがってといわんばかりの表情だ。
「お家、どこ? 送っていくよ」
「いえ、それには及びません」
なかなか古風な物言いをする子だ。
「そう? じゃ、気をつけてね」
少年が去って行くのを見送り、和泉は再び不動産屋へ足を運ぶ。
なんでもいいやと思っていても、いざとなると職場から近くて、築年数もそれほど古くない方がいいとか、あれこれ条件が思い浮かんでくる。
ワンルームだとほとんどが一口コンロで、料理がしづらい。和泉は若い頃から自炊をしていて、料理の腕前にも自信がある。できれば二口コンロの置けるガスがいい。
そうこうしているうちに結局、これと言った物件を見つけることができなかった。
家に帰ろう。正確には居候先だが。
今夜、聡介は娘と一緒に外で食事を済ませてくるだろう。
そうだ、と和泉は携帯電話を取り出した。周の番号をダイヤルする。
『……はい』
気のせいだろうか、元気がない。
「周君、今日は一人?」
『ええ、まぁ。正確には一人と二匹ですが』
「今、本通商店街にいるんだけどさ、何か食べたいものある? 買って帰るよ。それで、これから一緒に晩ご飯食べない?」
『わかりました……あ、そしたら……』
周がリクエストしたのは人間の食べ物ではなく、猫用のおやつであった。
頼まれたものといくつか食材を買って和泉はマンションに帰った。
ドアチャイムを鳴らすと中から猫の鳴き声が聞こえる。
「こんばんは」
二匹の猫が和泉を歓迎してくれる。
「……めずらしいですね、和泉さんが一人なんて」
やはり気のせいではなかった。
周の顔色は冴えない。無理して微笑んでいる。
「今日、聡さんはデートだからね。それよりどうかしたの? 元気ないね」
和泉は手を伸ばして彼の頬に触れた。熱はないようだ。
「いろいろあるんですよ、俺も。でもちょうど良かった、化学でわからないところがあったんです。教えてもらえますか?」
「じゃ、そっちを先に済ませようか」
周の質問に答えて和泉は解答を説明したが、どうも上の空のようだった。
猫達がじゃまをしに来たのを潮に一旦中断することにした。