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現実逃避

 そういえば周はどうしているだろうか。


 和泉は着替えを取りに戻ったついでに、隣室のドアチャイムを鳴らした。

 夜もだいぶ遅い時間だが、まぁいいか、と。


 はい、と少し疲れたような声で美咲の返事が聞こえた。

「こんばんは、和泉です」

 ちょっと待ってください、とすぐにドアが開いた。


 にゃ~ん、と甘えた声で茶トラの猫が擦り寄って来る。腕に三毛猫を抱いた美咲が姿を見せた。

「どうですか? その後、いろいろとうるさく言ってくる人もいると思いますが……」

 つい先月、彼女を巻き込んだ大きな事件があった。人の噂も75日、他に起きた大きな事件のせいで今ではほとんど報道されなくなったが。

「ええ、まぁ。でも、時間の問題ですから」

 無理して微笑んでいる。そういう笑い方をする女性を、和泉は他にも知っている。

「周君は?」

「……私が帰って来たのと同時に、どこかへ出かけて行きました」

「感じ悪いですね」


 また何かあったのだろうか? 周は美咲と仲がいいのかと思えば、時々よくわからない理由で彼女を避けるようなそぶりをする。

「何かあったんですか?」

「……」

「あ、すみません。ご家庭の事情に踏み込むようなことは……」

 美咲は腕に抱いた猫で顔を隠すようにして俯いた。

「私が悪いんです。余計なことを言ったから……気まずくて顔を合わせたくなんです」


 余計なこととは何だろう? 和泉自身もよく、余計な一言が多いと聡介に叱られる。


 しかし彼女は決して口数の多い方でもないし、頭の悪い女性でもないと思う。

「なんだか、いつも上手くいかないんです。私は周君と仲良くしたいだけなのに……」

 次第に涙声になる。

「たった一人の弟なんだから……」

 和泉はふと彼女の言い方に違和感を覚えた。

 

 彼女と周は義理の姉と弟のはずだ。しかしその口調はまるで、世界中でたった一人、血のつながった家族のようにも聞こえる。

「連れ戻してきますよ」

 和泉は言った。

 

 え? と、美咲は顔を上げる。

「周君の取扱説明書は僕もよく知っていますから。そう言う訳でしばらくこの子、お借りしますね」

 和泉は茶トラ猫を連れて自分の……正確には居候している部屋に戻った。

 

 ※※※※※※※※※  


 一時期ニュースで話題になったネットカフェ難民というのはこういうことか。

 

 周は借りた毛布を首まで被りながらそう思った。ソファーは確かに柔らかいが、ぐっすり眠ることなど出来そうにない。

 シャワールームがあると言っても、風呂にゆっくり浸かるのが好きな周には、毎晩シャワーだけでは耐えられない。

 

 こんな生活を毎日繰り返していたら頭がおかしくなりそうだ。けど、現実にはそういう生活を余儀なくされている人もいるのだ。どういう事情があるのかわからないが。

 

 義姉の美咲が仕事から戻ってきたと同時に周は家を出た。

 顔を合わせたくない。ただそれだけの理由で。

 

 今頃義姉はきっと悲しい顔をしていることだろう。

 胸が痛むが、一緒にいて気まずいのはもっと辛い。

 

 家から少し離れた大通り沿いにあるネットカフェ。シングルルームを3時間パックで借り、パソコンでなんとなく『藤江製薬株式会社』を検索してみた。いろいろなリンクをクリックしている内に兄の写真が出てきた。

 

 世界中の人々の健康のために。

 そんな煽り文句と共に会社概要、求人情報、新製品の情報などが載っている。


「研究室の様子」と銘打った写真に賢司が映っていた。

 自分の嫁さんも面倒見れないくせに、何が他人の『健康のために』だよ。


 周が内心で毒づいてブラウザを閉じようとした時だ。

 携帯電話が鳴りだした。

 

 ディスプレイを確認する。『和泉さん』からだ。

 周は携帯電話をもって通話スペースに移動した。

「もしもし?」

『周君、だね?』

 なんでそんなわかり切ったことを訊いて来るのだろう?

『君の大事な猫のメイちゃんは預かってる。無事に返して欲しかったらこっちの要求を呑んでもらおう』

「……はい?」

 何を言ってるんだ、この人は。

『今、どこにいるの?』

「……どこだっていいじゃないですか」

『答えなければ、可愛いメイちゃんがどうなるか保証はできないよ』

「あの……和泉さん……?」

『狭い額に油性マジックで眉毛を描くよ? それでもいいんだね』

 想像したらちょっと笑ってしまいそうになってしまった。


「ちょっと待ってください、何の余興ですか?」

『いいから、今どこにいるのか答えて』

 周が黙っていると、『早く言わないと……あ、以外に眉毛似合うんじゃない?』

 電話の向こうでにゃ~と切なげな声が聞こえる。

「わかりました、言います! 八丁堀駅前通りの……」

 周は頭痛を覚えて自分の席に戻った。


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