お父さんの愛情
確か名前は藤江賢司。
駿河とかつて婚約していた、旧姓寒河江美咲の夫だと名乗った男。
隣に座っている男はどこかで見たことがあるような気がする。
どこでだっただろう? 刑事たるもの、人の顔を思い出せないのでは話にならない。
もしかしたら感情が邪魔をして冷静に考えることができないのだろうか。
駿河は気が付いたら店の奥のボックスシートに座っていた。
「何か飲む? 修ちゃんは水割りよりビールだよね」
「……昨夜の事件のことで、何か気付いたことがありますか?」
「ああ、隼人が殺された事件でしょ? あたしは何も気付かなかったけど、でも……」
「でも?」
「いつかそんなことになるんじゃないかって思ってた」
「どういう意味です?」
だって、と志乃は唇を尖らせた。
「隼人ってすごい人気だったの。ホスト遊びにハマる人って、遊びだって割り切れる人とそうでない人がいるのよ。本気で惚れちゃって刃傷沙汰になるのなんてよくある話」
はい、と水割りを差し出される。が、手を出さないことにした。
駿河はアルコールが好きではない。飲めない訳ではないが、自分から進んで飲もうとは思わない。弱いし、美味しいと思えない。
「……無理を承知でお聞きします。隼人というホストと一番親しくしていた女性に心当たりは?」
志乃は自分で作った水割りを一口飲んで、あかんべーと舌を出した。
「そんなの、知る訳ないでしょ。知ってても、たとえ修ちゃんのお願いでも教えない」
「なんだよ、志乃。俺にも教えてくれないのか?」
そう言って友永はおそらくきっと綺麗にセットしたであろう、志乃の髪をいじる。
「もう! ……刑事さん達にだって守秘義務っていうのがあるでしょ? あたし達にだってあるんだよ、お客の秘密を守らなきゃいけないっていう約束」
身なりやしゃべり方からは推し量ることができないが、彼女は意外にしっかりしているようだ。
「貴女ご自身は、その隼人というホストが働いている『シルバームーン』に行ったことはありますか?」
「あるよ、3回ぐらい。でも、あたしは好みの子いなかったなぁ。やっぱり修ちゃんが一番カッコいい!」
志乃はそう言って友永の腕に抱きついた。
おそらくこの少女と呼んで差し支えないホステスは、少年課に居た頃の彼の知人だろう。
話題を変えよう。
「先ほど、すごいお客さんが来ていると仰いましたね? もしかして、あそこの席にいる男性客ですか?」
駿河は藤江賢司が座っている辺りを見た。
「そうだよ。なんとか省っていうところのお役人様と、製薬会社の幹部さんだって」
おそらく厚生労働省だろう。
製薬会社とつながりのある省庁といえばそれしかない。
地方視察にやってきた役人を接待しているということだろうか。そこで思い出した。
藤江賢司と一緒に座っていた男は、兄の友人の1人だ。東大に入った兄が正月に帰省した時、何人かの友人を連れていた。その内の一人ではないか。
名前は思い出せない。
しかし、今その男が事件の捜査に関係あるとは思えなかった。
「ホストクラブで遊ぶ女って、旦那さんはお金持ちだけど仕事が忙しすぎてかまってもらえないとか、お金はそんなにないけど、とにかく寂しい女がハマるんだよね」
動機という面で探す一つの目安として富裕層の女性をターゲットにしろということだろうか。駿河は水割りを煽っている志乃の横顔を見つめた。
「ねぇ修ちゃん、今度いつ来てくれる?」
「そうだな……この事件が解決したらな」
「絶対だよ? 約束だからね」
彼女から聞けそうな情報はもうなさそうだ、と駿河は判断した。
ちょうどその時携帯電話が震えだす。班長からだ。
店を出てから通話ボタンを押す。
『今どこにいる?』
「現場付近のディスコードという店です。事情聴取は終わりました」
『わかった、それじゃ晩飯にしよう』
「……班長殿から、お食事の誘いか?」席に戻ると友永がニヤニヤ笑いながら訊いてくる。
そうです、と駿河が答えると、
「お前、ほんと可愛がられてんだな」
「……高岡警部は自分だけではありません、ご自分の部下を全員心から大切に思っておられます」
そうだな、と思いがけず同意が返ってきた。
「あんなデカは他にいないよ」
「同感です」
「ついでに言うとあのジュニア、あいつも他に類をみない変人野郎だよな。いい歳こいた男が重度のファザコンなんてありえないだろ」
「……和泉警部補のことは、自分もよく理解できません」
「あいつはな、滅多なことじゃ他人に心を開かない。けど、一度気を許した相手にはどこまでもとことんつきまとう……スッポンみたいだな」
「それは、ストーカーというのではありませんか?」
言えてるな、と友永は笑って歩き出す。
「どちらへ?」
「着替えを取って来るんだよ、この近くに住んでるからな。あとは本部に戻って残業。いい加減、溜まった書類を片付けないとどやされる」
現場近くに住んでいるなら、どうしてもう少し早めに到着できないのか。
駿河は遠くなる友永の背中を見つめながらそう思った。




