6.ラッヘラカンプの街
ようやく街壁に辿り着いた。近くで見ると白っぽい石造りだと分かる。高さは十メートルくらいだろうか。腰に剣を帯びた中年の男性がふたり、門衛に立っている。
僕らは近づいて、しかしそのオジサン達の風貌が西洋風の顔立ちであることに気づき慌てて立ち止まった。
「ねえカケル。日本語が通じるかな?」
「いや、まさか。ちょっと待っててくれ」
視線を右下にやり、今日だけで何度も起動した〈エンゼル・ホットライン〉で天使を呼び出した。
『なあ天使。いままで普通に日本語使ってたけど、言葉は通じるのか?』
『どうも天使です。遂に街にたどり着きましたね。ご心配なく、言葉は全て日本語で通じますよ』
『それってどういうことだ。どう考えても不自然なんだが』
天使はともかく、異世界の住人が日本語を話せるのはおかしい。
『はい。それはですね。そちらの世界には種族ごとの共通言語の他に人類の基底――』
『あー待て。ややこしい話ならいいや。ともかく日本語が通じるんだな? それが分かればいい』
『え、そうでしたか。……あと文字も日本語で大丈夫ですよ』
『は? それこそどうなって……いやいい。またな』
僕はそわそわしながら遠くを見ている白亜に向き直る。
「白亜、日本語通じるってさ」
「え、ほんと? 良かった。英会話は自信なかったんだ」
日本語が通じないからって英語を試そうとしてたのか。通じるとは思えない。まあでも急に外国人と話すことになったらテンパっちゃうのが日本人らしいか。ちょっと抜けてる白亜、可愛いなあ。
そんな可愛い白亜が僕のカノジョであるという幸せを噛み締めながら、歩き出した。
◇
「ようこそラッヘラカンプへ」
……おお凄い、ほんとに日本語だ。
僕と白亜は思わず顔を見合わせた。どう考えても日本人はいない異世界で、流暢に日本語を喋られると違和感がある。
しかしそんな僕らのことは気にせず、門衛のオジサンは棒きれにインクをつけ、木の板と一緒に差し出した。
「こちらに名前をお願いします」
「はい」
日本語で大丈夫と言われたが、本当だろうか。僕はオジサンの反応を伺いながら、漢字で『松田翔』と書いた。
特におかしな顔もされないので、そのまま『一条白亜』と書く。木の板とはいえ、ふたりの名前だけが並んでいるのを見ると、不思議な感じだ。書き終えたので、木の板とインクの付いた棒を門衛に差し出す。
「マツダ・カケルとイチジョウ・ハクアですね。一応聞いておくのが決まりなんですが、ラッヘラカンプに来られた理由を伺ってもよろしいですか」
「え、と……旅です」
「そうですか。若いのにお強いんですね。街中で揉め事などに巻き込まれないように気をつけてください」
咄嗟に旅です、と答えたが問題なかったようだ。しかしいきなり強いとか言われてしまった。魔物の出る世界で旅をするというのは、強くなきゃできないものなのかもしれない。
門衛のオジサンは「では良い滞在を」と言って木の板と棒きれを脇に積んだ。どうやら街に入ってもいいらしい。意外とあっけなかったな。
石畳で舗装された地面の感触を確かめながら、僕らは異世界で初めての街に踏み出した。
◇
赤いレンガと白い漆喰によるツートンカラーの街並みは、異世界情緒というよりヨーロッパの古都にいるような錯覚をもたらした。地面がやたら平坦で起伏がなく、山が遠い。このような景色の中にいると、日本が狭い島国で山が多かったのだと気付かされる。
白亜も楽しそうに周囲を見渡していた。
「へえ。なんかヨーロッパ旅行してるみたいだね」
同じことを思っていたようだ。気が合うなあ。僕は嬉しくなってスキップしたくなる気持ちを抑えながら、周囲に気の利いた店はないかと視線を巡らせた。旅行の記念といえばアクセサリーとかだよな。今日の良き日に何かプレゼントをしよう。
だがいざ観光目線で見ると、屋台や露天に並んでいる商品は地味でさっぱり冴えない。なんだか飾り気のないずんぐりした白い陶器やら、でかいナベや分厚いフライパンやら。実用重視の市場なのだ。
そのまま歩いて行くと、すぐに美味しそうな匂いが漂っている食料品売場になってしまう。鶏の串焼きに揚げパン、リンゴに腸詰めに焼き飯に……。焼き飯の米は長粒種で、肉と野菜と一緒に油で炒められているようだ。
……ううむ。なんだか、お腹が空いてきたぞ。
見れば白亜もぼんやりと食べ物の屋台を見ている。うん、別に買い食いでもいいか。慣れない距離を歩いたし、ウサギと戦って運動もしたから、小腹が空いている。
「白亜、なんか食べようぜ」
「え、うん。いろいろ美味しそうだよね」
肉の串焼きを見て、クリスラビットの死体を〈ストレージ〉に入れたままだったことを思い出す。食べるついでに、どこかで買い取ってもらえないだろうか。
ウサギ肉を扱っている店はないかと見渡していると、小さめの肉塊が小山になった屋台が目に留まった。ウサギかどうか分からないが、四足の小さな獣の肉に見える。肉を小さく切り分けながら串を打っているオジサンに話しかけた。
「すみません。それってなんの肉ですか?」
「うん? これはクリスラビットっていうウサギの魔物だよ」
どうやらアタリのようだ。
「いくらですか」
「一本、銅貨30枚だよ」
あれ、高い? 僕の全財産は銀貨9枚と銅貨100枚だ。そういえば銀貨一枚が銅貨何枚分の価値があるのか知らないな。聞けばすぐに分かるだろうけど、でもあの天使のことだからこれ見よがしに半端な銀貨の枚数が無意味だとは思えない。銀貨1枚が銅貨100枚なら、初期所持金はちょうど銅貨1000枚になるから、そういうことなんだろうな。後で聞こう。
ふと背後に視線を感じたので振り返ると、白亜が期待の眼差しで僕を見ていた。異世界での買い物のマナーが分からないから、自分で買うのは抵抗があったのかもしれない。よし、ここはいいとこ見せますか。
「二本買うから、50枚になりません?」
「うーん。そうだなあ……」
オジサンは僕と白亜を見て、破顔しながら言った。
「よし、若いお二人さんのデートだ。サービスしといてやろう」
「ありがとうございます」
人生初の値切りだったが、上手くいって良かった。ほっと一安心して、すぐにもう一つの用事も忘れる前に切り出す。
「あと街の外でクリスラビットを一羽狩ったんだけど、ここで買い取って貰えたりしますか?」
「ほう。若いのにやるねえ。ほんとは狩猟組合を通した方がいいんだが、一羽くらいなら買ってやるよ。わざわざ持ってくのも面倒だろ」
お言葉に甘えて買い取ってもらおうことにする。〈ストレージ〉からクリスラビットを出すと、店主は目を丸くしながら言った。
「おいおい、そのままか。ウチで欲しいのは肉だけなんだが……」
「あ、すみません。解体しないと駄目でしたか」
「角は狩猟組合に持ってけば銅貨50枚くらいで買ってもらえるはずだぞ。おい待て、それ血抜きしたか?」
「え、解体はまだですってば」
だがそういうことではないらしい。オジサン曰く、殺したらすぐに血を抜かなければ肉が不味くなるらしい。直接このサイズの動物を殺すのも初めてで、そこまで気が回らなかった。そういえば解体の手順の一番最初に、首の動脈を傷つけてから逆さまに吊るす、と書いてあったような気がする。あれだけは済ませておかないと駄目だったらしい。
店に出せないレベルらしく、けっきょく肉は買い取ってもらえなかった。失敗したなあ。狩猟組合に持っていけば角は買い取ってもらえるそうなので、せめて串焼き二本分の稼ぎは確保しておきたい。ちなみにちゃんと血抜きがしてあれば肉は銅貨40枚になるそうだ。角の方が価値が高い魔物らしい。
串焼きは美味かった。見た目は完全に鶏肉だけど、弾力のある食感で脂身のほとんどない濃厚な肉の味が楽しめる。ハーブを効かせたスパイシーなタレが赤身によく合うのだ。
「美味しいね、カケル」
「ああ。ウサギってこんな味だったんだな」
あっという間に食べ終えて串を返し、僕らは再び市を眺めながら歩き出した。