5.クレーマー・カケル
クリスラビットの解体方法は〈エンサイクロペディア〉にあるので分かっていたが、ちょうどいい道具がないので解体は街ですることにした。ウサギの死体を〈ストレージ〉に入れると、『クリスラビット ×1羽』と表示される。そういえばウサギは何羽と数えるんだったな。
それにしても初期装備の鉄の剣、剣にしては短いしナイフにしては大きすぎる。持ち物にサバイバル用品などを追加しろと天使に言いたい。
いや言うことにした。
『おい。ナイフがないぞ。あと水筒とか。なんか色々と足りなくないか』
『はい、天使です。ええとそうですね。仰るとおりです』
『申し開きはあるか?』
『いえ。強いて言わせていただくなら、最初の願いの段階で、水の魔法の才能を願う方の先見性などを考慮したものかと思われます』
水の魔法を最初に願うなら、水に困ることはなくなる。そうでないなら、困るべきだ、ということか?
いまひとつ納得いかない理屈だ。しかし天使が必要以上の手助けをしないのは、さっきの会話で分かった。こいつはこちらが問わない限り新しい機能を追加しないし、先回りして教えるようなこともしない。
だが何かがひっかかる。なんだろう。僕は何かひとつ、見逃しているような気がする。
いやひとつどころでなく、ここまでの天使の対応には問題しかないのだが。ともかく文句を言ってスッキリしたので、アプリを閉じて白亜に向き直った。
機嫌がいいとは言い難いが、それでも随分と良くはなった。必死に謝り倒した成果だ。
「よし、街に行こう。もう半分以上は歩いたから、十分くらいで着くかな?」
「……うん」
そっぽを向いているままだが、返事はした。いい傾向だ。思えば幼き白亜も、喧嘩の後はこんな感じになった。
普段はおっとりした感じで礼儀正しいのに、怒ると怖いというか、妥協しないというか。そう頑固なのだった。
だが根がいい子の白亜は「ちょっと怒りすぎたかな」としばらくすると自省し、しかし「けど簡単に許すと思われると心外」と路線継続し、やがてその狭間でもじもじし始めるのである。可愛い。今も変わってないんだ。
「……そうだ、カケル。なんか、さっき言ってたじゃない」
「え? なに?」
おお、なんとか会話の糸口を掴もうと頑張っていらっしゃる。白亜可愛い。さっきって何か言ったっけ?
口からでまかせ、いやほぼ事実ばっかなんだけど、とにかく褒めちぎったからな。さて何が琴線に触れたのか。
だがその話ではなかったようで、「新しい魔法があるんでしょ? それは教えてくれないのかな」って。ああ、そうだった。確かに伝えかけたとこで謝罪攻勢に出て頭から抜け落ちていた。
「〈マイ・ステータス〉だよ。自分のHPやMPを確認できるんだってさ」
「へえ。……〈マイ・ステータス〉」
すると白亜はちょっと目を見開き、すぐに視線を落として恐らく目の前の自分のステータスを確認し始める。
「ねえ。ギフトってなに? あとなんとなく分かるけどスキルは?」
「ギフトは才能って意味だよ。スキルは僕もよく分からんけど、多分想像の通りじゃないか」
そういえばちゃんと聞いていなかったな。筋力とかも「-」とか書いてあったはずだ。
しかし白亜は悲しそうな目で、僕を見て言った。
「私……才能ないの?」
「――!!」
それだ。白亜のギフト。何かひっかかっていたと思っていたら、それだった。
僕は「ちょっと待って確認するから」と言って慌てて〈エンゼル・ホットライン〉を呼び出す。おいこら天使、なに白亜にあんな顔させてんだよ!
『たびたびあり――』
『おい天使。白亜のギフトがないんだが、どうなってるんだ』
『……天使です、はい。白亜さんのギフトですね?』
『おう』
『この世界ではどなたもギフトを持っています。ギフトは日々の生活や鍛錬の中で開花し、人によっては老境に差し掛かるまで得られなかった方もおられるとか』
『うん。それで』
『ですが生涯ギフトを得られなかった人はいません。ゼロです。なので白亜さんも冒険生活の中で、必ずや――』
『いや、そういうのいいから』
『……はい?』
僕がひっかかっていたのは、白亜のギフトがなかったことではない。だから言った。
『異世界への移住には特典として“ありとあらゆる望みひとつ”を叶えるんだろ。白亜の望みをひとつ、叶えてもらおうか』
そう。このルールを守れていないのだ。
『え……、ええ!?』
『どうした。早く白亜に聞いて叶えてくれ』
『ちょ、ちょっと待って下さい! だって白亜さんはお客様の願いで連れて来られたんですよ!?』
『だからなんだ。白亜にしてみれば、異世界に移住するのは変わらないだろ。僕だけ願いを叶えておいて、白亜の願いを叶えないとか有り得ないから』
『そんな無茶苦茶な――』
『契約書にはなんて書いてあるんだ?』
『――……あ』
あの契約要綱と書かれた小冊子、結局読まなかったな。これからも読むことはないだろうけど。そこになんて書いてあるか知らないが、例え「無理」と書かれていようが押し通す。白亜にとっては『僕の告白にオッケーしたことになって』『僕が異世界に行くことになったから一緒に連れて行きたいと願われた』だけで、それ以外は元の白亜と変わらない。彼女からしてみれば紛れもなく異世界への強制移住なのだ。単純に考えて収支はマイナス。ならば特典があったってバチは当たらない。
『どうした。できないのか?』
『……じょ、上司に確認してきますっ!!』
それでよし。
僕はニヤリと笑みを浮かべ、トーク画面を眺めた。
◇
天使は二秒で戻ってきた。
『は、白亜さんの願いを叶えさせていただきます……』
『ほう。迅速な対応で結構なことだ』
『……ありがとうございます』
よしやった。これで白亜も何らかのギフトを授かることが出来る。戦力アップ間違いなしだ。
「白亜、天使がひとつ願いを叶えるってさ。それでギフトが増えるはずだ」
「え? ……願い? ひとつ?」
「そう。なんでもいいぞ。白亜の願いって、なんだ?」
白亜は神妙な顔つきで「願い、願い……」と繰り返し呟く。いきなり宝くじが当たったようなもんだからな。迷うだろう。存分に迷うがいい。
そしてはたと口を止め、言った。
「……このままずっと、カケルに守ってもらいたいな」
「お、おう」
ボッと顔から火が出たのはお互い様だ。何を言い出すかな君は。
いかん、顔が熱すぎる。白亜の顔も真っ赤っかだ。短い黒髪から覗く形のいい耳が真っ赤。頬が真っ赤。ヤバイ、こっちも心臓がトロけそう。
『壁があったら殴りたい……』
天使は当然、こっちをモニタリングしていたのだろう。漫画でよく見る『血管マーク』の絵文字つきで送ってきた。絵文字あるのかこれ。知らんかった。
だがこの天使と絵文字を使ってまで砕けた会話をしたいわけじゃない。使う機会は恐らくないだろう。
『なんか言ったか?』
『い、いえ。なんでもないです』
テキストチャットなので当然ログはバッチリ見えるのだが、こいつなにしれっと無かったことにしてるんだ。まあいい、僕も今はそれどころじゃない。ああ熱い。心臓バクバクいってる。
『えーそれでは。白亜さんの願いを叶えさせて頂きます』
え、いまの願いカウントするの!?
……と思ったが僕の願いも大概だった。だが今回のこれはどうなるんだ。
僕も〈マイ・ステータス〉のアプリを開き、白亜のギフト欄を確認する。ショートカットからだと発音しなくても起動するのは便利だ。すると白亜のギフト欄が、『なし』から『〈期待する瞳〉』に変化していた。
『〈期待する瞳〉:あなたが見つめる相手のあらゆる行動にボーナス修正を与え、取得経験値を増加させます。』
ほうほう。これは……なんだ?
『おい天使。経験値はなんとなく分かるが、具体的に効果はなんだこれ』
『はい。説明させていただきます』
『頼む』
『白亜さんのギフトは〈期待する瞳〉。このギフトはかつてこの世界の英雄を導いた――』
『能書きは置いとけ。白亜を待てしてるんだ』
『え、はい……。あらゆる行動にボーナス修正というのは、例えば重い石を持ち上げる際、筋力の能力値による修正を受けますよね』
『ああ、あのハイフンになってるやつな』
『はい。この世界ではそれぞれの能力値を鍛えることができるのですが、能力値は本人の実力とは別に存在します。あ、混同しやすいので能力値を表記する際は【筋力】と書きますね』
うん、どういうことだ?
『お客様の腕力では例えば200kgのバーベルを持ちあげられないとします。しかし【筋力】の能力値が1点以上ありますと、持ち上げる可能性が生まれます。多くの【筋力】があればそれだけ持ち上げる可能性が高くなります』
『ほう。僕自身の筋肉を鍛えるのと、能力値の【筋力】を上昇させるのはイコールじゃないってことか?』
『そうです。そして白亜さんのギフトはそれこそ能力値すら存在しないあらゆる行動に対して、成功の可能性を芽生えさせます』
微粒子レベルで存在するとかそういう感じか。違うか。
現段階では能力値は該当する分野なら成功確率が上がるものだと覚えておけばいいのかな。そして白亜のギフトはなんにでも有効、と。
『それで。経験値ってあるのか? ステータスにはないけど』
『はい。数字を実際に見ることはできませんが、あらゆる技能に対して経験値が存在します。経験値を増やしていくことで、その技能への習熟度を高めます』
つまり白亜の技能は、あらゆる行動に成功の余地を生み、その行動の上達を早めるってことか。なるほどこれは強そうだ。
しかし自分自身に使うことはできないから、もっぱら僕を強化するという使い方になってしまう。いやだがそれこそが白亜の願い。
強くなろう。そしてこの世界で白亜を守るんだ。