35.もふもふ
露天で買い食いした帰り、フェリシテが声を潜めて僕と白亜に言った。
「ハクア、カケル。今すれ違った連中には気をつけろ。悪い臭いがする」
「うん?」
顔を向けないように気をつけながら見ると、ガラの悪い男たちが笑いながら歩いていた。歳はハタチ前後といったところで、旅人には見えないから地元民だろう。
同じようにしてフェリシテ曰く要注意人物たちを見た白亜も、眉根を寄せて言った。
「ガラが悪そうだねえ……気をつけなきゃ」
「うむ。ハクアは気をつけた方がいいぞ。すれ違う時にハクアを見た奴らから一番嫌な臭いがした」
……他所から来た可愛い女の子にちょっかいかけるようなロクデナシの地元民ってことか。白亜をそういう目で見るとはけしからんな。
僕らは明日の朝早くにメイユシュテットに向けて出発するから、奴らが地元民なら関わることはないだろう。
「今日はもう宿から出ないようにしようぜ」
「だねえ。明日からまたいっぱい歩くし、今日はゆっくり休もう?」
「うむ。露天も見れたしな。その方がいいだろう」
僕の提案にふたりも頷いた。
……僕がこのパーティ唯一の男だ。これから先も、女の子ふたりの身辺には気をつけないとな。
この世界ではまだ明確に人の悪意にさらされたことがないのでなんとなく気が緩んでいたが、治安がいいはずもないのだ。日本の警察のことを思えば衛兵の数は明らかに少ないし、識字率は高いが、それが即ちモラルの高さに直結するわけでもない。ラッヘラカンプが特別のどかな街だっただけで、これから大きな街へ行けば当然いろいろな人がいるはずだ。
ラッヘラカンプは街という規模の割に住人同士がかなり密接に顔見知りであるという、悪いことをしたらすぐに誰が犯人か分かる状態だったように思う。小さな街だからこその治安の良さがあった。
しかしこれから行くメイユシュテットは、街の出入りに税が取られるほど人の出入りが多い。商人は税を取られたとしても街を出入りして利益が見込めるということで、つまり人口はラッヘラカンプの比ではないのだろう。
……気をつけなきゃな。魔物なんかより、悪意ある人間の方がよっぽど脅威だ。
白亜を危ない目に合わせたくはない。
幸いフェリシテの悪意を嗅ぎとるギフトがあるので、僕らを騙そうとしたり陥れようとしたりする奴が現れても素早く察知できる。頼れる仲間がいて本当によかった。右も左も分からない街では僕ひとりで白亜を守り切れる自信がない。
正面から戦う分には、今の僕はかなり強い。剣も魔法も『Rank D』冒険者くらいの腕前は確実にある。両方を兼ね備えている僕は『Rank C』冒険者にも匹敵するかもしれない。
だが罠にかけられたり多数に囲まれても大丈夫、と言い切れるほど強くはないのだ。
……メイユシュテットに着いたら、契約魔術で魔物との《コントラクト》をしないとな。少しでも戦力が欲しい。
適性魔術でもある《契約魔術》は、いまだ《コントラクト》の空撃ちしか試していない。早く試したいのだが、行商人のサミュエルさんには既に炎の魔術を見せてしまっている。白亜が炎に加えて氷を使っているのも見ていたはずだから、更に僕が契約魔術まで使い始めればさすがに異常だ。いや既に異常だと思われているかもしれないけど。
人形を使った魔法も編み出したいし、やることは山積みだ。
◇
宿では魔法の訓練をしながら過ごしていた。白亜の操る〈ウォッシュ〉の水塊を僕とフェリシテの〈シェイド〉による影が追い掛け回すという、鬼ごっこのような訓練だ。白亜の視界内に入らないとギフトの効果を受けられないから、一緒に取り組める訓練が最も効率がいい。他にフェリシテが〈ブリーズ〉で風を送り込み僕と白亜が〈ティンダー〉でつけた火を大きくするという訓練もあるが、楽しくない上に室内では火事になりかねないので今日はやらない。
テーブル上での鬼ごっこを小一時間ほど楽しんだ後、白亜が席を外した隙を見てフェリシテにかねてから狙っていたあることを切り出すことにした。
「なあフェリシテ、頼みがあるんだけど」
「うん? なんだ」
「耳と尻尾を触らせてもらえないか?」
「なんだそんなことか。いいぞ。人間族にはないものだから、珍しいのだろう。ハクアはいつも触ってくるしな」
そう。僕はいまだにフェリシテの耳と尻尾に触れていないのだ。
というのも、フェリシテは12歳の順調に発育している少女であり、耳と尻尾はなんとなく髪の延長線上にあって触る勇気が持てなかったのだ。
女の命、の延長線上なのだから僕が怖気づくのも無理は無いだろう。別に僕がヘタレなわけじゃないはずだ。尻尾なんて尻のすぐ上から生えているので、なおのこと触るのに勇気が必要になるのである。重ねて言うが、僕はヘタレなわけではなく常識的なのだ。
さて快く本人の許可が得られたので、撫でさせてもらうことにする。ベッドの横に腰掛けたフェリシテからは、白亜の〈トリートメント〉の香りが漂ってきてなんとなく落ち着かない。
赤みがかった茶色い毛並みは、この世界の多くの女性に比べてツヤがある。頭頂部に生えた――正確には人間の耳にあたる部分から天辺に伸びている――耳に触れた。後頭部の側は髪と混ざってふさふさした感触で、前側は白っぽい短い毛でびっしり覆われている。
「おお! ふさふさだ!」
「うむ。わざわざ言わなくてもいいぞ」
まず外側を撫で上げ、ボリュームのある毛並みの感触を確かめる。ついで内側の短い毛を指でなぞり、両側を親指と人差し指でつまんで厚みを計った。毛深い以外は人間の耳のようにふにふにした適度な柔らかさだ。
つまんだ指を交互にこすり合わせるように動かす。適度な厚みと柔らかさが指に心地いい。内側の毛は意外とザラザラしているのに対して、外側の毛はしっとりした柔らかさがある。
「……っ!!?」
ビクビクっとフェリシテが細かく震えた。
「あ、悪い。痛かったか?」
「い、いや。痛くはなかったのだが……」
なぜか足を閉じて視線を落としたフェリシテに内心で首を傾げる。白亜に撫でられているときはこんな風にではなかったはずだが。急にしおらしくなったのはなんでだろう。
……触り方が悪かったのか?
試しに撫で方を変えてみるもフェリシテの反応は変わらず、むしろ僕の方に顔を傾け耳を撫でやすいようにしてくれる。白亜に撫でられ慣れているのだろう。別に嫌がられているわけではないようだ。
耳を三角形に例えるならば底辺の中心あたりに、耳の穴があるのを見つけた。耳だから当然、鼓膜や内耳に繋がる穴のような部分があるわけだ。あまり犬を触ったことのない僕は耳の穴があることも知らなかった。いやもちろんフェリシテは犬ではなく狼だが、狼は犬の祖先だったはずだからきっと犬も狼も耳の穴があるのは変わるまい。
僕は耳の穴にそっと指を入れてみた。
「ふあ!?」
声を上げたフェリシテに涙目で見上げられ、「なんでそこに指を入れた!? 撫でるのではなかったのか!?」と怒られた。確かに耳の穴に指を突っ込むのを撫でるとは言わない。顔を赤くするほど怒られたので、謝っておく。
「悪い悪い。撫でるだけだったな」
「うむ……」
口をへの字に曲げたフェリシテがまた顔を傾けたので耳を触ろうとしたが、尻尾が大きく縦に振られたのを見て思いとどまる。
「そろそろ尻尾の方、触ってもいいか?」
「む、うむ。構わないぞ」
フェリシテは居住まいを正した。所在なさ気に振れる尻尾は、長めの毛が揃っておりフサフサしている。触れてみると、ふんわりした柔らかい感触が返ってきた。
「ほうほう、これは……ふわふわだな」
「うむ。白亜の魔法のおかげで、最近はずっとふわふわだぞ」
どうやら〈トリートメント〉の効果で綿菓子のようにフワフワな感触になっているらしい。ハクアがしたり顔で尻尾の感触を楽しんでいる理由が分かった。なるほど大したものだ。
ひとしきり尻尾をもふもふした後、もう一度だけ耳を触らせてもらうことにした。
「ふ、……んぅ」
「…………」
悩ましい声を漏らすフェリシテはやけに色っぽく、隣りに座っていると変な気分になってくる。頬を染めて太腿をこすり合わせる様子は、なぜか白亜とダブって見える。なんで白亜が……いや、そうか。なんとなく分かってきたぞ。
――これ〈性技〉が発動してるんだ。
ようやく腑に落ちた。耳を撫でるのは、スキル〈性技〉の範疇なのだろう。いわゆる愛撫に含まれるということだ。耳フェチではなかったつもりだが、こんな表情が拝めるなら耳を撫でるのもいいものだと思える。ひとつ、新たな性癖に開眼してしまったようだ。
期せずしてフェリシテの弱点はひとつ判明したわけだが、
……この弱点、有効に活用したら浮気だよなあ、多分。
撫でるたびに無自覚に〈性技〉が発動するのはマズい。名残惜しいが、今日で撫で納めとしよう。だから、
「耳は今日で最後にするから、もうちょっと撫でさせてくれな」
「うむ……ぅ?」
濡れた瞳で「もう撫でてくれなくなるのか?」と訴えかけられると、僕も決心が大いに揺らぐのだが――
……も、もうちょっとだけならいいかな?
今日で最後にする、という免罪符を心中に掲げ、僕はフェリシテの耳をもう少しだけ撫でることにした。




