25.〈エリア・マップ〉改
「は、ハクアは魔術師だったのか!?」
フェリシテの泡を食ったような声に、僕と白亜は顔を見合わせた。
「言ってなかったっけ? ……あ、言ってないか」
「まあ確かに言ってないよな」
「……剣を持っているから、てっきり剣士かと思っていた」
オオカミ少女が白亜のことを目を輝かせて見上げた。
……そういえば狼人族は人間に比べて魔法が苦手らしいから、憧れとかあるのかもしれないな。
僕は剣を洗うために、これ見よがしに〈ウォッシュ〉を唱えて見せた。案の定、フェリシテがガバっと振り向いて目を剥く。
「か、カケルも魔術師だったのか!?」
思った通りの反応で、ちょっと楽しい。水属性以外にも三種類もの〈魔術〉を使えると言ったら、どれだけ驚くのだろう。気にはなるが、使い手が希少な特殊な魔術らしいのでこれは言わないでおく。特に天使の実名が入っちゃった〈神聖魔術〉は不審がられそうなので言えないのだ。とはいえHPが減ったら〈ヒール〉を使わなければならないから、そのときはテキトーな神様の名前を言って誤魔化すしかない。平穏を司る奴とかいるから、その辺だろうか。忘れないよう、ついた嘘は〈ホワイト・ノート〉にメモっておかなければならないな。
ちなみにこの〈ホワイト・ノート〉の魔法、いつの間にかショートカットができていた。ただ全く同じ魔法が発動する他のアイコンとは違い、〈ホワイト・ノート〉の場合はアレンジが為されている。このアイコンから起動すると、自分の視界内だけにメモ帳を表示させることができるのだ。もともと指やペンでなぞるだけで書けるインクいらずの白紙だったのだが、この状態だと〈エンゼル・ホットライン〉同様にテキストを打つことができる。個人的な備忘録を作るのに最適だ。
猪の解体を行うため、剣を鞘に納めて〈ストレージ〉からナイフを取り出す。すると、フェリシテが唸りながら言った。
「す、〈ストレージ〉にナイフを入れているのか……」
フェリシテは弓を背負い直してから、腰からナイフを抜く。どうやら〈ストレージ〉の容量に余裕が無いようだ。マントの裾から水袋も見えるし、矢筒に矢を満載しているところからも推し量れる。まあ矢はすぐに取り出すためにも矢筒に何本かあった方がいいとは思うけど。
〈エンサイクロペディア〉を見ながら解体を始める。四足獣は基本的に首の動脈を傷つけてから、逆さに吊るして放血する。吊るす代わりに、近くに川があればそこに沈めてもいい。血抜きを済ませたら首を切り落とし、胴体の正中線上を切り開き、皮を剥ぐ。そうしてから内蔵を取り出し、肉を切り分けるのだ。
猪はこれまで狩ったことのあるどの魔物よりも大きかった。そのため結構な労力が必要になったのだが、そこはベテランの狩人であるフェリシテが手早く進行してくれる。
「フェリシテちゃん、猪の解体もできるんだね」
「うん。たまに狩るからな。……でもこんなに楽勝だったのは初めてだが」
フェリシテはなにやら渋い顔をしている。そんなに魔法が羨ましいのだろうか。
「あれ。だけどフェリシテも魔法を使ったじゃないか」
「うん?」
「ほら、弓で……〈影縫い〉とか言って動きを止めた奴」
解体する前に地面に刺さった矢は抜かれ、矢筒に仕舞われていた。矢筒の中に仕切りがあるようで、使用と未使用で分けているらしい。
「ああ。あれは魔術じゃないぞ。弓術だ」
「キュージュツ?」
「ああ。私はまだふたつしか使えないが、魔術のような特別な効果を持たせた攻撃などができるのだ」
「へえ。そんなものがあったのか……」
技量を表す〈弓技〉というスキルに対して、魔法のような効果を持つ弓術というものがあるらしい。この弓術、割りと自由かつ創意工夫が可能なようで、使い手により術の名称や効果が違ったりするそうだ。特に術を伝える流派などがあり、フェリシテは亡兄から幾つかの弓術を教わったと語った。
「弓術に限らず剣術などもあるのだが、大抵はスキルが前提になっている。例えば〈影縫い〉は〈弓技〉と〈隠密〉、それに〈罠設置〉が必要だ。これらのスキルを全て習得した上で練習せねば、〈影縫い〉は会得できない」
「〈弓技〉〈隠密〉〈罠設置〉……」
並べると、ものすごく狩人っぽいスキルばかりだ。同時に暗殺者っぽくもある。フェリシテにとっての狩りがどのようなものかを暗示しているかのようだ。
まあ他人の戦闘スタイルは置いておいて、気になるのは剣術という単語だ。そんな便利なものがあるなら天使、教えろよ。早速〈エンサイクロペディア〉で調べるが、どうも魔術とは異なり先人から受け継ぐやら創意工夫で編み出すやら、ふわふわしたことが書いてある。レベルに応じて使える魔法が増える魔術とは完全に別物らしい。
だが考えようによってはむしろありがたいかもしれない。いま習得しているスキルに応じて、イメージした技なり術なりを好き勝手に創造できるのだから。帰ったら練習してみるか。
◇
森を進む。木々が徐々に密度を増し、生い茂る草の背が高くなっていくなか、先頭のフェリシテが言った。
「そろそろ魔境に入っていると思うぞ」
「え、もう?」
白亜が驚きながら周囲を見渡す。僕も森を観察してみるが、特に何も感じない。
魔境というからにはもっとこう、邪悪な形をした草木が生息し、見るからに異形の魔物が闊歩しているのを想像していたが、別にそんなことはなかったようだ。
「なあフェリシテ。魔境かどうか、判別する手段はないのか?」
「ううん。聞いたことがないな。結界魔術師なら感知できるかもしれないが……」
〈結界魔術〉は使えないし、見たこともない。しかし周辺が魔境かどうか分からないなんて、不便もいいところだ。今後、僕と白亜は魔境を滅ぼして聖域を拡大していかなければならない。そのためにも、その土地が魔境か判別することは必須じゃないだろうか。
というわけで天使に聞いてみることにした。
『はい天使でございます』
『なあ聖域と魔境を判別する方法ってあるのか?』
『そうですね……実は【感知】を高めることで察知できるようになるのですが』
『あれ。フェリシテは【感知】に10点も振ってるみたいだぞ。でも出来ないみたいなことを言っているのだが』
『フェリシテさんは魔法系のスキルを持っていませんからね。魔力を感知するのに不慣れなのでしょう』
そうか。魔力を感知しないと駄目なのか。フェリシテのあの様子だと、魔法系は完全に不得手っぽいよなあ。
かと言って僕と白亜が【感知】の能力値を伸ばすのはイマイチだ。できればこのまま【器用】と【精神】に特化したい。
『なあ。なんとかしてくれ』
『なんとか、ですか。……はあ。分かりました、なんとかしましょう』
『お、気前がいいじゃないか』
『なんだかその言い方ですと、私が随分とケチみたいに聞こえますが』
『え?』
『え?』
率先して僕らが楽すぎないように情報絞ってる奴が、何を今更。
『と、ともかくですね。聖域と魔境につきましては、〈エリア・マップ〉を色分けすることで判別できるようにします。というかしました』
『ふうん?』
視界の左上に設置していた〈エリア・マップ〉の円内が、真っ赤に染まった。
『赤が魔境、青が聖域です。色分けされていない部分は、そのどちらでもないということになります』
『ほう。ということはここは魔境のまっただ中というわけだな』
『ええと、そうですね。随分と奥に入ってますね』
あれ、と思ってマップの縮尺を変え、できるだけ広範囲を表示させる。
……なんだこれ。森に入ってすぐのとこから、魔境になってるじゃないか。
平原は無地で、街壁の内側が青くなっている。本来なら街壁の周囲まで青くなければならないはずだ。人類の版図が狭まっているそうだが、現在ある街すら満足に聖域で覆い尽くせないとは。先が思いやられる。
「なんか、森の入り口からずっと魔境だったらしいぞ」
「へえ?」
唐突な新情報に白亜が目を丸くするが、すぐに〈エンゼル・ホットライン〉を使ったのだと察したのだろう。「とっくに魔境だったんだねえ」と頷いている。
フェリシテは怪訝そうに僕を見て、白亜を見て、首を傾げた。
「いや、それはおかしいだろう」
「そう……なのか?」
いきなり魔境かどうかを判別しだした僕を、疑わしく思うのは仕方ない。だがそういう話ではなかったようで、フェリシテは僕の言葉を受け入れた上で言った。
「魔境というのは魔物の発生する土地だ。だというのに、こんなに歩いて出会った魔物が猪一頭ではおかしいし、平原にも魔物が進出するはずだ。もし森全体が魔境だというのなら……」
「だとしてら、どうなる?」
「……人間に露見することを警戒しているということに、なる。つまり知能のある魔物が、戦力を蓄えて……」
そこまで言って、フェリシテは目を剥いて森の奥を見た。
「な、なあカケル。森の入り口から魔境というのは、本当なのか? なにかの冗談ではないのか!?」
「ああ、冗談じゃなく魔境になってるぞ。……やっぱ、マズいのか?」
「マズい!」
フェリシテは「どうしよう」と繰り返し呟きながら、言った。
「人間に隠れて戦力を蓄えているということは、恐らく亜人系の魔物が指揮している」
亜人というのは、ゴブリンやオークといった人型の魔物のことだ。言葉が通じないことと、顔かたちが人間と違って明らかに邪悪だったりすることで見分けることができるらしい。ただ僕と白亜が見分けられるかは自信ないけど。獣人の一種だと誤認しそうだ。
「亜人だとマズイのか?」
「ああ。ゴブリンやオークなら確実に知能の高い個体が出現している証拠だし、森から出ないよう群れを統制できているということは、武力もあるはずだ。もしゴブリンキングやオークキングがいたら……」
「いたら?」
白亜が先を促す。
「ラッヘラカンプは遠からず滅びる」
フェリシテが顔を蒼白にして言った。




