23.魔境へ
新しい剣の習熟のために狩りを1日、その後の1日を休息にあて、今日はいよいよ魔境に入ることにした。
最近は朝一番に野菜とハムを挟んだ大き目のパンを買ってから、狩りに出掛けるようになっていた。つまりサンドイッチなのだが、パンは分厚くて堅いものだし、ハムはこれまた分厚く切られた肉々しいもので、野菜は塩漬けの葉物という日本では馴染みのないものだった。コンビニに売っているようなものしか食べたことのない僕らには新鮮で、二人の間で密かなブームとなっていた。
歩きながらで食べられるうえ、狩りの間は血抜きだなんだと待ち時間が多い。その空いた時間に食べられるというのも魅力のひとつである。
そんなわけで今日もサンドイッチを買って森に向かったのだが、魔境に入る手前でフェリシテを見つけた。相変わらず濃いグレーのボロいフード付きマントを羽織っているのですぐ分かったが、顔が見えないので迂闊に声も掛けづらい。とはいえ身長や体格でフェリシテで間違いないので、僕らは早足で彼女に追いついたというわけだ。
そして会話の流れで白亜が「魔境に一緒に行こう」と言い出し、フェリシテはそれを快諾してくれた。白亜はこの獣娘と仲良くなりたがっていたから、いい機会だ。僕としては二人きりで冒険したい気持ちはあるのだが、だからと言って白亜の交友関係を狭めていい理由にはならない。
それに魔境に同行してもらえるのは単純に心強い。フェリシテは物静かで口数が少ないが、僕らより年下にも関わらず狩りの熟練者なのだ。
かくして僕らは、熊殺しの狩人と魔境に入ることになったのである。
◇
フェリシテを先頭にして白亜、僕と続く。
木々と茂みで視界が悪いが、歩く道は土が剥き出しで踏み固められていた。こんなところを狩人以外の誰が通るのか知らないが、道があるのはありがたかい。
「なあフェリシテ。ここは普段、通るのか?」
「ん、こんなとこ誰も通らないだろう。どういう意味だ?」
「え、だって道があるじゃないか」
「……ただの獣道だが」
不審げな眼差しを受け、ようやく理解した。そうか、これが獣道っていうのか。本当に「道」なのだ。こんな自然の森を歩いたことがなかったので、実際にこのように道ができるものなのだと知らなかった。
白亜も同じことを思ったのだろう、「へ~」と感心して頷いている。
そして僕らの様子を見て、フェリシテは信じられないものを見たかのように口を開けて固まっていた。
……旅人のくせに獣道を知らないとか、怪しいよなあ。
どう取り繕うかと思案を巡らせていると、フェリシテは特に気にした様子もなく歩き出した。どうやら先に進むことにしたらしい。
……あれ。特に不審がられてないのかな?
追求されないなら気にする必要はない。視界が木々で遮られているなか、周囲を見ながら進む。白亜も魔物がいないか気にしているようで、しきりに左右を見渡していた。
しばらく歩くと、つとフェリシテが振り返って言った。
「さっきから何を探しているんだ?」
「え、魔物がいないかなーって見てたんだよ」
「そうなのか。魔物なら近くにはいないぞ」
白亜がその言葉に首を傾げて言った。
「魔物が近くにいるか分かるの?」
「ああ。私は【感知】を高めているからな。音と匂いで察知できるのだ」
「おお~、さすがオオカミだ……!」
狼人族は人間より聴覚と嗅覚に優れ、身体能力が高いらしい。そこをSPによって更に【感知】を上昇させているから、優秀な斥候の役割を果たすことができるわけだ。僕も白亜も【感知】は伸ばしていないから、役割が被らないという意味でフェリシテは相性のいい同行者だった。
……確か【感知】は敵の察知とか罠の発見とかできるんだったな。ゲームでいえばシーフみたいなポジションか。
武器も弓矢だし、暗い色のフードは木々に紛れたら見つけるのが大変だろう。そういうことから類推するに、隠れながら射撃するような戦い方をするはずだ。だとすると、
……ひとりで戦うことを念頭に置いた戦型だな。
もしかしたら僕と白亜は邪魔だったかもしれない。そんなことを考えていると、周囲を警戒しなくてもよくなった白亜がしきりにフェリシテに話しかけ始めた。おおい白亜さん、それ索敵の邪魔なんじゃないですかねえ。
「ねえフェリシテちゃん、【感知】はいくつくらいあるの?」
「む。今は10だな」
「「じゅう!?」」
思わず僕も声を上げた。僕と白亜が昨日までに得たSPは3だ。それぞれ【器用】と【精神】に振り続けているが、10は遠い。
ちなみにいつだったか、SPが増える条件について天使に聞いたことがある。経験値とSPは扱いが違うようで、白亜のギフトで増えている様子がなかったので疑問に思ったのだ。その時は、こう返ってきた。
『SPとは魔物の魂を集めて得られる、人の魂を強化するものです。つまりソウル・ポイントの略称ですね。魂は球体のような形を想像してください。それを魔物の魂で覆い、層を為すことで人の魂を強くするのです。具体的にどのくらいの量の魔物の命を奪えばいいのかは魔物の強さにもよりますし、層が増えれば増えるほど必要となる魔物の魂の量も増えます。基本的には強い魔物からは多くの魂が得られ、またそれを分け与える対象、すなわち周囲の人間が少ないほど多くの魂を得られることになります。注意せねばならないのは、魔物を殺した際に周囲にいる人すべてに魂が分散して与えられるということですね。実はこれを利用して街では定期的に広場で捕まえた魔物を殺す催しが――』
……途中から説明が脱線を始めたところで、ソッコー閉じたが。奴の教えたがり病はなんとかならんのか。
まあともかくゲームの経験値と同様のイメージだろう。パーティ人数に応じて分配されるタイプで、パーティに限らず周囲の人間全てに影響があるところがゲームとは違うってとこか。逆に言えばパワーレベリングみたいなこともしやすいから、人類軍を作るという構想の役には立つ情報だった。
二年間、フェリシテがひとりで毎日狩りを続けていたのなら、確かにSPは僕らの追随を許さないだろう。お兄さんが存命だった頃に全く狩りをしなかったわけじゃないだろうから、そういう意味でベテランである。すげえなフェリシテ。そりゃ熊もソロで殺すわ。
熊殺しへの尊敬を新たにしていると、
「――魔物だ」
フェリシテの短い警告で我に返る。オオカミ少女の視線を辿ると、フンフンと鼻を鳴らす大きなイノシシが居た。