22.狩人の朝-フェリシテside-
SPによるMPの増加値を変更しました。基本は1点で、習得している〈●●魔術〉スキルひとつにつき1点が追加されるよう変更しました。これにともない「19.能力値」の天使の該当説明セリフを修正しました。固定で3点も伸びると、魔法スキルがないにも関わらず〈ストレージ〉のためだけに伸ばす価値が高すぎるというのが修正理由です。
窓の外が明るくなったのを感じて、私は目覚めた。
まだ寝足りないという身体を叱咤し、強引に起き上がると、寝床を片付ける。眠い目を擦る間もなく、水汲みのために外に出た。
未明の冷気に首を縮め、橙に色づき始めている山の稜線を見る。今日の天気は晴れだな、となんとなく思った。雨が降るならそうと分かる匂い立つような空気があるのだが、今日はそれがないのだ。最近はこの天気当ても大抵当たる。自分の成長を感じた。
兄が早逝したため、家事一切を自分がやらねばならない。水を汲むのも、火を起こすのも、他の誰もやってはくれないのだ。
共同の井戸には幾人かの女性が水を汲んでいた。朝の挨拶を交わし、私もその輪に加わる。輪に加わるといっても、顔を洗って瓶に水を入れたらすぐに帰るのだが。この時間帯のご婦人方は忙しいから、長話にはならない。昼間などにうっかり顔を出すと、1時間ほど付き合わされるから要注意だ。
水を汲み、家に戻った。そして窯に火を入れて湯を沸かす。朝食は干し肉を入れた麦粥だ。干し肉は塩と香辛料を擦り込んで壁に吊るしてあるだけだが、それだけでも熟成されて美味しくなる。麦粥は味気ないが、この干し肉を入れることで劇的に味が変わり、肉の旨味を吸った汁になるのだ。
袋に入った麦をひとつかみして、煮立った鍋に入れる。壁から一番古い干し肉を取り、やはり同様に鍋に放り込んだ。途端に鍋から立ち上る香辛料の香りが、家に広まっていく。
ラッヘラカンプの街の外れにある家は、小屋と言い換えてもいいみすぼらしいボロ屋だ。しかし流浪の狼人族である兄が、いかにしてこの小屋に住めるように住人と交渉したのか、私は知らない。
郊外に住む農作業や牧畜を生活の糧とする人々もいるのだから、兄と私が街壁の内側に住んでいるのはなんとなく面はゆい。街壁の外もしばらくは聖域であるはずだから、住むのに支障はないのだ。むしろ狩りのために森に行くことを考えれば、距離の点で街の中は不便ですらある。
……その街を、もうすぐ出る。
育った街を離れるのは寂しいが、冒険者になるというのは兄と一緒に叶えるはずの夢だった。冒険者になったら、散り散りになった里の仲間を探しに行くのだと、私たちは決めていた。兄が死んだ今も、それは変わることはない。
私はこの街で育った記憶しかないが、兄と私は狼人族の里で生まれたのだそうだ。そこでは父と母に加え祖父と祖母もいたらしい。想像もつかないが、私には兄以外の家族がいたのだそうだ。
だが里は滅んだ。いつの間にか集落の外縁部が聖域ではなくなっていたらしく、魔物の襲撃により多くの同族が死ぬこととなった。魔物は聖域に近づかないが、しかし全く踏み込めないわけではない。追い立てた餌が聖域に逃げこむようなことがあれば、そのまま入り込んでくることもある。そしてもし魔物の方が群れであるならば、その集落は容易に滅ぼされるのだ。
とはいえ、そう簡単に聖域が荒らされることはない。里が滅んだのは、長らく聖域を更新してこなかったことが原因だろう。魔術に縁遠い狼人族には、今や希少な結界魔術師とのツテがなかったはずだ。人間族の村落ですら聖域を維持できずに滅ぶことがあるというので、こればかりは仕方のない事かもしれないが。
魔物の襲撃から辛くも逃れた兄は私をおぶさり、祖父と共に森の中で襲撃をやり過ごしたそうだ。一晩が経って里に戻ると、メチャクチャになった家屋の残骸と食い残しと思われる同族の死体、そして幾体かの返り討ちにあった魔物の死体があるのみで、生存者は見つけることができなかった。父と母、祖母の死体は見つからなかったそうだが、家はペチャンコに潰されていたそうだから、もしかしたらその下に埋まっていたのかもしれない。
赤ん坊の世話などしたことのない兄と祖父は、恐るべきことに私の世話を試行錯誤でやり遂げ、近くの人里へ逃れた。聖域の範囲がどのくらい狭まっていたのか分からないし、すべての死体を埋葬するには手が足りなさすぎたのだ。腐敗しはじめる死体と一緒に暮らすことはできない。
しかし近くの村も聖域が狭まっており、いつ同様の憂き目にあうか分からない。またそのような村々は農地の維持すらも危うくなっており、二人の男と赤ん坊を受け入れる余裕はなかった。更に言えば私たちが狼人族だというのも悪かった。周囲の村と交流がなかったわけではないが消極的で、閉鎖的な里だったらしい。なるほど今の私も人付き合いが好きというわけでもないから、種族的な特徴なのかもしれない。
ともかくそのような状態で、兄と祖父は私を連れてラッヘラカンプまで流れてきたのだそうだ。祖父がどこでどのように死んだのかは兄もうろ覚えだが、その旅路の途中で亡くなったらしい。
……うん。お腹すいた。
過去に思いを馳せるのはいいが、目の前の鍋が出来上がっており、いい匂いをさせていた。鍋からお椀に流し込み、まず柔らかくなった肉をつまみ上げて口に運ぶ。咀嚼。嚥下。そして粥をぞぞぞ、と啜る。とにかく私はそのような理由で、ぞぞぞ、街を離れて里の生き残りを、ぞぞぞ、ごちそうさまでした。
……探すのだ。
食事自体は十秒で終わった。麦粥とは摂取の面ですばらしい進化を遂げた飲み物であり、肉が主食だ。生きるために肉がいる。だから今日も肉を取りに森に行くのだ。
◇
準備よし。体調よし。
私は〈マイ・ステータス〉を唱え、変化がないかを確かめた。
『名前:シリルの子、フェリシテ
種族:狼人族 年齢:12 性別:女
HP:29/29
MP:2/2
筋力:2 器用:1 敏捷:1 知力:- 精神:- 感知:10
ギフト:〈悪意を嗅ぐ鼻〉
スキル:〈弓技〉〈生物解体〉〈隠密〉〈罠設置〉〈毒物取扱〉
魔術:〈マイ・ステータス〉〈ストレージ〉
弓術:〈影縫い〉〈死点撃ち〉』
変化なし。昨日も狩りが終わった後にSPが増えていないか確かめているので、当然これもない。魔物を殺さねばSPは得られないからだ。
SPは弓を引くために【筋力】に2点つぎ込み、単独での狩りをするようになってからは念のため【器用】と【敏捷】に1点ずつ振った。他はすべて【感知】に振っている。今後もそうするはずだ。というのもギフトが嗅覚に関するものなので、それを活かすためにも【感知】を中心にした成長にするのは自然なことだった。
『〈悪意を嗅ぐ鼻〉:悪意を持つものから、独特の臭気を感じ取ることができます。』
悪意を持つ者は匂いでそれと分かる。ただ残念なことに、対面するまで悪意を持つ魔物というのが存在しないため、狩りの獲物を探すのに役立たないことか。逆に目の前の魔物が自分を餌と認識して襲い掛かってくるのは分かるので、純粋な敵意も嗅ぎ分けることがでるらしい。けど魔物が人類に対して弱腰になるところが想像できないので、やっぱり狩りにおいては役に立つ場面はないとも言える。
若くしてギフトが開花したのは喜ばしいことなのだが、欲を言えばもう少し強いのが欲しかった。弓を撃ったら百発百中とか、お伽話の英雄みたいなのが理想的だ。
……まあ仕方ない。これが私の才能だというのなら、使いこなそう。
これから知らない街で一人で生きていくことを考えれば、おあつらえ向きなギフトなのだ。それにギフトは成長することもあると聞くから、【感知】を鍛え続ければもっと役立つものに変化するかもしれない。この歳でギフトがある者は多くないから、早くから方針を決めて成長できる自分は恵まれているはずなのだ。
背中に弓があるのを再度確認して、家を出た。
朝早くからお勤めを始めている門衛に挨拶して、森の方へ向かう。魔境は食材豊富だが、周囲を魔物に囲まれる危険を常にはらんでいる。そのため、手前くらいで踏みとどまるのが狩りのコツだ。
また森までの道すがら魔物に出会うこともあるが、その場合は幸運の類だと思って森に行くのを諦める。森まで行かずにそれを狩るのだ。ただし犬は肉が不味いので無視するか、戦う羽目になったら殺して尻尾だけ取って見なかったことにするのが吉である。あれが市場に出回るようなことがあってはならない。街の人が可哀想だ。
最近、街にやってきた旅人が狩りをするようになって道すがら魔物に遭うことが少なくなった気がする。ただの気のせいかもしれないが、ハイペースで狩っているらしいから魔物も警戒しているのではないだろうか。
……聞けば、私より日々の稼ぎがいいらしい。
狩りの効率がいいのは、恐らく〈ストレージ〉の容量だろう。人間族のMPは狼人族より多く、きっと私の倍くらいあるはずだ。それが二人分なのだから羨ましい限りである。なにせ2~3匹を狩ったら街に戻らなければならない私と違い、きっと〈ストレージ〉に獲物を納めることすらできるのだ。なんと贅沢な!
SPを使ってMPを増やすこともできるのだが、何の魔術も使えないのにMPを増やすことを思うと業腹だ。無駄すぎて泣きたくなる。きっと同族の先人たちもこのような悩みに突き当たっては、涙をのんで諦めたのだろう。いやもしかしたら開き直ってMPを増やした奴もいるかもしれんが。
……種族の悲哀だな。
そんなことをつらつらと考えていると、いつの間にか森に辿り着いた。さあて今日もやるぞ、と気合を入れなおしていたところへ、背後から声がかかった。
「お~い、フェリシテちゃ~んっ」
振り返ると、私より稼ぎのいい二人組が近づいてきていた。いやこの言い方だとひがんでいるようでみっともないが、どうやら日に銀貨で8枚前後を稼いでいるらしい。そうすると獲物の数も自ずと知れようというもの。
……二人がかりとはいえ、それでも一日に8匹以上も狩るのか。剣士ふたりでそんなに戦えるものなのか?
革鎧すらなく軽装で、いくらなんでも危なっかしい。鎧がないのは私も同様だが、それにしたって気配を殺して遠くから射殺すのとは比べられないだろう。接近したらHPを減らされるし、HPがなくなれば怪我をするのだ。
「あ、やっぱりフェリシテちゃんだったよ。後ろ姿だとフードだから、自信なかったんだ~」
「ハクアとカケルか。なんでこんなところにいるんだ」
そして森は目の前だ。
……まさかその軽装で森に入るというのか?
その危惧は的中で、しかしもっと悪いものだった。
「うん。今日は魔境に入る予定なんだ」
軽く言ってのけたハクアに、私は目を剥いた。
……自殺志願者か!?
いやまさか。そんな様子はない。じゃあ私を謀って何らかの悪事に巻き込むつもりなのかというと、そんな悪意の匂いはまったくない。え、じゃあなんで。なんで魔境に入るのにそんな余裕?
「そういえば見たよ、狩猟組合の熊! あの大っきいの、フェリシテちゃんが一人でやっつけたんだよね!?」
「え、うん」
未だに状況がよく分からないが、熊の件は私だ。確かにあれは恐ろしく強敵だった。うっかり罠に嵌まった大物に浮かれて毒矢を射掛けたが、ものすごく頑丈でなかなかHPを削りきれず、一昼夜も見張る羽目になったのだ。おまけに息の根を止めた後も人を呼ばねば運べない大きさで、苦労した。その甲斐あってか金貨5枚になったので懐は温まったが。
「そうだ。私にかかれば余裕だ」
「はー。やっぱり凄いんだね、フェリシテちゃんは!」
後ろのカケルが「本当か?」って顔しているけど、倒したのは本当だ。真偽を問われたなら、狼人族の矜持にかけて余裕であったと言わねばなるまい。別に日々の稼ぎで負けてるから見栄を張ろうなどとは思っていないぞ。
「いつも魔境で狩りをしているの?」
「え、いや。そんなわけは……うん」
「そっか。じゃあ一緒に行こうよ。私たち、魔境に入るの初めてなんだ」
……え、ちょ。だから初めて魔境に入るのになんでそんな余裕なんだ。あと私を悪意なく巻き込むのはやめて欲しい。いやほんとに悪意ないのかこれ。
私の鼻がオカシイのではないのか。
そんな心配を他所に、カケルも「いいんじゃないか。僕らがついていけないようなら、素直に引き返すし」とか言い出す始末。お前、空気読めよ! 私が嫌がってるの察しろよ!
あと、そんな言い方されると後に引けないじゃないか。狼人族の誇りが疼くのだ。この血が恨めしい。
それにこのままハクアが魔境に踏み込むのを知らんぷりするのは、気が咎める。明日、狩猟組合で二人が帰ってこないなんて話を聞いたら泣きそうだ。そんな邪気のない顔で死に急ぐことはないだろう。
かくして私は、二人の旅人と魔境に入ることになったのである。