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1.プロローグ

「くそ! また死んだ!」


 僕はスマホを投げ出し、ベッドにもたれて天を仰いだ。見知った天井。小学校にあがったときに一人部屋を与えられたから、この部屋とは十年来の付き合いになる。天井の木目は相変わらずとぼけた顔のように見えなくもない。

 何も変わらなかった。

 高校生になった途端にバラ色のハイスクールライフを送れるのだと、どこかで勝手に信じていた。

 だから保育園からずっと一緒だった近所の幼馴染との関係も、それに伴って変わるものだとばかり思っていた。


 高校受験も終わったしさ。次の大学受験までは二年もあるだろ。だからさ、俺と付き合ってくれないか――


 我ながらなんともヒネリのない告白だった。二年あるからなんだ。それが僕と彼女が付き合う理由にでもなるのか。


 ……実際、ならなかったもんなあ。


 ごめん。ってハッキリ耳に残る彼女の声。そこには十年来の幼馴染に対する親しみはなく、冷たい拒絶といつの間にか遠くなっていた距離感だけがあった。


 思えば中学時代。小学校にあがる前から互いを知っていたと言ったときの彼女の反応はどうだったろうか。いまにして思えば、彼女は周囲の友人に対して、そんな特別感のある言い方をされて困る、といったような顔をしていなかったか。やめてよ。って言いながら。


 うああ。死にてぇ。


 昨日、何気なく見た彼女の髪留め(バレッタ)が新しいことに気づいた。いつから新しくなっていたんだろう。それが分からなくて、そんなことも聞けなくなっていて。なんだか彼女の日常と僕の日常がひどく乖離しているように思えて焦った。

 もう僕と彼女の日常が交わることはない。というか明日からどうやって顔を合わせればいいんだろう。


 ……ああ。この世から消えてなくなりたい。


 ブゥン、とスマホが鳴って、僕は飛び上がるほど驚いた。いったい誰からだろう。

 浮かぶ顔ぶれは毎日バカなことを言い合う友人たちのもの。そして彼女の顔がチラリ。


 だがメッセージはそのいずれでもなかった。


『異世界に行きませんか?』


 剣と魔法のファンタジーワールドで、冒険の日々を送りませんか。新しい人生が貴方を待ってます。興味のある方は返信してください!


 …………なにこれ。


 新手の詐欺だろうか。迂闊に返信したら「有料サービスに登録されました。お金を払ってください」とか言ってくるやつ。このまえテレビで見た。


「てい」


 だから返信してやった。知っていれば怖くないのだ。


 ……さあ、なんと言ってくるかな。


     ◇


 そして僕は、応接間のような場所にいた。いや。ような、ではなく応接間だ。低くて使いづらそうな机を挟んで革張りのソファが二脚、向かい合わせに配置されている。僕はその片方に座っていた。

 壁には『創るのは一週間だが、保守運用は一生である。神』というシュールな文言の入った額縁。

 そして向かいのソファにはひとりの女性(天使)が座っていた。


 …………。


 いや比喩ではなく、天使だ。なぜなら巨大な羽根を背負っているし、頭の上に蛍光灯みたいに光る輪っかが浮いている。ただしリクルートスーツだった。顔は割りと可愛くて、スーツの上からでも胸が大きいのは見て取れた。

 そして天使は営業用だと思える、どこか突き抜けた明るさの笑顔を浮かべて言った。


「いらっしゃいませ!」

「いや、あの……」

「これから貴方は、剣と魔法のファンタジーな世界に旅立ちます」

「決定かよ!」


 戸惑いよりも焦りよりも、まずその世界観が分からない。どういうことだ。なぜスマホでメッセージを返信した途端に応接間に瞬間移動しているのだ。


「返信しただけでこの仕打かよ。どういうことなんだ、説明しろ!」

「あーはい。えー」


 天使の視線が彷徨いながら、虚空を探す。なにか書いてあるのか、それとも何か書いてあるわけじゃなくて返答に詰まっているだけなのか。僕にはどちらか判断できない。

 そして天使は言った。


「この世界で死んだ人間の魂は、死後の世界で疲れと罪を洗い流し、身ぎれいになってまた人間に戻ります」

「うん。それで」

「そのために適度に刺激的でかつ楽しめる死後の世界、つまり異世界を我々は提供しているのです」

「ほう、面白い宗教観だな。それで」

「その異世界のひとつが最近、魔物の勢力が強くなりすぎて人類の存続が危うくなりつつあるのです」

「ふうん?」

「そこで我々はこの世界に未練のない人間を英雄として送り込み、魔物の討伐、最終的には魔王の討伐まで視野に入れてお願いして――」

「待て待て、ちょっと待て!」


 僕は手で話を遮り、言った。


「なんで僕がこの世に未練がない、みたいな言い方になってるんだよ! まだ十六にもなってないぞ! 他に適任者がいるだろう!?」

「いやそれがですね。人生経験豊かな大人を送り込みますと、その知識で文明を破壊しかねないのではないか、という慎重な意見がありまして。できれば若い方がいい、と」

「それでなんで僕が? 他にもっとこう、イジメで世を儚んでるような奴とかいなかったのか」

「いやーあんまり後ろ向きな方だと、困るんですよね。傍若無人に振る舞われた挙句に、荒んだ世界がいくつかありまして」


 確かに。自暴自棄になっていた奴が異世界に行って英雄になれるか、(はなは)だ疑問だ。現に失敗例もあるらしいし。


「……じゃあそれはいい」

「はい」

「そもそもなんで人間を送り込まなきゃならないんだ。神様とか天使とかで、パパっと解決すればいいじゃないか」

「あーよく言われるんですよそれ。でもダメなんです。規則でして」

「規則ゥ?」


 僕は最後の「ゥ」にアクセントをおきながら、下唇を突き出した。


「はい。私たちは決して世界に直接、介入してはならないのです」

「いやいや、今めちゃくちゃ介入してるよ! 人間ひとり送り込もうとしてるじゃないか!」

「そういう間接的なことは大丈夫なんです。前例がありますので」


 前例があればいいのか。なんだかユルそうな規則だ。


「じゃあそこは百歩譲っておくとしよう」

「ありがとうございます」

「だいたい、家族になんて言えばいいんだ。異世界の魔王を倒すために勇者になります、とでも言えというのか」

「あ、そこはご安心ください。親類縁者からも公的記録からも、お客様に関する記憶と記録は完全に消去しておきますので。ご家族に心配させることはありませんよ」

「安心できねえ……」


 ナチュラルに僕を世界から抹消とか、なに怖いこと言ってやがるんだコイツは。だいたいこの言い方だと、魔王とやらを倒しても元の世界に戻れそうにない。片道切符だ。


「あとな。そもそも送り込むのは英雄なんだろ。僕にそんなチカラはないぞ。五教科は平均以下だし、体育も三しかないんだが」

「それはもちろん、わたくしどもの万全のフォローがありますので、ご安心ください」

「万全のフォロー? 具体的には?」


 僕が訝しげな視線を送ると、天使は営業スマイルで言った。


「異世界への移住には特典として『ありとあらゆる望みひとつ』を叶えることになっております。最近はチート能力が人気ですかね」

「ほう。どういうものなんだ」

「ステータスやアイテムの鑑定能力、剣の才能、魔法の才能、あとはやたら異性に好かれる、などが人気ですね」

「最後のはロクでもないな」


 だが一番欲しいのは最後のかもしれない。僕も年頃の男子だ。異世界でハーレムでも作って傷心を癒やすというのもアリか。


 そして僕はふっと遠くに目をやり、言った。


「だが断る。僕はそこまで現世に絶望していない」


 そしてソファを立ち上がり、周囲を見渡して気づいた。

 出口がない。いやそれどころか窓すらない。なんだこの応接間は。


 ポカンと口を開けた僕に、天使は言った。


「どうぞおかけ直しください」

「出口は、どこに」

「おかけください」

「……はい」


 僕は座り直した。なんだこれは。拒否もへったくれもない。ひどい応接間があったものだ。天使じゃなくてヤクザの応接間だったのかここは。いきなりヤクザの出てくるファンタジーなんてあり得ないだろ。

 天使は改めてにこやかな笑顔で、僕に問うた。


「それで。望みはどうしましょうか」

「決定なのか……異世界に行くのは……」

「はい。もちろんです」

「もちろんなのか……」


 やっぱり拒否権なしかよ。いったい何をもらったら現実の人生を棒に振る価値と釣り合うっていうんだ。

 望み、望み……。今の僕の望みはなんだろう。何があれば異世界で生きていけるんだろう。


 そこで脳裏に浮かぶんだのは、紛れも無く彼女の顔。僕の想像の中でだけは、はにかんだ笑顔でいてくれる彼女。

 きっと今は顔を合わせれば気まずくなって、目を逸らされたりするんだろうな。


 異世界に行ってモテて、僕は彼女を忘れられるだろうか。否!

 異世界で戦いに戦って血に酔えば、彼女を忘れられるだろうか。否!

 欲しい。彼女が……僕は一条(いちじょう)白亜(はくあ)が欲しいんだ!!


「天使。()()()()()()()()()()()()()()()が欲しい」

「…………は?」

「それが僕の望みだ」

「え、えー?」


 天使は首を傾げながら言った。


「それは、その。おひとりでは異世界に行かないという意味で?」

「違う。昨日、僕の告白を断った彼女ではなく、オッケーした場合の彼女を作って渡せ」

「えー!?」


 今度こそ天使は仰け反って僕を見た。やめろよそんな目で見るの。傷つくだろ。


「わ、分かりました。死んだ妻を生き返らせてくれ、みたいな望みはありますので。改変したコピーをお渡しすることはできます」

「え? ほんと?」

「はい……」


 なぜかゲンナリした天使は、指を振って一枚の紙を机の上に出現させた。書面の題字(タイトル)は『異世界渡航契約書』。名前を書く欄には捺印マークもある。

 更に『契約要綱』と書かれた小さな冊子も差し出された。開いてみると文字がびっしり並んでいたので、閉じて横に置く。


「ではご記名と捺印をお願いします。拇印で構いませんので」


 天使がボールペンと朱肉を出したので、僕は名前を書いて親指にインクをつけてペタリと押印した。


「はい。これで契約は完了です。異世界に行ってもメッセージのやりとりはできますので、何か質問等がございましたらお気兼ねなく尋ねてくださいね」

「ん? どうやってメッセージをやりとりするんだ?」

「はい。視界の隅に表示されるアプリケーションを起動していただきますと、わたしとメッセージのやりとりができます」


 ぽん、とフキダシのアイコンが視界の隅に現れたので、それに意識を向ける。すると目の前にスマホで見たことのあるテキストチャット画面が現れた。


「これは……」

『このようにメッセージが表示されます。二十四時間、三百六十五日、休まず対応いたします』


 休みがないのか。天使も大変だな。

 僕は同情の視線を向けると、天使はにへらと笑って返す。ブラックだとわざわざ教えてこの笑顔を曇らせる必要もない、か。

 そして天使は告げる。


「では異世界へ一名様、ご案内~!」


 ぐるりと世界が回って、僕の意識はそこで途切れた。


     ◇


 目覚めると草原の真ん中に立っていた。心地よい風。緑の匂い。紛れも無く自然のど真ん中だ。


「わあ。ここが異世界?」

「――っ」


 ぎょっとして横を見れば、そこに白亜がいた。

 ショートカットの黒髪をバレッタで留め、眩しそうに手をかざす。輝くような笑顔で、彼女が僕を見た。

 その表情が(かげ)るのではないか、と思うと同時に胸がズキリと痛む。だが杞憂だった。


「えへ。昨日ぶり、だね」

「お、おう」


 頬を染めて目を逸し、白亜は自分の腕を抱いてもじもじしている。


「一条、昨日は……」

「カケル。もう……せっかく彼氏彼女になったのに。昔みたいに呼んでよ」


 唇を尖らせて白亜は言った。


 それは。その反応は……!


 僕は高鳴る胸の鼓動を抑えられずに、彼女を抱き寄せた。


「白亜!」

「ちょ、なに? どうしたのカケル」


 身体をこわばらせ、でもすぐに白亜は僕に体重を預けた。甘い香りと柔らかい身体。ほんのりと温もる体温。彼女の気持ちが僕に向いているのを目一杯に実感して、胸が熱くなる。


 ……勝った! 僕は人生に勝ったぞおおお――ッ!!


 かくして、僕の異世界生活は幕を開けたのだった。

新連載開始です。ご意見、ご感想、お待ちしております。

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