2. 誤算
翌日は土曜で、朝から長い練習日だった。
昨日見たものが、まだ目の奥にあった。
星莉は少し早めに来ていた。
第二体育館の入口で上履きに履き替えている。まだ制服のままで、髪も結ぶ前だった。
ハルカは手を上げかけてから、「おはよ」と声をかけた。
「おはようございます」
返事は丁寧で、短かった。
この日は二年と三年の位置を細かく合わせる日で、いつもより全体の目が増えていた。誰かの視線が常に横切り、少しの遅れやズレが目につきやすい。星莉にはあまり向かない日だろうと、ハルカはなんとなく思った。
実際、その予感は当たった。
星莉は覚えるのが早い。
移動のラインもきれいだし、足ももつれない。けれど、全員で鏡に向かった瞬間だけ、呼吸の通り道が少し狭くなる。腕が行けるところまで行く前に、手前で帰ってくる。
休憩で水を飲んでいるとき、二年の真帆が小声で言った。
「星莉ちゃん、うまいですよね」
「うん、基礎あるよね」
「でもなんか、昨日より小さくなってないです?」
真帆にもわかるくらいには出ていたのか、とハルカは思った。
午後の最後の通しで、三年の一人が移動のタイミングを少し外した。
列全体が半歩ずれかける。ハルカは左足をひとつ余計に踏み、腕の軌道を変えて正面を合わせた。誰も気づかないくらいの修正だったが、それで全体の見え方は元へ戻った。
曲が終わる。
顧問が「今の一回よかった」と声をかける。ハルカはタオルで首を拭きながら、鏡越しに星莉を見た。星莉は鏡を見ていなかった。
練習が終わり、部員たちが荷物をまとめ始める。
星莉は今日も最後のほうまで残っていた。
「星莉」
呼ぶと、星莉はすぐに振り向いた。
「はい」
「昨日さ」
そこまで言って、ハルカは一度だけ息を吸った。
「一人でやってたときのほうが、ずっと伸びてた」
体育館の空気が薄くなる。
星莉のまばたきが止まる。
「……そうですか」
星莉は数秒、何も言わなかった。
それから、ほとんど抑揚のない声で言った。
「気のせいです」
「いや、気のせいっていうか」
「先輩がそう見たいだけじゃないですか」
ハルカは口を閉じた。
星莉はタオルを鞄にしまい、ファスナーを閉じる。その指の動きは乱れていない。
「失礼します」
背筋をまっすぐに保ったまま、星莉は体育館の扉のほうへ歩いていく。
扉が閉まる音のあと、ハルカはしばらくその場から動けなかった。




