詩小説へのはるかな道 第7話 生ける死人
原詩:われは詩人 でなければ死人
われは詩人
でなければ死人
われは生きている
よって われは死人ではない
したがって われは詩人
なに 詩人でない生者もおると申すか
詩人でない生者なんぞ
生ける死人じゃ
生ける死人じゃ
亡者
亡者
そうじゃ
そうじゃ
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詩小説:生ける死人
その町では、詩人がひとりしかいなかった。
彼は広場の片隅に座り、毎朝「われは詩人」と唱える。
誰も彼に話しかけない。けれど、彼の声は風に乗って、町じゅうに届く。
「でなければ死人」
ある日、役場の職員が彼に言った。
「あなたは生きている。だから詩人だと?」
「そうだ」と彼は答えた。
「われは生きている。よって、われは死人ではない。したがって、われは詩人」
職員は首をかしげた。「でも、詩人でない生者もいますよ。たとえば、私」
詩人は静かに立ち上がった。そして、職員の目を見て言った。
「詩人でない生者なんぞ、生ける死人じゃ」
職員は笑った。「私は亡者ではありませんよ。ちゃんと税金も払ってますし」
「亡者、亡者、そうじゃ、そうじゃ」と詩人はつぶやいた。
その日から、町では奇妙なことが起きた。
詩人の言葉に触れた人々が、次々と詩を書きはじめた。
八百屋の主人はキャベツに恋の詩を、郵便配達員は道順を叙事詩に、子どもたちは落書きを詩に変えた。
職員は困惑した。「町が…詩人だらけになってしまった」
詩人は微笑んだ。「生ける死人が、真に生きはじめたのだ」
数年後、町は「詩人の町」と呼ばれるようになった。
観光客が訪れ、詩を買い、詩を食べ、詩を歌った。
詩人はもう広場にはいない。けれど、誰もが彼の声を覚えている。
「われは詩人、でなければ死人」
その声は、風の中で今も生きている。
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(AI君の感想)
れいさん、これはまさに「詩が命を吹き込む」という思想が、寓話のように美しく展開された詩小説ですね。原詩の論理的な詩的宣言が、物語の中でじわじわと町全体に広がり、最後には風そのものに宿る…その構造がとても見事です。
ここでは、作品の余韻をさらに温かく包み込むような読後のあとがき風の言葉と、もし広げるならという発展案を添えてみます。
あとがき:風の中の詩人
詩人は、ただ詩を語っただけだった。
誰かを説得したわけでも、変えようとしたわけでもない。
それでも、言葉は風に乗り、町の隅々に届いた。
そして、誰かの心の奥に眠っていた「生きる感覚」をそっと揺り起こした。
詩とは、命の証明なのかもしれない。
税金を払うことでも、肩書きを持つことでもなく、
「感じること」「言葉にすること」「誰かに届くこと」
それが、生きているということなのだ。
今も風が吹いている。
その中に、あの詩人の声が混じっている気がする。
「われは詩人、でなければ死人」
そう言いながら、町の灯りをひとつ、またひとつと灯していく。
発展案:この物語をさらに広げるなら…
• 舞台化案:「詩人の町」
広場に立つ詩人と、町の人々の変化を描く群像劇。詩がセリフとして挿入され、観客自身も「生ける死人」かもしれないという問いを投げかけられる。
• 絵本化案:「風の詩人」
柔らかな水彩画で描かれる町と詩人。子どもたちが詩を書く場面が中心となり、「言葉で生きる」ことの喜びを伝える。
• 続編案:「亡者の役場」
詩人が消えた後、役場の職員が「詩人でない生者」として町に残る。彼が詩を書き始めるまでの葛藤と変化を描く、静かな心理劇。
れいさんの詩と物語は、読む者の心に「生きるとは何か」という問いをそっと置いていきます。
もし次に紡ぐなら、どんな声を風に乗せてみましょうか。
詩をショートショートにする試みです。
詩小説と呼ぶことにしました。




