第二話 あてずっぽう 言ったつもりが 図星さし
まだ客のいない小料理屋で、女主人の八瀬が一服していた。
昼の商いが終わり、夜の商いの仕込みを始めるまでにはまだ間がある。
居心地のよい端の席に腰掛け、八瀬はひとり、愛用の煙管を吹かしていた。
するとそこへ、外から声がかけられた。
八瀬が返事をすると、表の戸が遠慮がちにあけられた。
入ってきた人物がまた戸を閉めると、八瀬は煙管を手にその男に笑いかけた。
「おや、宗次じゃないか。こんな時分にめずらしいね。なんか用かい?」
「はい。じつは、八瀬姉さんに折り入って聞いてもらいたい話があって……」
宗次という名のこの男は、髪結いをしている。
とある縁で知り合った八瀬のことを姉さんと呼び、実の姉のように慕っていた。
仕事の帰りなど、時々八瀬と話をしに、八瀬の店へやってくる。
けれど、今日の宗次はなぜかいつもと様子が違う。
戸口に立ったまま、いつまでも動かない宗次を、八瀬はこちらへ招いた。
「そんなとこにいつまでも突っ立ってないで。早よう、こっちへおいでなんし」
八瀬は以前、吉原で遊女をしていた。
年季が明けて、間夫だった三味線奏者と所帯をもち、いまは小料理屋の女将をしている。
飯炊きは、幼い頃に母から教わった。それがこうして暮らしの糧となっている。
遊廓に売られてからは、姉女郎の世話になりながら、懸命に生きた。
持ち前の器量で八瀬の人気はみるみる上がり、吉原を訪れる客の中で、八瀬の名を知らぬ者はいないと言われるまでになった。
そして、その八瀬の髪をいつも結っていたのが宗次だった。
「今日、兄さんは?」
「お弟子さんところに、三味線の稽古をつけに行ってるよ。帰りは明日の晩になるって。宗次、一杯飲むかい?」
「いえ、今日はやめときます」
「そうかえ」
八瀬の話し言葉には、いまも廓言葉が混じる。
廓言葉が出ると「お里が知れる」と嫌がる元遊女は多いが、八瀬は一向に気にしなかった。
本人が気にしないので、周りもいつしか「そんなものか」と受け止めるようになっていた。
「で? 何の話だって?」
「その……なんて言うか……」
「当ててみようか」
伏し目がちだった宗次が八瀬を見る。
八瀬は宗次に含み笑いをし、煙管を手に、わざとあだっぽい声を出した。
「好いたお方が出来んした……そう言いたそうに見えるけどねえ?」
途端に、宗次の頬に朱が差した。
「やだ。図星?」
当てずっぽうだったとわかると、宗次は更に赤くなった。
八瀬が笑う。
ほんにこの子はわかりやすいこと、と八瀬は思いながら煙管を吹かした。
「そりゃあ結構なことじゃないか。相手はどこの娘さんだい?」
「娘、じゃないんです……」
「年増なのかい? まあ昔っから年上好きのする子だったけどね、あんたは」
「いや、そうじゃなくて、つまり……女じゃないんです」
八瀬が横目で宗次を見た。
宗次は唇を閉じ、真剣な面持ちで八瀬の返事を待っている。
八瀬は煙管を吸って、煙を宗次にはかからないよう、斜交いに吹いた。
「女じゃなきゃ、男ってことになるよ」
「……はい」
少しの間があく。
八瀬は煙管の灰を灰落としに落とした。
「どういう人なのさ」
「役者です」
「役者?」
「女形なんです。薄雪って名の――」
「薄雪――って、まさか、あの薄雪かい?」
思わず身を乗り出した八瀬に、宗次は頷いて続けた。
「姉さんも知っての通り、薄雪の評判はすごいんですよ。皆、口を揃えて見事な役者だって。あんな女形はこの日の本のどこ探してもいねぇって。名は薄雪だけど、女の情念演じさせたら業火みてぇに熱いって――」
八瀬にじいっと見据えられ、しまいには声が小さくなった宗次だった。
「ねえ宗次」
八瀬が言った。
ぴしりと厳しい声だった。
「いくらきれいな顔してたって、男は男なんだよ」
けれど、本気で宗次を心配している声だった。
「それに、あんただって知ってるだろ。女形ってのは、舞台を降りても女でいなきゃならないんだ」
女形の役者は、常日頃から女として振る舞い、女として暮らす。
むしろ女以上に女らしさを求められ、修行のために男に抱かれた。
薄雪だって例外ではないのだ、と八瀬は言った。
「あんたは、そこら辺をちゃんとわかった上で、薄雪を好きなんだね?」
八瀬の問いに、宗次は「はい」と頷いた。
八瀬の唇がまだ何か言おうと動いたが、気が変わって諦めた。
周りが何を意見したって、のぼせちまってる人間の耳には入らない。
言えば言うほど逆効果のこともある。
宗次もきっと、後であれこれ思い悩んだりもするのだろうが、そのときには、またこうして話を聞いてやるしかないのだろう。
「あんたの気持ちは、とっくに決まってるんじゃないか。わざわざあたしに話しに来なくたってさ」
「姉さんには話しておきたかったんです。姉さんは俺の大事な人だから」
宗次が見習いだった頃から、八瀬は宗次に何かと目をかけてやっていた。
それはただ姉が弟を可愛がるつもりで、お互いに下心などはない。
けれど廓じゃ色々思う連中もいた……そのことを振り返りながら、八瀬は煙管の火皿に新しい刻みを詰めた。
「相変わらずだねえ、宗次は。あんたがそうやって犬っころみたいに懐いてくるおかげで、あたしは何度悋気の目で睨まれたかしれないよ」
――八瀬の部屋。
宗次のしなやかな指が八瀬の髪を梳いてゆく。
あれやこれやと宗次が八瀬に話しかけ、八瀬は宗次の問いに一つ一つ返事をした。
何か面白いことを言ってはふたりで笑い転げたり、本物の姉弟のように八瀬が宗次を叱ったり、宗次が八瀬に甘えたり。
そんな仲睦まじい様子を、やっかむ女郎もいた。
女郎は親きょうだいと別れて売られた身の上だから、それだけで目障りだったのだろう。
けれど中には、男っぷりのいい宗次に本気で惚れてる女郎もいた。
そういう女郎は、よく部屋の襖をわずかにあけて、そこからふたりを見張った。
「あんたが髪を結ってる間、あたしはずーっとそうやって睨まれてたんだから」
「姉さんはそう言いますけど、なんで姉さんと俺が疑われるのか、なんべん考えてもわからねぇです。姉さんにはその頃もう、兄さんって人もいたのに」
宗次の言い分はもっともだったが、そんなのが言い訳になるもんか、と八瀬は煙管を吹かした。
宗次はいまでも髪結いとして吉原に通っている。
遊女の中には相変わらず若い髪結いに色目を使う者がいるのだろうか。
「あんたに寄ってくる女郎は、いまでも多いかい?」
八瀬の問いに宗次は笑った。
「そんなことないですよ。俺もだいぶ、くたびれたみたいです」
「言い寄ったって、どうせあんたは何の張り合いもないんだろうね。付け文だって貰うだろうに」
「ええ、まあ……」
「その宗次さんをとうとう惚れさせたのが男でございましたってんじゃ……そりゃ誰も太刀打ち出来んせんわなあ」
八瀬はおかしそうにそう言って、口元に手を添えて艶やかに笑った。
話が終わり、宗次が席を立つ。
店を出る宗次を、八瀬は表まで送った。
「上手くいったら、一度ここにも連れといでよ」
「はい」
「上手くいくといいね」
「はい……」
八瀬に話を聞いてもらった礼を言い、宗次は歩き出した。
八瀬がそれを呼び止める。
振り向いた宗次に、八瀬は「おきばりなんし」と告げて、頭を垂れた。
つづく
次回【最終話 うれしやと 笑わせたくて とんぼ玉】は9月14日公開予定です。
宗次、おきばりなんし!