表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

第一話 つまずいて ぬげた草履に 取り持たれ

 その日は八幡様の縁日だった。


 境内にはたくさんの露店が出ていた。

 団子、飴細工、金魚売り……

 太鼓や笛の音も響いており、参道はたいそうな賑わいだ。

 

 薄雪(うすゆき)は、人から顔が見えないように、頭巾がわりの手拭いをかぶってきた。

 薄雪は、売れっ子の女形役者だった。

 勝手に出歩くことは禁じられていたから、ばれちゃまずいのだ。

 危ないのを承知で出かけてきたのは、ちょっとした冒険心と――『蜻蛉玉(とんぼだま)(かんざし)』だった。


「薄雪は、蜻蛉玉って知ってるかい?」


 ある日、芝居仲間にそう聞かれて、名だけは聞いたことがあると答えた。

 芝居仲間は薄雪に、「俺もお客さんから聞いたんだけど」と話し始めた。

 蜻蛉玉は、ギヤマンの玉に、花や渦のような模様が浮かんだものだ。

 陽に透かすと、玉の芯に光が揺らめく。

 さまざまな模様があって、ひとつとして同じものはないのだという。

「へえ……見てみたいな」

 薄雪の頭に、蜻蛉玉のおぼろげな絵が浮かんだ。

 出入りの小間物屋に頼めば、探して持ってきてくれるだろう。

 けれど、そんなにきれいで、しかも唯一無二だというなら、自分で選んで買いたいと薄雪は思った。

 この近くで売ってるところはないか、あとで女中にそれとなく尋ねてみると、「近くだったら、今度の八幡様の縁日にもあるんじゃないですかねえ」と言われた。

「あたしでよけりゃ買ってきましょうか?」

 女中は薄雪にそう言ってくれたが、すぐに考え直して、

「ああ、けど、縁日の露店なんかより、小間物屋さんに言えば、ちゃんとしたのを持ってきてくれますよね」

 そう言って、また仕事に戻っていった。


 人でごった返す参道に、薄雪は気後れしそうになりながら、なんとか前に進んだ。

 手拭いの一片を軽くくわえて、伏し目がちに歩く。

 蜻蛉玉、蜻蛉玉。蜻蛉玉の簪はどこだろう。

 軒を連ねる屋台にきょろきょろしながら歩いていると、ふと目の前に男が三人、立ちはだかった。

 男たちは薄雪の、手拭いで隠した顔をじろじろと覗いてきた。

「人ちげぇだろ」

「あの薄雪がこんな所にいるもんか」

「けど、このほくろ……」

 薄雪の唇のすぐ下には、小さなほくろがあった。

 その憎らしいようなほくろは、整った薄雪の顔立ちに胸苦しいほどの人間味を与えていた。

 巷で売られる役者絵にも、もれなくそのほくろは描かれている。

 男たちから不躾な視線を送られた薄雪は、うつむき加減でその場を去ろうとした。

 すると男たちは「ちょいと待ちなよ」と通せんぼをしてきた。

 群衆にうまく紛れ込めたと思ったのに――

 どうやって切り抜けようかと薄雪が思案したそのとき、横から別の男が割って入った。


「なんだ、こんなとこにいたのか」


 不意に現れたその男は、三人の男たちに軽く会釈をすると、「すまねぇな。こいつは俺の女房だ」と言ってのけた。

 薄雪が反論する間もないまま、男は薄雪の手を引いて、参道の外へ連れ出した。

 うしろでは三人の男たちが「女房だとよ」「ほら見ろ、だから言ったろ」「そうだな、こんなとこに来るわきゃねぇな」と話しながら去っていった。


 参道脇の松の木の下まで、薄雪は手を引かれたまま連れていかれた。

 助けてくれたのはありがたいが、少し強引すぎないか。

「待っておくれよ、誰が女房だって――」

 そう文句を言いかけたが、男の歩みが早いものだから、松の手前で石につまずき、草履が片っぽ脱げた。

「あ」

 男は薄雪を振り返ると、同じように「あ」と声にした。

「すまねぇ。待ってな」

 男が脱げた草履を拾ってくるのを、薄雪は松の幹に身を預けて待った。

 戻ってきた男は薄雪の足もとにしゃがむと、草履を履かせようとした。

 鼻緒は青地に、淡い紫の小花が染められている。

 滑らかな肌をした形のよい足に、その草履はよく似合っていた。

 だが男が草履を履かせると、かかとがはみ出た。

 足に合わない草履を不思議に思った男が、顔を上げて尋ねた。

「この草履、小さくねぇか?」


 その瞬間に、目が合った。

 見上げる男と、見下ろす薄雪。

 男の表情が驚きに変わるのがわかった。

「え……薄雪……?」

 薄雪は、そのことについては何も言わず、先の問いにだけ素っ気なく答えた。

「この草履、気に入ってるから」

 男は、そう答えた薄雪に頷いた。

「そうだな……よく似合ってる」

 男は膝をついたまま、薄雪を見つめて言った。

「きれいだよ」


 それまで聞こえていた参道のざわめきが、薄ぼんやりと遠くなった。

 見つめられる目を、お互いにそらすことができなかった。

 まるでこの松の木陰だけ時が止まったような、奇妙な心持ちになった。


 そう錯覚するそばで、お囃子の笛がピイと響いて、止まっていた時の歩みがもとに戻った。

 夢から覚めたような二人の耳に、周りの音が再びざわざわと聞こえてきた。




 つづく

 次回【第二話 あてずっぽう 言ったつもりが 図星さし】は9月13日公開予定です。

 八瀬姉さんが登場します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ