08. 苦労性な弟 リチャード(上)
父のダレルが投資に失敗した。今回は相当額の損失を出したらしく、長女のマリー主導で金目の家財が売り払われ、随分家の中がすっきりした。
(姉さんが甘やかすから)
リチャードは、父が失敗するに至る過程がなんとなく分かる。もう既に亡くなった母アンも、姉のマリーも、父よりずっと経営者のセンスがある。母はそれを見込まれて縁談が組まれたと思われる。
父はそれをずっと気にしていたのだ、たぶん。
母の死後、父は経営の舵取りをするつもりが、マリーが母の席を継いだ。つまり、また父は経営者になれなかった。その居心地の悪さをどうにか打開するための投資なのだ。
「父さん、さすがにもう凝りたろ」
がらんとしたリビングで頭を抱える父に声をかけると、父は少しだけ首を縦にふった。翌日から父は完全に領主業に関わることをやめ、完全なる名ばかり領主となった。
姉2人が学問は大事だからと、リチャードを学校に通わせ続けてくれている。感謝の念しか無い。
学校の方では、ラトリッジ家が投資に失敗したという話はすぐに広まった。しかし、そんな噂話で距離を測らねばならないような繊細な身分の人間は、リチャードの周囲にはいない。せいぜい運が悪かったな、と笑われるくらいである。その程度で済むくらいに、生活水準は下がっていない。元から貴族にしては低いのだ。
長女のマリーは領地経営の指示を出しながら、王宮に勤務し始めた。どんな仕事かは知らないが、しっかりと安定した給料が入ると喜んでいた。次女のフレアはマリーの指示を実現するために忙しそうにする傍ら、家庭教師のようなことで働きに出ている。
状況から考えて、リチャードは今後2人の姉と協力して財産を増やし、可及的速やかに仕事に慣れ、姉の嫁ぎ先を見つける必要がある。その上で父の面倒まで見ながら自分の嫁を探すのだ。中々難易度が高い。
そんな風にリチャードは、ぼんやりと不明瞭な不安を抱えながら友人らと学生生活を送っていた。その状況に変化があったのは、マリーが職場を異動してすぐの事だった。
「ラトリッジ家に投資話を持ちかけたのは兄かもしれない。
本当にすまない」
グラットン家の四男坊、カーティスに呼び出されたときは喧嘩をふっかけられるのかと思ったが、騎士の一族らしい大きな体を縮こまらせて、青い顔でそんなことを言ったのだ。
「兄って」
「行方不明の方の」
短いやりとりだが、リチャードは納得した。
グラットン家には騎士と、騎士を目指す男ばかり5人兄弟の家だが、次男坊は素行が良くないという噂話がリチャードの耳に入る程度には流れていた。その次男坊はなんとか騎士として就職したものの、突然姿を消したという。
「親父からは決定的な証拠なんか無いって聞いてるけど、俺は聞いたんだ。
兄貴が『小芝居を打つだけで助かるんだ』って言ってたし、ラトリッジ家の名前も出てた。
それで、投資話の結末を聞いて青くなって、慌てて誰かに相談しに出かけて、次の日には居なくなった」
「お前が俺に謝らないといけない理由は無いだろ。
家単位の話は知らないけど」
誰かに相談した後、姿を消したというのは確かにきな臭い。
「兄貴はさ、イーストン隊長に心酔してたんだよ、神様を信じるみたいに。
直接お会いできる立場じゃないから、相談って誰にしてたか分からないけど。
仕事を放り出した兄貴に親父は怒って、勘当して終わりだったけど、他でもないラトリッジのお姉さんが異動したから怖くなったんだよ」
えらく恐ろしい話を持ち込んでくれたものである。
「うちのバカ親父も『詐欺だ』って騒いで捜査してもらったけど、全然見つかってない。
公には終わった話だろ」
「捜査する奴らが公正公平とは限らない」
暗い顔でいうカーティスに、下級貴族らしい理不尽を味わってきたという連帯感が少しだけ湧く。
「お前の謝罪じゃないけど、情報提供はありがたく思う。
でも、うちもそっちも、本当の事を主張できるほどの力は無いよ」
リチャードがはっきり言うと、カーティスは諦めがついたのか力なく「そうだな」と引き下がった。
ダレル本人に投資話を持ちかけてきた人物の外見を確かめることはできるが、確かめた所で何も生まれない。リチャードはこの話を誰にも話さずにおくことに決めた。心配してもらったマリーの異動も、仕事ぶりを評価してもらったのだと思っている。怪しく思ってしまうのは、カーティスの不安に巻き込まれただけだ、と。
その思いが揺らいだのは、姉2人の話を聞いてしまったときである。
「伯爵と、昔領地でお会いしたことがあるみたい」
細かい単語や言い回しまでは覚えていないが、マリーは確かにそんなことを言っていた。初耳である。
(イーストン伯爵の名前が出てきすぎだろう)
こんなに不気味に思うのは全てカーティスのせいだと、少し腹立たしく思いながらも、リチャードはランプを持って屋根裏に登った。母は起こったことを短く事務的に日記として記録しており、亡くした直後はよく手帳を見て寂しさを紛らわせたものである。
イーストン伯爵は庶子で、幼い頃は母方の祖父母に預けられていた。姉と昔領地で会ったことがある。この2点だけで、接点を持つことができる機会はごく僅かである。
棚に並んだ手帳の中から、姉より少し年上の伯爵が物心がつきそうな時期、姉が四歳頃の時期の手帳を開く。埃っぽい、古い本の匂いが懐かしい。この辺りはまだ、リチャードは産まれていないので開いたことがない。
それらしい記述が最初に見つかったのは、3冊目のマリーが六歳の頃の手帳である。
『孤児院から、養育放棄された子の世話もして良いか相談あり、了承』
『孤児院の子をガーデンパーティーに招く。
算術でマーカスが優秀』
『マーカスが祖父母死亡のため孤児院に入る。
就職先に当家を提案』
『マーカスが実父のイーストン伯爵に引き取られた』
記述はその一冊にしかなく、それも四ヶ所だけである。伯爵はルーカスだったはずだが、引き取ったときに名前を変えることはあり得る。
(確かに居たようだけど)
そこまで粘着して嫌われるような酷い扱いをしていた訳では無さそうだ。雇い入れる申し出をされたことが、後から腹立たしくなったと言われたらどうしようもないが。
リチャードがもやもやとしている間に、伯爵はマリーとの距離を若干焦り気味に詰めてきているようだった。マリーがブサイクとは言わないが、若く、強く、美しい伯爵から言い寄られるほど魅力的な女性かと問われると疑問符がつく。なにせ、世間的には持参金の目処が立たない行き遅れである。
そんな頃、町中で馬車から降りたバロウズ伯爵令嬢と出くわし、話したいことがあるからと捕まえられた。リチャードには話したいことは無い。
「不躾に突然ごめんなさいね。
ご家族からマリーの様子を聞きたくって」
本人と話せば良いじゃないかと思うが、それは言わないでおく。アンドレア嬢はバロウズ家の店舗2階にある打ち合わせ用の部屋を押さえていたようで、部屋に入るなりすぐさまお茶の用意がはじまり、メイドが何人かうろついめいる。
「職場が変わって、マリーはどうかしら。
私には弱音を吐いてくれないし、心配で」
アンドレア嬢が身に着けているドレスも流行りの、高級な生地のものである。それに比べると、清潔にはしているものの草臥れた服装で同席するのが恥ずかしい。人目が無いことがありがたい。
「姉に変化はありません。
仕事に慣れないとぼやいていますが、そういう物だし、とも言っておりますし」
テーブルの上には2人分にしてはやや多めのお菓子が並べられていく。アンドレア嬢が目配せして、部屋の中の人数がぐっと減った。
「これは他言無用なのだけど、イーストン伯爵について何かお話ししていない?」
またあの美貌の伯爵の話か。
「良くして下さっているようですよ。
昔、まだ伯爵家に引き取られる前はうちの領地にお住まいだったようで」
リチャードはそう答えながら、なぜ皆イーストン伯爵について話してくるのだろうかと疑問に思った。ラトリッジ家を嵌めたかもしれないというカーティスの証言もあるが、こちらは証言だけであり、証拠は無い。他にも手広く何らかの工作をしているのだろうか。
「そう、なの。
何かもっと面白い話が聞けると思ったのに」
非常に残念であることを表情にも身ぶりにも表して、アンドレア嬢はお菓子をひとつ摘んだ。
「イーストン伯爵の事が気になりますか?」
「もしマリーが望むのなら、何か手伝える事があるかもしれないじゃない」
そちら側の話だったか、と、リチャードは頭をかいた。ちょっと頭が不穏な方向に向いていたようだ。
「噂になってるのよ、伯爵のマリーに対する態度が全然違うって。
イーストン伯爵家はルーカス様が当主になられてから、経済的に余裕があるでしょう?
マリーも嫌でなければ良い話じゃない?」
「やはり、姉に直接尋ねていただく方が」
マリーがどう思っているか、リチャードには分からない。本音が顔に出るタイプではないからだ。
「マリーは絶対に教えてくれないわ。
昔からの良識のあるご令嬢そのものなんだもの」
アンドレアはまるでそれが駄目な事のような口ぶりだ。しかし、彼女が言いたいことは分からないでもない。出しゃばらず、そつなく、そういう表現がマリーにはよく似合う。