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07. 不運な同期 セドリック(下)

 マリーの友人だけあって、アンドレア嬢は好ましい人物なようだ、とセドリックが胸を撫で下ろしたところで、彼女は声を低めた。


「気になることがございましたの。

 生糸の取引停止に関して、皆様が口々に仰った経緯は本当なのです?」


「ええ、皆の言うとおりです。

 大口の売り先から断られると思ってもおらず。

 王都から遠いエンフィールドにとって、他所様と製品が競合したり、売り先を取り合うのは中々……」


 アンドレア嬢は思案顔である。マリーから彼女の話はあまり聞いていない。仕事の話が主な内容だったからてあるが、こんな凄いツテがあるのに、頼らず働く姉妹だったのかと感心と呆れのまざった気持ちになる。


「それから、もう一つ。

 黄金生糸はこれからエンフィールドの財政を必ず強くいたします。

 セドリック様や御兄弟の婚約などの話は聞きませんが、お話は進んでいらっしゃるの?」


「兄が家を継ぎますので昔からの婚約者がおりますが、私たち弟妹は領内の方との話が進んでいます。

 今は製法を外へは出せませんし」


 アンドレア嬢は何か考えているようだが、扇子が顔の半分を隠しているのでよく分からない。


「もしお話をお持ちいただいたのなら、申し訳ありませんが」


 まあ、相手先も貧乏田舎下級貴族に嫁ぎたくはないだろう。バロウズとの繋がりが強固になるなら願ったり叶ったりだが。


「確か、以前の取引先はウィルズ商会でしたかしら」


「そうですが、何か」


 あまり思い出したくない名前である。えらく話題が飛ぶので、尋問を受けているような気分だ。


「イーストン伯爵と面識は?」


 突然飛び出した名前に、セドリックは一応真面目に考えたが首を横に振った。


「――…いいえ、近衛隊第三隊隊長でしたか。

 美貌の近衛隊長と評判の方ですかね?」


「ええ。

 ラトリッジ家のことで少し気になることが御座いまして、エンフィールド家も少々関わるのかと」


 行動的なご令嬢である。しかし、マリーの家とセドリックの家、そしてイーストン伯爵の何処に関係があるというのか。


「生糸の生産について、あるサロンで一時期話題になっていたようです。

 小規模にスタートして、サロンの仲間で組んで量を確保する。

 リスクの少ない商売と」


「エンフィールドに遠慮する必要はありませんからね、うちには強力な後ろ盾もない」


「そう、だから実行したのでしょう。

 私が集めたのは、そういう断片的な周囲の状況ばかり。

 ただ、エンフィールド家とラトリッジ家が大損害を受けた話のどちらにも、関係者にかの伯爵の名前が遠くに見えるだけですわ」


 アンドレア嬢の眉間に皺が寄る。


「何か、気に障ることでもやらかしたのでしょうか」


「さあ、ラトリッジ家も伯爵と直接関わるような話はありませんでしたから。

 貴方がマリーと一番親しい同期の職員だという以外に接点はございませんからね」


 その話はそれで終わった。翌日、嵐のようなアンドレア嬢は、持ち帰れる商品を限界まで仕入れて帰っていった。

 それから少しして、マリーがイーストン伯爵と婚約したという話が王都から遠いエンフィールドにも届いた。


「バロウズ家に紹介状を書いてくれた方だろう」


 黄金生糸は王都で少しずつ評判になっているが、出荷数を絞っているので値段が上がり始めている。その状況の確認と、自身の結婚の手続きで王都に出かけていた兄は、関係ない土産話の一つとして持ち帰った話がそれである。


(まさか、本当に自分がマリーと親しくしていたから?)


 アンドレア嬢から話を聞いていなければ素直に祝福できたかもしれないが、複雑な気持ちである。別に自分に遠慮しなくてはならない理由は無かったはずだし、伯爵から挑まれればセドリックに下心は無いと説明してきちんとした距離を取っただろう。

 百歩譲って、エンフィールド家が敵視されたのがセドリックとマリーが親しい友人であったからという理由であったとして、マリーが居るラトリッジ家に打撃を与える理由が分からない。


 本当に?


(確か、マリーには破談になった婚約者がいたはず)


 理由はラトリッジ家が経済的に痛手を負ったから、だったはず。アンドレア嬢によれば、その周囲にイーストン伯爵がいる。

 兄によると、イーストン伯爵は仕事のできる女性と謂わば契約結婚したのだという話と、長年の片思いを成就させたらしいという相反する噂が流れているそうだ。肝心のマリーはほとんど社交界に顔を出さないし、イーストン伯爵から情報を引き出すのは至難の業らしい。


(まさか、そんな)


 イーストン伯爵を疑いながら考えると、おそらく彼の目的はマリーとの結婚。奪い取ったと評判にさせないために、ラトリッジ家を経済的に追い込むことで既存の婚約を解消させ、同様に、親しくしているエンフィールド家にも圧力をかける。晴れて柵から放り出されたマリーを、イーストン伯爵がすくい上げる。


(……そんな馬鹿な)


 明らかにやり過ぎで、馬鹿らしい話である。そもそも美貌の近衛隊長は一部の女性から絶大な人気を誇っていたし、家格の差を考えればもっと簡単にマリーを手に入れることができただろう。彼女の心まで付いてくるかは知らないが。

 兄から噂を聞いて、そんな馬鹿らしい話を思いつき、セドリックは一人で苦笑して忘れることにした。何せ、もはや直接関係無い話である。

 ところがその数カ月後、イーストン伯爵とその婚約者様がはるばるエンフィールドにいらっしゃる事になった。何でも、バロウズ家にウエディングドレスを依頼して、装飾には黄金生糸の刺繍やレースを使用してくれるらしい。話題のドレスになるからと、産地を訪れたいというイーストン伯爵の希望を叶えたいとバロウズ伯爵から直々に依頼が入った。

 豪華な、王都でしか見ないような馬車の到着に、田舎者のエンフィールド領民が集まっている。領主館のアプローチで、セドリックは一族の一人としてお出迎えのために並んで待っていた。

 馬車が止まり、御者が恭しくドアを開く。中から麗しのイーストン伯爵がまず現れ、彼のエスコートでマリーが馬車を降りた。


「無理をお願いしてすまない。

 私の可愛い婚約者が、どうしてもと言うので。

 エンフィールド男爵、暫くご面倒をおかけします」


「ようこそ、エンフィールド領へ。

 田舎ゆえ心ばかりのおもてなしとなりますが、おくつろぎください。

 今日は遠路はるばるお越しでお疲れでしょうから、歓迎の場は明日を予定しております」


 両親も緊張しているらしく、動きと声が固い。

 セドリックはマリーと目が合った。働いていた時とは違い、手入れの行き届いた髪に旅装とはいえ高そうな仕立ての衣装である。小さく会釈してくれて、中身は変わらず以前のマリーだな、と感心していた所、その視線に気がついたのがイーストン伯爵が射殺すような視線をセドリックに向けた。


「さあ、中へ。

 お部屋へご案内致します」


「ありがとうございます」


 伯爵らは父の案内で館の中へ入っていく。それを見送りながら、セドリックは背中に冷や汗が流れるのを感じた。


(アンドレア嬢の推理は、間違いでは無かったのかもな)


 伯爵がマリーに向ける態度は、大切なものを壊さないように、大事にしている事がわかるものである。それとセドリックに向ける殺意に満ちた視線の対比がすごい。明らかにイーストン伯爵は危険人物だと思われるが、セドリックがマリーにしてやれる事は何もない。殺されないよう振る舞いに気をつけるのが精一杯だからだ。

 マリーのことはかわいそうだと思う反面、アンドレア嬢の推測が正しいならば、そこまで請われて格上の貴族に嫁ぐことが出来る事は滅多にないのでそれはそれで幸せかもしれないとも思う。身綺麗になった姿をみると、尚更である。

 少し遅れてエントランスに入ると、両親と伯爵らは階段を登っていた。


「仲の良さそうなご家族で羨ましい。

 家族との縁も薄かったもので」


 伯爵の言葉に、父が「これからではありませんか」と笑っている。

 セドリックはふと、自分の頭の中にある落丁や誤記の多い貴族名鑑を開いた。イーストン伯爵はおそらく庶子だ。そして、父も義母も、実の母も、曾祖父母も全員既にいない。

 そこまで考えて、セドリックは考えるのをやめた。マリーには幸せになってもらいたいが、伯爵から逃がしてやるとかそういう相談には乗れないし、また、相談相手と誤解されれば取引先を失う以上の影響が出そうだ。兄にはセドリックも結婚の話が進んでいるとそれとなく話題にしてもらうようお願いし、関わらない事に決めた。マリーに会うのはこれが最後かもしれないな、と思いながら。

閲覧、ブクマ、リアクションありがとうございます。

次は影の薄い弟視点のお話になります。

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