05. 幸せな令嬢 マリー(5)
アンドレアから忠告はもらったものの、イーストン伯爵は職場の上司である上、よく様子を見に来るので顔を合わせない訳にはいかない。モヤモヤするが、調べるツテも手段もないマリーにはどうすることもできない。
しばらくして、伯爵が今度は堂々と、何のこじつけの理由もなしにパーティーへの同伴を打診してきた。前回のことで慣れたのか、同僚三人は目を逸らしたり部屋から出て言ったりする。ひどい。
「エレノア女史かメルヴィル子爵主催の茶会なんかどうでしょうか。
どちらも知的な会ですよ」
こちらには分からない理由で親しげにしてくれるのは面倒とは思うが、悪い人とは思えない。しかしアンドレアが嘘をつくとも思えない。
「きっと、マリー嬢の助けになると思うのです」
伯爵は甘やかな笑みを浮かべる。美しい人のほほ笑みというのは、それだけでパワーがある。
先程挙げられた2つの茶会は、領地経営に真面目に取り組む貴族が多く参加するサロンである。言うなればお硬い、目的のはっきりとした茶会である。怪しい誘いではないが、だからこそ婚約者と出るべき茶会でもある。
「それに、これを」
差し出されたのは2通の招待状で、どちらもお手本のように美しい字で書かれている。どちらも主催者からマリー宛で、イーストン伯爵から推薦があり、職歴も申し分なく、是非ともご参加を、という中身である。
つまり、断ると主催者も伯爵も顔を潰すことになる。
「……確かに、どちらも興味のある会ですが」
「どちらもマリー嬢にとって楽しい会になるとお約束しますよ」
そういうことで、マリーは断り切れずに伯爵と茶会に出ることになった。
結論からいうと、どちらも充実した時間を過ごすことができた茶会であった。恋愛やファッションではなく、書籍や領地に適した作物の導入試験などが話題で、元手がもう少し貯まれば、あまり手をかけられていないラトリッジの領地にも少し導入を考えたい。投資下手な父に昔世話になったという人も数人おられ、協力を申し出てくれた。
ただ、皆口をそろえて言うセリフがある。
「イーストン伯爵の後押しもあるようですし」
今回は急な話であったので、マリーには既製品に少し手を加えたドレスが贈られた。伯爵は懲りずにペアと分かるタイを着けている。自前のドレスがあれば避けられるが、生憎古臭い一張羅と、場違いなガーデンパーティーのドレスしかない。マリーに選択肢は無かった。
どんどん外堀を埋められている。この茶会で出会った人々は、マリーと伯爵が婚約間近と考えるに違いない。今回の2件の茶会では、婚約者以外を伴うのはレアケースだし、何より衣装が主張している。
案の定、茶会終了後すぐにエリザの茶会への緊急招集がかけられた。業後に拉致されたと言えなくもない。
「どういうこと、かしら」
頭のてっぺんから爪先まで一分の隙もなく整えられたエリザは、相変わらず貴族女性として完璧である。ただ一点、不機嫌そうな顔であることを除けば。
彼女が王都に構える私邸は、庭部分だけでもラトリッジの家が何軒も建ちそうな広さである。妙な時間帯の茶会だが、形式はきちんと整えられている。カトラリーや皿、調度品、この屋敷に備えられている物全てが価値のある立派なものばかりである。
エリザは追加の言葉を発しない。何がどうとは具体的に問われていないが、問われる案件は一つしか無い。
「領地経営の資料を読んでおりましたら、それならと伯爵が招待状を入手してくださいました」
ご存知のとおりの惨状で、と続けるはずが、エリザは深いため息をついた。
「本当のことを仰って。
他に誰も居ないのだから」
伯爵の前ではないが、資料を眺めていたことは事実である。彼女のことなので、当然ながらそんなことを聞きたいわけでは無いだろう。だからこその会場選択とわかってはいるが、できるだけ不興を買いたくないのは当然ではないだろうか。
「……伯爵は幼い頃に私と会ったことがある、と仰せでした。
私は記憶しておりませんでしたので、それが定かかどうか分かりません。
そういった理由で、ご親切にお世話を焼いてくださっているのです」
エリザは庭を眺めながら、「そう」と短く相槌を打った。気まずい。
「父から、婚約者候補からイーストン伯爵を外すと報せが参りました。
理由はと詰め寄っても話して下さらず……。
今のお話を聞いて納得いたしました。
きっと、伯爵からご辞退なさったのね」
エリザ嬢の態度は一人の候補者に肩入れがすぎないかと思ったが、さすがに黙っておいた。
「私は花嫁修業のため実家に戻ります。
羨ましいわ、愛し合う方と結ばれる貴女が」
いい話でまとめられようとしているが、しかし、そんな既定路線に乗った訳では無い。
「そこまで話が進んでいる訳では……」
先程言葉を飲み込んだせいで、今回は失敗した。だが、まだ婚約すらしていないし、そもそも愛し合うなんて何処からわいた話なのか。
「もう両家は婚約秒読みと」
怪訝な顔でエリザが言う。
「いえ、その、婚約の申し出は頂きましたが、家の格が違いすぎますのでお断りしました。
悪い方ではありませんが良くも悪くも有名な方ですし、
ラトリッジ家では十分な支援も望めません。
伯爵側では保留扱いとすると仰っておられましたが」
「え、では、それなのにお二人でメルヴィル子爵の茶会へ?」
「伯爵がご推薦くださった上、エスコートをと申し出て下さいましたので」
「あら……?」
エリザは混乱したようだったが、渋い顔になった。
「ご気分を害してしまったのでしたら――…」
「いいえ、貴女に対してではないの。
憧れの方ではございますけれど、伯爵のなさりように、少し」
表情が少しではない。
「よろしくて?
社交界では既に伯爵の婚約はほぼ決まったものと噂になっております。
つまり、家の格などという理由を越えたと見なされているということです」
エリザはムスッとした表情を崩さない。やはりそんな噂が立っていたのか。
「当事者の言葉と噂話の軽重くらい、私にもわかります。
ですが、領地に戻る私には訂正して差し上げる場もございませんし、もとより貴女も社交界に打って出られる状況ではないのでしょう?
伯爵のなさりようは少し、強引と言われても仕方ないですわね」
エリザの話が本当なのであれば、伯爵は家格を上げる方法を更なる高位貴族と縁続きになる方法ではなく、歴史のある家柄の愛する女性を妻に迎えること、つまり出世競争からは一歩引くことを選択したと評判になっているということである。アンドレアの手紙もあり、伯爵がそう噂されるように振る舞っているように思われた。
そして、そんな評判になっているのであれば、ラトリッジの力では、イーストンからの求婚を断ることすら不可能だろう。他と縁組しようにも、ラトリッジが組めるような縁組であればイーストンに遠慮して辞退する家が後を絶たないはずだ。
「貴女から浮ついた話の一つや二つ聞かされて、諦めもつくかと思っておりましたのに、そう……。
でも、貴族ですから、政略結婚は予想された事でもありますでしょう。
領地の方のためにイーストンから利を引き出すのですよ」
エリザからは気の毒そうにそう言われて、家に帰された。彼女から気の毒がられるいわれは何もなかったはずなのに、その言葉の優しさと、アンドレアから自分を気遣う手紙をもらったことを思い出して、伯爵のことがだんだんと恐ろしく感じはじめたのだった。
それからしばらくして、マリーの誕生日が来た。家計は逼迫しているものの、家族の誕生日は夕食を少しだけ豪華にして祝っている。フレアが何か用意をしてくれているはず、とうきうきと帰宅すると、動揺したフレアが出迎えてくれた。
「何があったの?」
「イーストン伯爵家からシェフの方が」
キッチンを覗くと、場違いに豪華な食材が並べられ、マリーに気がついたシェフが笑顔で会釈してくれた。
「おめでとう、マリー。
伯爵から婚約の正式なお申し込みがあってね。
持参金も心配ないし、ぜひ誕生日も祝わせてほしいと」
ダレルが嬉しそうにしている。
「皆様、イーストン伯爵か到着されました」
執事が呼びに来たが、その後ろに当の伯爵がついてきていた。
「マリー、誕生日おめでとう。
驚かせたくて、少し頑張ってしまったよ」
古い屋敷に雑に紛れ込んだ、上質な衣装の美しい貴族男性がマリーに向かって微笑みかけている。父も妹も、マリーがその不釣り合いな男性の手を取る事が当然という顔でこちらを見ている。
伯爵の手を取ればラトリッジの負債もフレアの婚約も片付き、後妻として年の離れた夫に引き取られるような結婚をせずとも良く、伯爵夫人としての仕事以外は手を離しても良くなるだろう。これ以上の良縁は望めない。
アンドレアやエリザの話さえ気にしなければ。
ふと、エリザ嬢の耳にまで届いた根も葉もない噂は、伯爵が誘導したものかもしれないと思った。その噂を周囲が信じるにはそれなりに親密にならねばならない。マリーと親密になるには、パーティーには出てこないので仕事上関係がある必要がある。そもそもマリーが王宮で事務職につかなければ、伯爵はマリーと近づくこともない。
エリザ嬢の『政略結婚は当然』のセリフが頭の中をぐるぐる回る。
(この方の手を取って本当に大丈夫なのかしら)
マリーはまだ態度を決めかねて、曖昧に微笑みながら「ありがとうございます」と言葉を絞り出した。少しだけ、もはや自分には選択肢など無いのではないらしいということを薄々感じながら。
マリー編はここで一旦終了です。ブクマ、評価ありがとうございます。
次からはマリーの周辺の人々の短めのお話を予定しています。