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02. 幸せな令嬢 マリー(2)

 亡き母がマリーらに施した高度な教育は、仕事だけでなく人脈の形成にも一役買っている。マナー講師のウォード夫人に同じ時期に師事していた、バロウズ伯爵家のアンドレアもその方向から得た友人の一人である。

 バロウズ家はラトリッジ家とは違い非常に商才のある一族である。元は金属加工の職人を抱えていた工業地の領主であったが、貴族向けのジュエリーの生産・販売を手がけて大きな利益を出したことを皮切りに、服飾関係のブランドとして売り出すことに成功した。非常に羽振りが良く顔が広い。

 広告塔として着飾るアンドレアに、マリーは当初苦手意識があった。しかし一度話してみると本人は服飾よりも商売に興味があり、何となく話も合うので今も交流が続いている。


「なぁに、その怖い話」


 久しぶりのバロウズ家での2人だけのお茶会で、アンドレアは顔をしかめた。他の人がいると完璧な令嬢を装っているが、本来は表情と感情が豊かで見ていて飽きない。

 話の内容は互いに近況報告から入るが、先に部署異動があったとマリーが報告し、その挨拶に伺った際のエピソードにアンドレアは案の定不快感を示した訳である。


「そうでしょう。

 勤務開始してから、貴族女性からの視線が怖くって」


「もう噂になってるわ。

 女性には壁を作っていたイーストン伯爵がついに、って。

 先手を打って何人かがパーティーにお招きして、通り一遍の対応をされたって玉砕報告もちらほら」


 マリーが近衛隊第三隊で働き始めて半月、イーストン伯爵の動きは明らかに過剰である。事務員の欠員でよほど痛い目でも見たのか、毎日ではないがマリーの様子を度々見に来るし、何ならクッキーなんかの手土産まである。おかげで同僚とは決定的な溝ができたので中々話も弾むこともなく、頂いた手土産も分け合うこともできず家に持ち帰っている。

 更に、マリーの様子を尋ねる伯爵はいつも輝くばかりの素敵な笑顔で、しかも場所も選ばず話しかけてくる。おかげさまで、愛想笑いしか見たことがないのにと、婚活中のご令嬢方からそれはもう突き刺さるような視線を頂戴している。仕事がやりにくいことこの上ない。


「あんな顔の整った子なんていたかしら」


 マリーのボヤキにアンドレアは苦笑する。


「あなた、美形にあまり興味ないものね。

 婚約者も、前に言ってた同期の子も、顔が良いからじゃなくて話が合うとか、そんな。

 お二人とも素敵な方だったけど」


「そうそう、『女が賢しらに!』ってタイプじゃないから居心地が良くって」


「社交界で評判の美形くらい覚えておきなさいよ」


 馬鹿にしているのではなく、長い付き合いの友人を心配する声音である。


「覚えてるけど、別に興味は……」


「まあ、その態度を貫いてるからこそ槍玉に上げられて無いのでしょうけど」


 アンドレアは呆れたように笑ったが、恐ろしい話である。

 彼女の方は結婚も近づき、ドレスの準備も順調らしい。バロウズ家お抱えの腕利きの職人に作らせたらしく、きっと社交界でも評判になるだろうと胸を張っていた。大商会を経営する隣国の貴族家から入婿を迎えて、今後は国外市場を狙うらしい。両国間の貿易に関わる婚姻となるため、王家が介入しているというのも規模の大きな話である。


(でも、お祝いはしっかりしないと)


 祝いの品とはいえ高価なものは用意できないので、妹と二人で刺繍のクロスを用意しようかと考えている。ラトリッジ家にとって高価なものは、それこそバロウズ家としてはつまらない物だろう。古臭いかもしれないが、両家の繁栄を願う蔦と前向きな花言葉の花、そこにアンドレアの好きな花を足して華やかに飾れたら。

 家に戻ってから老執事に無地のクロスを用意してもらうよう依頼し、絹の刺繍糸が十分あることを確かめる。フレアに手伝いを依頼すると、アンドレアと顔見知りでもあり快諾してくれた。


「贈り物ですか」


 昼休憩の時間に、件の庭園の木陰で刺繍の意匠集を眺めていると、イーストン伯爵の声が突如頭上から降ってきて、マリーは驚きすぎて本を落とす所だった。恐ろしいことに、頻繁にお目にかかる機会があるおかげで、この麗しい顔面に慣れつつある。


「はい、友人の結婚のお祝いに。

 高価なものは難しいので」


 伯爵は優雅な動作でマリーの隣に座ると、手にしていた本を覗き込んだ。距離の近さが気になるが、最初からそうなので今更咎めるにはどうか、という微妙な距離感である。


「縁起の良い模様ばかりですね。

 もうすぐ結婚されるような……どなたかな」


 イーストン伯爵はバロウズ家の顧客の一人かもしれないが、娘の結婚式にお招きするような間柄ではないのかもしれない。


「バロウズ家のアンドレア様です。

 古い友人で、先に教えていただいたもので」


「バロウズ家のご令嬢でしたか。

 マリー嬢は刺繍がお得意なのですね」


 服飾のバロウズ家に刺繍を贈るのは、確かに度胸のいる話かもしれない。


「お互いに刺繍を贈り合おうと、約束しておりました」


 嘘である。ただ、アンドレアは刺繍が嫌いで、完成させるまで集中力が持たないと嘆いていた。綺麗に刺すのにもったいない話である。

 アンドレアの刺繍に対する及び腰な態度を思い出して少し笑いそうになっていると、伯爵が爆弾を投下した。


「私のハンカチにも鷲など刺していただけませんか」


 いきなり何を、と伯爵をみると、期待に目を輝かせてこちらを見ていた。おそらく、その生き生きとしたお顔を見たいご令嬢は他に沢山いる。


「刺繍の腕前が評判の方は、たくさんいらっしゃいますよ。

 私は人に誇れるほどでもございません」


 忙しいのだ、マリーは。アンドレアのための作業時間が必要だ。というか、その手のプレゼントは、既に山のように届いているのではなかろうか?


「もちろんアンドレア嬢のプレゼントが完成してからで良いのです。

 お礼も必ずご用意いたします」


 伯爵がやけに粘る。


「きっとたくさんお持ちだと……」


「人前で使うと誤解を招く意匠のものでしたら、沢山ありますが」


 なるほど、と納得してしまうのが悲しい。


「必要な物はこちらで準備いたしますから」


 懇願するような声音に、先に音を上げたのはマリーだった。爵位も上の上司からの頼みを無碍にし続けられるほどの政治力はラトリッジ家にはない。


「ご依頼により作成する、ということでしたら」


「ありがとうございます。

 明日にでも遣いを出しておきますね」


 伯爵は非常に嬉しそうにしていたが、庭などというオープンな場でそんな顔で話しかけて欲しくなかった。


(誰が見てるか分からないのに)


 後のことを考えると憂鬱になるが、ともかく伯爵は満足したようで撤収してくれた。

 翌日、帰宅すると家に大量の刺繍糸と結婚祝にプレゼントするに適した布地と、白いハンカチが数枚届けられていた。当然ながら、自前で用意した布地よりも遥かに上質である。


「一応お断りしたのよ……?」


 対応したフレアがおずおずと申し出る。


「だって、そんな、頂く義理はないのだもの。

 でも、うちに届けるのが仕事だから、と引いてくれなくて。

 お姉様から相談するとは思えないし」


「これ程の質のものであれば、バロウズ家に贈っても恥ずかしくはなかろう。

 あとはお前たちの技量だな」


 ニコニコと他意なく笑うダレルを横目に、マリーはため息をついた。


「刺繍の図案を考えていたら、話の流れでハンカチを差し上げることになったのよ。

 本当はお断りしたかったのだけど」


 マリーの説明に、フレアの顔が曇る。


「居づらくなるのでは……」


 気遣わしげな声に、麗しの伯爵だからと推してこない妹の姿勢がありがたい。


「断り切れなかったのよ」


「……お姉様は伯爵がお嫌い?」


 事態を静観していた弟、リチャードの問いかけに、つい鼻で笑ってしまう。


「良い上司だけど、ねえ。

 ついてくる物がね、少し」


 社交界からのやっかみから我が身を守る盾は、ほぼ無力な父一人のため存在しないに等しい。


「確かに、面倒が勝つかも」


 フレアはマリーの気持ちをおそらくは正確に理解して苦笑した。今は領地経営の立て直しのために職を辞した、下級貴族の次男坊である同期あたりが手ごろだったのだが。

 マリーは並べられた糸と布地を見て、ハンカチのご注文が多いことにげんなりした。ご希望の鷲と、イニシャルと、勝利の意味を持つ月桂樹あたりの葉をあしらっておけば問題ないだろう。


(余計な仕事が増えただけじゃない)


 マリーは少々苛立ちつつそう思ったが、真の面倒事は翌週に発生した。

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