13. 幸せな伯爵 ルーカス(下)
近衛隊に入ってから、忙しい合間に老執事にラトリッジ家の様子を探ってもらった。調べようと思えば調べられたが、なんとなく憚られていたがなりふり構っていられない。
やはり老執事はかなり有能で、マリーにも妹のフレアにも婚約者がすでに建てられており、弟のリチャードが三年後、学校に入学するのを目途に結婚の話を進める予定であるというところまで調べて来てくれた。マリーはそのとき十七歳になるので丁度良いのかもしれない。
(猶予が無い)
ルーカスは誰より早く昇進しなければならなかった。何とかマリーとの接点を作りたかったが、彼女は王都で暮らしているもののパーティーに積極的に参加する家でもなく、家の格の違いで滅多にすれ違うことすらない。何より、ルーカスは近衛隊の隊長にならなければならず、マリーを探してパーティーを渡り歩くこともできない。
「マリー嬢の婚約が円満に解消となればよろしいのですかな」
老執事が言うので、ルーカスは頷いた。
「今はまだ、声をかけられる伝手も無い」
「準備をいたしますので、またご報告いたします」
執事の言葉に、ルーカスは頷くだけだった。
それからルーカスは仕事に明け暮れた。剣の腕はルーカスの見込み通り、老執事よりも強い人間にあたることは無かった。それに、見た目で選ばれた仕事も、そうではない仕事も、区別なくすべてやり切る姿勢は少しずつ評価を上げた。
希望した部隊も、第三隊だったことも良かったのかもしれない。見た目だけで王族から寵を賜ろうとする輩は何人もいたし、それは陰口として広まっていたが、第三隊は近衛隊の中でも王族から少し距離がある。そこで頑張る姿勢というの高評価だったようだ。また、怪我や事故で騎士としての職務の遂行が難しくなった者の受け入れ先を考えて、提案するなどしている間に、友人も増えたし、少しずつ昇進もした。
そんなことにかまけている間に、二年が過ぎた。その間に肥え太っていた父が死んで、ルーカスは爵位を継いだ。祖父は満足げであったが、更に老いていた。近衛隊第三隊でも、副隊長の椅子を約束いただく立場になった。隊長まではまだ少し遠いが、しかし、射程圏内と言える。名誉職的なところもあり、長く居座る人間も少ないからである。
「ラトリッジ家の事ですが」
老執事の報告に、やっとラトリッジ家の事が入って来た。
「様子は」
「順調に進んでいるようでしたので、少々手荒な真似を致したく」
「手荒」
ルーカスが復唱すると、老執事はほほ笑んだ。
「誰も怪我などいたしませんし、坊ちゃんに猶予を作ってご覧に入れますよ。
その下準備に参りますのでしばらくお時間を頂戴いたします。
代理に孫を置いておきますのでなんなりとお申し付けください」
そう言って、執事の若い頃はこうだったろうと思わせるような、特徴のない青年を部屋に招き入れた。
「一応、名を聞いておこう」
「ジョンソン・スミスと申します」
ルーカスは偽名だな、と思った。このとき、老執事に何をするつもりか強く問いただせばよかったとルーカスは後悔することになる。
そこから半年ほどして、ラトリッジ家が投資に大失敗して破産寸前であるという噂が流れた。あまり詳しくは分からないが、当主のダレル・ラトリッジではなく娘が奔走しているという。何があったのか分からないが、とにかく執事に情報を集めておくよう指示を出す。
「お任せください」
無表情な若者は、老執事よりもどこか人形めいている。
しばらくして、破産は回避したが金目の物も売り払ってメイドも解雇したという報告が上がって来た。
「祖父が残っておりますので、生活はまま安定している様子ですが」
「お前の祖父が?」
「はい、現在は状態の確認のためラトリッジ家で働いております」
開いた口がふさがらないというのは、こういう状態だろう。呆然としているルーカスを後目に、執事は報告を続ける。
「マリー様、フレア様の婚約は持参金の目途が立たず解消。
お二人はリチャード様の勉学を優先されたようですね。
祖父がそれとなく王宮勤めを勧めているようですが、中々好感触のようです。
良かったですね、ルーカス様。
マリー様が毎日来るようになりますから、お会いすることもできるでしょう」
何が良いのかさっぱり分からないが、執事を殴り飛ばすのだけは何とか我慢した。
いや、何も分かっていない訳ではなかった。そもそも、祖父はおそらく兄に一服盛っているし、父も邪魔になったのかもしれないと思っている。父はもしかすると、そんな祖父を嫌っていたのかもしれない。今となっては確認する術もない。
起こってしまったことは取り返しがつかないので、もう執事一族に任せるよりなかった。
近衛隊の方は隊長が予定どおり退官し、次の隊長と目されていた副隊長が家族の体調不良を理由にほぼ同時に退官を申し出たため、予想外に早く隊長の職に就けることとなった。もはやここまでくると、こちらの昇進も己の努力だけではなく、何かしらの工作が行われているとしか思えない。
「見込み通りだな。
しかも、あれも随分はりきって猶予を作ったようだ。
ひ孫の顔を早く見たいものだな」
祖父の様子を見に行くと、安楽椅子で楽しそうに笑っていた。随分年老いた風に見えるが、はたしてどこまで本当なのか分からない。
(それでも前に進むしかない)
ルーカスがそうなる道を選んだのだから。
マリーは老執事の勧めに従ったのか、元からの意思なのか、王宮勤めを開始した。聞こえてくる噂はどれも良いもので、真面目に勤務している様子である。
「家のことが無ければなぁ」
伴侶にしたいのにという、そんな下級貴族の声まで聞こえてくる。破産の危機ということで慌てたが、その評判は彼女の身を守ってもいるようだ。
廊下を歩く姿を遠目に見ることがあった。ルーカスは久しぶりにマリーを見たが、大人になった彼女は美しい赤みがかった金髪をやはりきっちりと結い上げて、制服を身に着けていた。まっすぐ前を見て歩いている。その視界に入りたい。
そのマリーが、同期のセドリック・エンフィールドと親しくしているという噂を聞いた。
「同じ貧乏下級貴族同士で話が合うようですね。
仕事終わりに業務内容について情報共有をしているようです。
色っぽい話には全然ならないんですけれど、周囲はそう思ってないようですね」
執事の声に感情が乗ることは無い。
しかし、ルーカスはその報告を受けて、エンフィールド家の事を調べさせてしまった。その上で、相談に来た友人に話してしまったのだ。
「量が確保できればどこかの商会で取り扱ってくれるんじゃないか」
生糸の生産を試みているグループがあったのだ。そういう、領地で新たな試みをするグループがいくつかあり、売り方なんかの相談を受けることがある。別に詳しい訳ではないが、商売の仕組みなんかを把握するように老執事から躾けられている。
生糸の取り扱いが多いウィルズ商会に彼らが声をかけるところまで指示した訳でもないし、その結果エンフィールド家の取引量が下がったのはもちろんルーカスとは関係ない。ただ、実家の商売が傾いたセドリックは退職して地元に戻った。
(自分も同類ではないか)
己に呆れてしまう。しかし、マリーはこれで独りぼっちだ。
事務員に欠員が出るように仕向け、早急な補充を依頼した。人員のリストアップにあたり、有能な事務員で、かつ自分に興味のなさそうな人物を強く依頼しておいた。おかげ様で、上がって来たリストにはマリー・ラトリッジの名前が記載されていた。このときの感動と言ったら、筆舌に尽くしがたい。ようやく彼女の前に立てる。
「彼女が良いな、マリー・ラトリッジにしよう」
少し声が震えたかもしれない。人事の担当者は「すぐに手配します」と言って部屋を出て行った。
(やっとまた、彼女の前に立てる)
きっと、彼女は自分にさほど興味が無い。それで良い。もし彼女が自分のことを伯爵として見て、媚を売るようであればすぐに交代させれば良い。そうでなければ。
(きっと手放すことが出来ないだろうな)
ルーカスは自嘲気味に笑った。あの、孤児院で暮らしていたほんのわずかな期間。ルーカスの人生で一番自由だった時代の象徴としての、マリー・ラトリッジ。それが夢幻に終わるのか、変わらず輝く星のような存在なのか、視界に入ることができる瞬間が怖くもあり、楽しみでもあった。
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次は二人のお話になります。




