10. 心配性な令嬢 アンドレア(上)
マリー・ラトリッジは、アンドレアの唯一無二の友人である。
最初は、十歳の頃にマナー講師のウォード夫人の紹介で出会った。アンドレアの誕生日会に夫人に伴われて現れたマリーは、操り人形かと疑うくらいに完璧だった。
話してみると、女領主レベルでも目指しているかのような知識量で、バロウズ家の令嬢相手ならドレスの話でもしておけば、と思っている他の令嬢とは違った。話していると楽しくて、高価なドレスを仕立てた事がないというマリーに、衣装部屋のお気に入りを産地から紹介する。退屈かしらと思ったが、マリーは穏やかにほほ笑んで付いてきてくれるので、アンドレアはどんどん話した。
「これはどちらの織物ですか」
途中、マリーが興味を示したのはドレスではなく隣国から仕入れた染め色の美しい夏用の生地だった。
「外国で買い付ける生地なんか、色や柄は珍しいんだけど素材の質がこちらでは好まれないわね」
小物とか、飾りとか、アクセントに使うには良いかもしれないけれど。
そこから、国外から集めた生地やら小物を紹介する。今となってはずっと自慢話をしていたような物で恥ずかしいが、マリーは産業の知識に明るいので会話が成り立った。
「バロウズ家の国外店舗ができる日も遠くありませんね」
「ええ、そのときはマリーを招待するわ」
誕生日会という名の商談会と化していたので、マリーと遊んでいても誰からも叱責されることはなかった。おかげで長いつきあいの親友を作ることができたので、その年は最高に楽しい誕生日会になった。
ただ、その友情を維持するのはそれほど簡単ではなかった。ラトリッジ子爵は商売が下手にも程があり、投資に失敗して大きめの損益を何度か出していた。それでも爵位を維持していたのは、領地の良質な木材の販売が堅調で、しばらく我慢すればなんとか回復する事が可能であったからである。と、父は言っていた。
その経営下手の子爵のおかげでマリーはドレスを作ることができないし、そうなるとパーティーに招待しても恥をかかせるかもしれない。そのため、ごくごく私的なお茶会として2人きりで会うことが多かった。
「実は婚約の話があるの。
シェーンブルク家の方なのだけど」
関係が良好な隣国の、織物の生産が盛んな地域の領主である。隣国の王弟が臣籍降下の際にこちらの王妹と結婚しており、交易の強化が進められている一環でもある。
「国外支店開設はアンドレアが進められるのね」
父は良い顔をしなかったが、現地で差配できるのはアンドレアである。その野望が言わずとも伝わって嬉しかった。だからマリーの事が好きなのだ。
子爵夫人が亡くなり、子爵が致命傷と言って差し支えのない投資の失敗をやらかしたとき、マリーは子爵に代わって補填に奔走し、なんとか爵位を維持することができた。同時に、今まで以上の忍耐、清貧の時期に入った。
後日話を聞くと、妹共々婚約は解消されて家財も一部売り払ったという。しっかり手入れされ、艶々に磨かれたアンティークの家具はそれなりに高値で売れた筈である。老執事を残して使用人も全員姿を消して、マリーは試験をクリアして王宮で働き始めるらしかった。
噂に聞こえてくるマリーの仕事ぶりは上々で、アンドレアは友人として鼻が高かった。しかし、父はマリーとの付き合いを続ける事を良く思っておらず、影に日向に、時にはマリーもいる場で悪く言うので、お茶会はかねり慎重に開催日を検討しなければならなくなった。
そんな中、マリーから相談したいことがある、と手紙が来た。
(やっとマリーの力になれる)
喜び勇んで茶会に招いたが、相談の中身はラトリッジ家ではなく、エンフィールド家のことだった。
「ご実家の産業が良くないらしくて」
エンフィールドといえば良質な生糸の生産で有名で、バロウズ家としても取引ができれば良い話ではある。しかし。
「最近、生糸の生産を始めた所がいくつかあるのよ。
流行りなのかしら?
歴史もないし、少々質は劣るけど粗悪でもないし、十分な量を共同で卸してるみたいで」
エンフィールド領王都から遠く、移送にかかるコストを考えるとそちらの新興勢力と契約する方が利益が大きいと踏んだのかもしれない。経営者としては妥当な考えと思われる。
そんなことよりも、いったいいつエンフィールド家と繋がったのだろうか?王都に屋敷もなく、社交シーズンにも殆ど顔を出さない地方の小貴族である。ただ、その兄弟らの柔らかな色の金髪や、美しいライトグリーンの瞳、優しげな顔立ち、そして勤勉な性質は評判で、入婿として迎えたいと一部で評判でもある。
「そういえば、ご子息の一人は王宮でお勤めだったかしら」
「ええ、同期で親しくしていたのだけれど、先日退職なさったわ」
兄弟で一番出来が良いと聞いている末子は領地に戻ってしまったらしい。その話は一度そこで止まったのだった。マリーの力になれず、アンドレアはがっかりした。
アンドレア自身の婚約の話は、両王家の関わる身分以上の仰々しさで順調に進められている。一度王家主催のパーティーで、特使の随行として来ていたシェーンブルク家のウルリヒと面会を果たし、非常に穏やかな人物で安心した。
結婚は諸々の条件を調整するため少々先になるということで、アンドレアはそれまでの猶予期間を好きなことをして過ごすことに決めた。すなわち、家業の手伝いである。
先々きっと必要になると思われたので、父の商談の場にも積極的について行った。最初は黙って聞いていたが、なんとなく分かってくると口を挟みたくなるのを我慢するのが大変である。
そんな商談のひとつで、ウィルズ商会というレースのパターン製作から依頼できる契約先の商品リストを先に見る事ができた。そこにはマリーが言っていたエンフィールドの生糸も掲載されていたが、メインの商材であるレースには使用されていないようである。
素材にどこが産地のものを使おうが、何を推そうが各商会の自由である。しかし、わざわざエンフィールドの生糸を避けようとしている気配すらある。
気になって他の商品リストを開き、生糸が関係する物の生産地を確認してみたが、明記されているものでエンフィールドの名前が出るのはウィルズ商会だけである。そのウィルズ商会がエンフィールドの生糸を積極的に売り出さないとなると、確かに財政状況は悪化するだろう。
では、代替品となっている生糸が何処の産地かと見てみると、複数の地名が書かれている。あの流行りの生糸生産の集団と契約しているらしい。質は良いが力のないエンフィールドとだけ契約するよりも、それなりの有力者を含む複数の貴族と契約したほうが商会としてのメリットも多そうだ。かわいそうだが、エンフィールドが持ち直すのは難しかろう。
そうこうしているうちにアンドレアの縁談は進んでいくし、マリーは部署異動の辞令が出た。近衛隊第三隊の事務らしい。第三隊といえば社交界でも評判の麗しのイーストン伯爵が指揮を執る、王宮勤めのほぼ全女性憧れの部署である。
イーストン伯爵のポテンシャルは非常に高い。庶子という出自ながら才能に溢れ、途中からは嫡子として育てられて若くして爵位を継いでいる。その後の領地経営は上向きで、わざわざ近衛隊などで働かずとも潤沢な資産を形成している。
彼のポテンシャルはその才能だけではない。柔らかそうな栗色の髪とヘイゼル色の瞳に飾られた甘いマスクは芸術品の域と評判で、その低めで落ち着いた声で愛を囁かれたいと夢見る女性は非常に多い。あまり社交の方に積極的ではなく、まじめなサロンなんかに顔を出しているらしいが、夜会では殆どお姿は見かけない。
当然婚約者が、いや既にご結婚なされて、と度々話題になるが、過剰に身綺麗な方で女性の気配がない。お世話をすべき前伯爵はすでに亡く、本人も積極的ではない。そのため、動きが取れる女性が一部活発にお近づきになるために工作を繰り返している。女性であれば行かず後家と言われるところだが、嫁入りしたい令嬢は多くいるので誰もいらないことは言わない。
噂ではそのイーストン伯爵が、マリーをご指名で異動させたというのだから大事件である。
(これは、私が嫁ぐ前にマリーが婚約するチャンスかも!)
早速マリー本人に伯爵の様子を聞いてみたが、「良くしてくれている」程度の話しか聞けず肩透かしをくらってしまった。マリーの方もイーストン伯爵に恋をしている気配は無い。そもそも、エンフィールド家の末子でも心揺らがない女、マリーである。顔面の力だけでは心も動かないのかもしれない。
次の手を考えていた時に、たまたま通りを歩くマリーの弟、リチャードを見つけたので捕まえて連行した。さすがにマリーも家族には何か、心の内について話しているのではないかと思ったからであるが、リチャードの口から聞かされたのは意外な話であった。
「グラットン家の次男の事はご存知ですか」




