第十話:誰も、寝てはならぬ。(その3.5)
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それからまたしばらくして山岸まひろは、心地よい眠気をおぼえた。詢吾お手製のヨーグルトアイスは甘く美味しく、ヤスコは昨夜出来なかった仕事をすませに二階へと上がって行ったが、それでもソファには彼女の匂いが残されていて、それはまひろを幸福にさせた。
愛しい。
という言葉がこころに浮かび、疑いのない目でこちらを見つめる彼女のひとみ、きっと自分と同じ想いであろう彼女の顔が想い出された――と同時に、
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『あわれ、初心な娘さん。
油断大敵、ご注意肝心。』
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どこからか、いつか観た喜劇? 悲劇? の小夜曲が聴こえて来た。
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『男も女も、
ただの狼。
ことが終われば、
それでおしまい。』
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いや、いまここは、この世界は、自分で囲った――自分で囲った?――世界である。「どこからか」はあり得ない。
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『わが身が大事と、
おもうのならば、』
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歌は続いていた。まるで古い円盤レコード――いや、あの夜のカーラジオから流れて来た音楽のように。
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『その手に指輪をもらうまで、
守りはしかりと固めなさい。』
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「ねえ、まひろちゃん?」
女性の声が聞こえた。あの夜のタクシーでささやかれたような声と口調で、
「どうせあのひとも、今日は戻って来ないだろうしさ」
ダメだ、想い出したくない。
「もう一杯だけ付き合ってよ、家にもどったらさ」
女性の手は、会場を出てからずっと、まひろの手を、ずっとにぎっている。
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『あわれ、初心な娘さん。
油断大敵、ご注意肝心。』
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歌がリフレインにはいった。まるで壊れた、レコードのように。まるで隠した、記憶のように。
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『男も女も、
ただの狼。
ことが終われば、
それでおしまい。』
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これは、山岸まひろが、塗りつぶしたはずの記憶。彼女の兄・富士夫の妻、山岸美樹との、ある夜の記憶である。
(続く)




