第九話:人形/あるいは東京市営食肉処理場第五号(その6.5)
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『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめの上、おかけ直しをお願い致します。おかけになった電話――』
ふたたび、何度目となるか分からない無機質な案内音声が流れ、ニシナは電話を切った。もう少しでそれを地面にたたき付けるところだったが、その手はサラに止められた。
「いちおう、これも支給品だ」彼女は言った。ニシナの手からスマートフォンを取り上げながら、「壊すなら、自分のをやれ」
「うっせえな」ニシナは応えた。「壊すつもりなんかねえよ」スマートフォンを取りかえし、「ってか、マジでいよいよ分からねえな」と言って、目の前の道路を見つめる。「なんで、ヒトミさんの携帯もつながらなくなるんだ?」
彼らはいま、最初の空間ループが起きた道路のこちら側に立っていた。
これより十五分ほど前、ヒトミに言われて開けたスーツケースの中には、大量の彼女の着替えと、カットガラスのペンダントが、一本はいっていた。
「もしも、私が戻って来なかったら」
彼女は言った。黄色い水のようなペンダントを、首に掛けながら、それから、昨日入手した携帯聖書型の手帳を手に持ちながら、「ダメもとでいいから、例のお家に行って」
「例のお家?」サラが訊き返した。
「例の、丘の上の、花盛りのお家」ヒトミは答えた。「なにか知ってるとしたら」そうして道路に飛び出して、それから、「それからなにか出来るとしたら、あそこのおばあさんしかいないわ」
ボァッ
と同時に、その言葉に合わせるように、巨大な氷と燃え盛る炎、それらが正面衝突したような音が聞こえ、道の半ば、道の向こう側、いくつもの時間と空間が入れ替わり交わり合う、そんなような景色が現われた。
「ヒトミさん?」
サラとニシナが同時につぶやき、柳瀬ヒトミは、その時すでに、その時間と空間から、別の時間と空間へと移動していた。そうして――そうして?
そう。
そうして、それからしばらくしてふたたび、ヤスコとまひろは、ソファの方へと戻って行った。まひろの作ったトーストと目玉焼きはすばらしく、ふたりはゆっくり談笑しながらそれを食べた。なにか用事があったような気もしたが、食べ終えたあとも、時計はまだ11時をいくらか過ぎたところで、なにかあったとしても急ぐ必要はない。と、彼女たちは考えた。彼らの飼い猫も、ふたたびソファの下でうずくまり、まひろはヤスコを抱き締めて、その髪のにおいを嗅いだ。ヤスコはお返しに、想わず口もとがゆるんでしまうような、そんな言葉をまひろにささやいた。そうして、
「うニャ?」と、この家の猫――ソファの下でうずくまるのとは別の彼女――が、廊下の陰でつぶやいた。
「シーッ」と、柳瀬ヒトミは言った。彼女に静かにするよう、「気付かれないようにね、フェンちゃん」と。なぜなら猫はいま、彼女の肩に座るような眠るような格好で乗っかっていたから。
「ふーん? ニャ?」と猫は訊いたが柳瀬ヒトミは答えなかった。
彼女は考えていた。成長した娘と、その恋人の仲睦まじいすがたに、感慨のひとつもおぼえないではなかったが、それでも、
「それでも」と、続けて彼女はつぶやいた。もし、これを起こしているのがあの恋人の力であるとしたら、娘とあの子を一緒にしておくのは危険、いや、「流石にこれは、危険過ぎるわよね」
娘を、自分と同じ危険にさらすわけにはいかない。そう、柳瀬ヒトミは考えていた。
(続く)




