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第八話:砂時計(その7.5)

 さて。


 前にも書いたとおり、問題は、「陰謀論」である。


 この根拠の有無を問わない世界への釈明あるいは弁明は、「複雑な現実に、上辺の秩序を与えようと、世界に押し付けられるテンプレート」であり、世界の複雑さや精妙さに耐えられない人々を惹き付け、魅了し、彼らの脳や心への負担を軽減してはくれるものの、その代償として、本来そこにあり、可能であれば読み解き、解明すべき「問題」や、本来の「陰謀」を見えなくしてしまう。


 そう。


 それは例えば、目の前に貧困であえいでいる人がいるのなら、あなたが先ずなすべきことは、そのポケットの小銭を、少しでよいから、彼らに分け与えることであって、新世界秩序やイルミナティに腹を立て、彼らの存在や陰謀を追求したり、それに頭を悩ますことではないし、


 また例えば、あなたの敬愛する学者や政治家が、志半ばで不慮の事故死を遂げたとしても、先ずあなたがなすべきことは、彼らの遺志を引き継ぎ、足もとの瓦礫を片付け、学問や政治に邁進することであって、彼らの不幸を、どこか架空の組織や人物のせいにして、ただ夏が過ぎて行くのを悲しむことではないだろう。


 そうして、また例えば、あるお人好しの青年――そいつは二千年ほど前のある晴れた日、高い木の上に釘付けにされてしまったが――、彼の言葉や考えが、その弟子や信者たちにより歪められ、折り曲げられ、一部を切り取り拡大解釈、間違って伝えられている世界であっても、それでも先ず、最初に、あなたがなすべきことは、隠れ家に閉じこもることでも、痛みについて彼に倣う事でも、過去の恋人たちから十字架を取り上げ、真夏の雨にバラを投げ出すことでも、この道の先に救世主が降り立ってくれることを望み、願い、虚しい祈りを上げ続けることでもないだろう。


 そう。


 あなたはただ、目の前のひとに、あなたの隣人に、ちょっとした勇気や、優しさや、正直さを見せてあげればよいだけなのではないだろうか?


 そうすればきっと、そこから、本来あばくべきだった「陰謀」、本当に解決すべき「問題」、そもそも君が手にすべきだった本物の「希望」あるいは「真実」と言ったようなものが、そこここに姿を現わすのかも知れないのだから。


     *


「なにか、手伝いましょうか?」


 と、山岸まひろの声がして、柳瀬ヒトミは後ろをふり返った――「なにか?」


「あ、いえ」まひろは続けた。リビングの入り口に立ったまま、遠慮深げに、「僕も、ちょうど手が空きましたし」


 が、もちろんこれはウソだった。


 たしかに、引っ越しの段ボールを部屋には入れたが、その中身は、整理どころか取り出されてもいなかったのだから。


 つまり、ただただ山岸まひろは、階下の様子が、ヒトミたちが何をしているのかが、気になっただけなのである――「なにか探しもの? 調べもの? ですか?」


 リビングは静かで、ヒトミにサラ、それにニシナと詢吾は、床に置かれた大量のノートと本の間にすわり、ただそれらを開いては、ナニカの手掛かりになるものがないかを探していた。


「“ナニカの手掛かり”?」まひろは訊いた。自分を含めた五人分のアイスコーヒーを準備しながら、「“ナニカ”ってなんですか?」


「それが分からないから困ってるのよ」柳瀬ヒトミは応えた。コーヒーにブランデーか何かを入れてもらえないかお願いしつつ、「陰謀? 密約? 他人には言えない秘密のナニカ?」


「それがお父さまのノートに?」続けてまひろは訊いた。この家にはアルコールの類いがまったくないことを謝りつつ、「環境関係のお仕事ですよね?」


「もともとは環境化学ね」ヒトミは言った。砂糖抜きのアイスコーヒーを受け取りながら、「だけど、お声がかかれば何にでもホイホイ付いてくひとだから」


「研究範囲も、仕事内容も、謎の交友関係も、」とこれは詢吾。ヒトミの言葉を引き継ぐ形で、「なんでもかんでもどんどん広げて」まひろの方に顔を上げ、「ここ数年は家にも戻って来てないんだよね、一度も」そう言って彼もアイスコーヒーを受け取る。


 するとここでニシナが、きっと本を見るのにも飽きたのだろう、


「ってか、写真とかないんスか?」と詢吾に訊いた。「どんな方か興味あるんスよね」ヒトミの方をちょっと見て、「きっとすっごいイケメンなんでしょうね」


 が、この質問には、詢吾ではなくヒトミが、


「顔はそうでもなかったわよ」と、あまり話題を広げたくない調子で言った。「並みの中の中くらい。見てもまったく面白くないと想うわ」


 言ったのだが、ここで彼女は、すこし不思議な感触に捉えられた。


 というのも、その元夫の顔を想い出そうとしたが、何故かそれがうまくいかず、代わりに彼の写真やナニカを想い出そうとしたのだが、それもうまくいかず、代わりになにか、歪なかたちをした透明のまるい容器のような不安が、こころに浮かんだからである。


「詢吾くん?」と、テーブルにすわる彼に彼女は言った。「あのひとの写真って――」


 が、ここで、それと前後するかたちで、


「え? なんでご存知なんですか?」と言う山岸まひろの声に、彼女は口を閉ざすことになる。「たしかにそこは、僕の祖母の家ですが――」


「やっぱりそうですか」まひろの声に続いて、サラの声が聞こえた。


 彼女は、もらったばかりのアイスコーヒーをひと口、コクリと飲んでから、小首を傾げ、それからそのまま、「ヒトミさん」と、こちらを向く彼女に言った。「やっぱり」


「やっぱり、そうらしいので、一度こちらのお嬢さまに、間に立って頂いた方がいいんじゃないでしょうか?」



(続く)

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