間奏:ハト/平野/塩の柱(その4)
「どうしたの? そんなかっこうなんかして」
その日は、よく晴れた夏の日で、西の空に嵐の兆候はあったものの、彼女のすわる巨大な塔、それが建つ平野の辺りは、まるで光のペンキをぶちまけたみたいに、とおくとおく、どこまでもとおく、白と黄色と紫の光線を放ち続けていた。ハトは応えた。
「ひまつぶしに借りただけさ」
が、彼がそう応えた瞬間、そこには、彼とは別にもうひとり、ひとの形をした、どこか変わった、かわいげのあるパナマ帽をかぶった、しろい男の影が出来ていた。男は言った。両手で、太陽の光を遮りながら、
「おかげで、変な女に捕まりそうになったがな」
「女?」女性は応えた。高い高い高い塔の上、風にあおられる風もなく、「あなたを捕まえようとしたの?」どこから取り出したのだろうか、大きな日傘を、彼に手渡しながら。
「まさか」男は応えた。大きな日傘を広げながら、「女の狙いはこの彼――」とここで、
「クルック?」とその彼が訊いた。男に向かって、「クルックー」
「あ? ああ、すまない」男は応えた。彼の頭をなで、いくつかエサを、それに天使の加護も与えながら、「楽しかったよ、また頼む」
「クルッポ」彼は応えた。加護はさておき、美味しいエサに感謝して、「クック、クー」
それから彼は、ふたりに軽く会釈すると、いま来た道へと、西へとつながる空の道へと、そのまま向かって飛び去っていった。
「いいの?」女性が訊いた。頭のまわりに、大きなつばの、白い帽子を作りながら、「捕まったのって、彼の主人じゃないの?」
彼女は先ほど、日傘を渡したそのときに、男の手に触れ、彼がこの数時間に目にし耳にし経験した事柄を、すでに共有していたのであった。
「え?」男がふり返った。「あ? ああ、そう、そうだな」それから、
パチンッ
と、両手の指を同時に鳴らし、
「あ、こら」という女性の静止も効かずに、
「これぐらいなら問題ないさ」と言って、小さな小さな小さな奇跡を、ひとつ起こした。「上に報告するほどじゃあない」
「もう」女性は言った。「彼の小屋?」
「家に入れないのはかわいそうだからな」男は応えた。「古びたカギが、なぜか自然に、腐って落ちたよ、いま」
「まったく」女性は続けた。「奇跡の無駄遣いは始末書ものよ、本来なら」
*
さて。
例えば最新の地球の科学によれば、宇宙のはじまりはおよそ今から137億年前。まったく何もないところにその種がフッと生まれ、生まれると同時にバンッと急激に膨張・爆発、いまの形になったとされる。
が、実はこれは誤り――と言うワケでもないが、あくまでひとつのはじまりにしか過ぎない。
そう。
宇宙のはじまりにはいくつかの、というよりは大量の、パターンがあるからである。
え?
いやいや、「諸説ある」ではなく、「いくつかあるいは大量の、パターンがある」である。
そう。
それは文化的・宗教的――というか、人類を含めたあらゆる存在は、それぞれがそれぞれの「宇宙のはじまりのパターン」を持っており、それらいくつかあるいは大量の「パターン」が合流、混合、弁証法的対立などを経由して、現在の宇宙をかたち作っているからである。
え?
いやいや、だから、「宇宙観」ではなく、「宇宙」ね。「宇宙そのもの」。
そうそう、そうそう。
つまり。これもあまり知られぬ事実であるが、これら数多の宇宙に関する認識やその積み重なり、上乗せ、重ね合わせが、「宇宙そのもの」をかたち作ることになっているワケである。
そう。
それは例えば、現代物理学であれば、先ほども述べたように、いまから約137億年前にこの宇宙は創られたとするであろうし、
また、ある南方諸島の一部族によれば、それは彼らの祖父母のそのまた曾祖父母の、さらにそのまた祖父母の三千五百世代前の十日ほど前に始まったと言うであろうし、
いやいやもっと具体的に、それは紀元前四〇〇四年のある秋の日の午後だとする人たちもいれば、それに対抗するように、それを紀元前五五〇八年の暑い夏の日だったと主張する者たちもいたし、
ああ、そうそう、それに例えば、とある有名な理論物理学者などはずうっと、「宇宙は不変であり、そこには終わりも始まりもない」と主張してたりしたのだが、彼の仲間のある修道士に、とある計算結果を見せられると、
「ちっくしょう!」と叫んだかどうかまでは定かではないが、それでも、自身が作ったある有名な物理方程式について、「宇宙には終わりも始まりもありました、すみません」と、宇宙に対する見方の書き換えを行なったりしてもいる――のだが、話が逸れ過ぎた。
で、まあ、それでも。いずれにせよ、これらの認識はすべて、同じように正しく、同じように間違っている。
なぜならそれは、先ほども言ったように、人類を含めたあらゆる存在による「宇宙の見え方」、それらそれぞれがそれぞれに持つ「宇宙の認識」、その寄り集まり、最大公約数的かつ最小公倍数的重ね合わせ状態こそが、いま、我々の目の前にある、この宇宙だからである。
そう。
なのでその為、ある存在の宇宙では、その宇宙に沿った歴史や物事、それこそその存在における造物主が現われ、また別の存在の宇宙では、その宇宙に沿ったナンヤカンヤなテンヤワンヤが生まれ、存在し、それらの歴史や物事、存在やその他もろもろナンジャモンジャのカマンチョメンガーも、我々が認識さえすれば、そこに現われ、実在することになるのである。
そう。
そうしてやっと、ここまで書いて、どうにかやっと、やっと皆さまにもご理解頂けることになるか想うが、今回、あまりに唐突に登場した一組の男女、しろい彼らは、その「ある認識」においては実際に――花盛りの家の居候同様実際に――確実に存在し、あちらを仮に「悪魔」と呼ぶのならば彼らは、その「ある認識」においては、「天使」と呼ばれる存在なのである。
(続く)




