第六話:聖母教会の円屋根(その6.5)
ある、秋の夜の日のこと。
その日の夜は金曜で、その日の富士夫も、父から与えられたいくつかのミッションをこなすのに必死で、帰宅は深夜もちかくになっていた。子どもたちの寝顔が想い起こされ、妻は待っててくれるだろうか? まひろが起きていたら、早く寝るように言おう。そう、富士夫は考えていた。が、
「なにをやってるんだ、君たちは」
と、リビングにはいるなり彼は言った。まるでちいさな飼い犬が、新品のクッションをくわえて遊んでいるところを見つけた飼い主のような声で。
「教会よ」彼の妻・美樹は応えた。「私たちはいま、大きな教会を描いているの。私がむかし、テレビで見た、その記憶だけを頼りにね」
彼女の前には大きな、なにかの袋を破いてひっくりかえしたような、そんな未晒しのクラフト紙が置かれ、そのまわりには子ども用のクレパス、色鮮やかな何色ものクレパス、が散らかっていた。
そうして、そんな未晒しのキャンバスと美樹との間には、彼女のヘアバンドで目隠しをされたかたちの山岸まひろが、しろい何かの、彫像のような格好で、座っていた。
「おかえり、兄さん」まひろは言った。すこし酔っているのだろうか、「教会と大聖堂の違いって知ってる?」そう笑いながら。「私は、知らなかったな」
それから彼女は、兄の顔を見ようと、そのヘアバンドの目隠しを取ろうとしたのだが、その手は、
「あ、ダメよ、まひろちゃん」という美樹の声に止められることになった。「完成するまでは、目は閉じたまま――それからね」
それから美樹は、緑のクレパスを持ったまひろの右手を、改めて自身の右手にぴったり重ねると、
「この教会の中には、その地の偉人や聖書に出て来るようなひと、それに悪魔や天使みたいななにかも祀られていたのよ」
そう言って教会の内側にみっつの人影のようなものを描き加えた。最後のひとつは途中でクレパスを赤色に変えたため、上半分が緑、下半分が赤色という奇妙なものになっていた。
「どう? 兄さん? ちゃんと描けてるかな?」
まひろが兄に訊いた。が、しかしこの質問には、
「大丈夫よ、まひろちゃん」と、今度は彼女に、灰色のクレパスを握らせながらの美樹が答えた。「富士夫さんの意見は、絵が完成してから拝聴すればいいわ」
そのため富士夫は、しばし無言のまま、床に荷物を置くと、彼女たちのかたわらにあるソファへとすわり、テーブルの上に置かれたふたつのコップを一瞥してから、
「飲ませたのか?」そう美樹に訊いた。とがめるような口調にならないよう、十分に注意しながら。
「ちょっとだけね」彼女は応えた。「話し相手になってもらう代わりに、ちょっとだけ」それから彼女はまひろに向かって、「どう? ちゃんと出来てるでしょ?」と、教会の石造りの円屋根を描きながら言った。「あなたは出来っこないって言ったけど、たいしたものよ。もう少しで完成よ」
美樹に言わせると、この聖母教会の円屋根は、この町を囲んだプロシャ軍の砲弾もしぶきのようにはね返したとのことだった。
「あとはそうね、こっちは燃やされ倒されたんだけど」と、ふたたびまひろに赤色のクレパスを持たせながら美樹は続けた。「町の向こう側には大きな尖塔があったそうよ、十字架教会のね」
「“せんとう”?」言葉の意味を聞き損ねてまひろは訊いた。
「“尖塔”ね」美樹は答えた。「頂上がとんがった、高く突き出た建物のこと」まひろの腕を長く伸ばし、その頂上を描かせながら、「敵の動きを監視するためのやぐらとしても使われていたそうよ」
それから、その尖塔が炎に包まれているさまをも同時にあらわした。
富士夫は、黙って彼女たちの様子を見ていた。まひろが飲み残したであろうグラスを手に取り、すっかり生ぬるくなった中の液体を喉に通しながら。
「いいわよ」美樹は言った。「とても素敵に描けてる」まひろではなく富士夫に向かって、「人生っておかしなものよね、あなた。まさかこんなことをやる羽目になるなんて、想いもしなかったわ」
富士夫は、その教会のことを知っていた。その円屋根の上から、廃墟と化した都市を見下ろす青年と修道士のことも知っていた。
「“修道士が言った。”」富士夫はつぶやいた。「“「このような不詳の場合にそなえ先人たちは――”」まひろを介し、ザラザラとした紙の上を動きまわる妻の手を、美しいと想いながら、「“この教会をこのように、頑丈なものに、作り上げていたのです。」”」
彼女たちは、尖塔に続き、大きな扉やアーチ付きの窓、ゲッセマネのレリーフすら描こうとしていた。
もう、止まらなかった。
「“それからこのひとのよい修道士は――”」美樹が応えた。「“四方の廃墟を指し示すと――”」まひろの黒い髪の毛に、ちいさな顎をやさしく載せて、「“もの想わしげにこうつぶやいた。「奴らの仕業なのです!!」”」
(続く)




