第五話:But don't look back in anger.(その4)
ドアを開けて店に入ると、いつも不機嫌なカウンターの男性が、彼らに気付いて、いつもどおりの不機嫌な声で、「いらっしゃいませ」と言った。
店の中は涼しく、吹き出ていた汗も一瞬で引いたが、不機嫌な男性の腕は白く、いまにも凍えてしまいそうなほどであった。
「Aセットを」樫山詢吾は言った。壁のメニューをしばらく見てから、「飲み物はジンジャエールで」
「お連れの方は?」不機嫌な男性は訊いた。レジをなにやらカタカタカタとやりながら。
「僕もAセットで」江崎清一は答えた。「サラダは大盛りで」
「かしこまりました」不機嫌な男性は応えた。ふたたびレジをカタカタカタカタとやり、一瞬「あ、」とひとりつぶやいてから、それでも不機嫌で不愛想な声は崩さずに、「お連れの方、お飲み物は?」
彼のこの様子に、江崎と詢吾は、一瞬わらってしまいそうになったが、別に彼とはそこまでの仲ではないことを想い出すと、
「カルピスソーダを」江崎は応えた。一瞬の間を置いて、「お願いします」
「かしこまりました」不機嫌な男性は続けた。凍えそうな左の二の腕を、右の手のひらでこすってから、「※※※※円になります」
江崎が代表して会計を済まし、「7番の番号札でお待ちください」と、不機嫌な男性は、白いちいさなプラスチックをふたりにわたした。
それから彼は、ふたりに気取られないよう十分注意しながら、ほんの一瞬、くすっとわらった。そうしてそのまま今度は、江崎の背後に目をやると、
「いらっしゃいませ」と言って続けた。ふたたびの不機嫌さと不愛想さでもって、「何に致しますか?」新しい客がはいって来ていた。
「メロンソーダフロートと、ホットコーヒー」新しい客は応えた。間髪をいれずに、「なるはやで頼む。死にそうなんだ」
しかし、ホットコーヒーとメロンソーダフロートが遅れたくらいで、彼が死ぬことはないだろうし、その丸太のような右腕に彫られた緑のカメレオンと黄色いユリの花は、一見、聖書の販売員のように見える彼の強さを代表してもいた。
「おい、」詢吾が江崎に言った。「席にすわっていようぜ」
殉教者と盗賊を掛け合わせたような男の風貌に、江崎が意識を奪われかけていたからである。
「スケッチでも始めそうな雰囲気だったぜ」詢吾は言った。店の真ん中あたりに突っ立って、「どっちにする?」
右側のテーブルを選べば、まわりに人はいないが、外からの光は、ブラインド越しでも相当な強さに見えた。
「どっちって?」江崎は訊き返した。手のなかのプラスチックを、縦にしたり横にしたりしながら、「なにが?」
「席だよ」詢吾はくり返した。「どっちがいい?」
左側のテーブルを選べば、真夏の太陽からは逃れられるが、代わりに、すぐそばの席には、派手な衣装の女が5人も座っている。
アッハハ、ハハハ。
そのうちのひとりが、大きな声で笑った。とても巨大で、杏奈姉妹とヤスコを足しても、彼女の体積・重量には、とても届きそうもなかった。他にもふたり、大柄な女はいたが、彼女が一番、大柄な女だった。
アーッハッハ、ハッハッハ。
ふたたび女がわらった。今度は他の大柄な女たちも一緒にわらった。のこる二人の女たちは、ごく普通の大きさだったが、どちらも長い髪を目一杯漂白して金色に染めていた。
「よし」詢吾はそう言うと、江崎の手を取り、右側のテーブルへと引っ張って行った。
ふたたび江崎が、スケッチでも始めそうな表情をしていたからである。
*
「だって、興味深いじゃないか」セットのサラダを食べながら江崎は言った。
「失礼な意味でだろ?」詢吾は応えた。自分のサラダを彼に分けながら、「珍しい動物でも見るような目、しやがってよ」
「めずらしいだろ? 実際」江崎は続けた。「ああいうキャラを出すと、もり上がるし人気も出ると想うけどな」
「五人組でな」
「盗賊団とかギャングとか、最初は悪役として出て来るんだけど」
「実は義賊で、親に捨てられた小さな子どもたちをみんなで面倒見てたりしてな」
「○○ママ、◇◇お母さん、なんて呼ばれ――」
と、ここで江崎は、彼女たちの方をもういちど見ると、
「もちろん、ロマンスも入れてさ」
と続けて、詢吾にも向こうを見るよう言った。彼女たちの席は、江崎の正面、詢吾のうしろ側にある。
「いや、いいよ」詢吾は応えた。すこし笑いながら。ただ、ふり返って見るだけの勇気は彼にはなかった。
「いいから」江崎は続けた。こちらもすこし笑いながら、「一瞬でいい、ふり返ってみろよ」
そうして詢吾はうしろを向いた。ほんの一瞬。それからすぐに、元の位置へと向きなおった。
「マジか?」と彼は言った。今度はたしかに、うれしそうに、「はじまってるのか? ロマンス」
というのも、さき程のホットコーヒー&メロンソーダフロートが、彼女たちの席のとなりにすわっていたからである。頬を紅潮させ、一番大柄な女を、横目でちらちら盗み見ながら。
「最初は、いちばん奥の席に座ってたんだけどな」江崎は言った。小声で、「しばらくしてから、ハッとなって、あそこに移動したんだ」
「女の方は?」詢吾は訊いた。「気付いてるのか?」
「おっきい方は分からないけど、金髪のひとりは気付いて――あ、」
「どうした?」
「男がうごいた」
ふたりは息を飲み、詢吾は、彼らに気取られないよう、目だけでうしろを向いた。すこしの間、店内全域に、緊張が走った。カウンターのミスター不機嫌すらも含めて。そうして、
アーッハッハッハ!
アーッハッハッハ!!
と、ひと際おおきな声で女がわらった。わらい続けた。わらい続けて、身体をゆすった。
「おかしいわ」彼女は言った。とても素敵な声だった。「おかしくって、たまらないわ」
しかし、このセリフを、ミスターメロンソーダフロートは、別の意味としてとらえたのか、肩を落とすと顔を青くし、彼女たちから離れようとした。なので大柄の女は、
「ちがう、ちがう、ちがうのよ、お兄さん」と言って彼の手を取ると、連れの女たちに席をズレるよう目で合図した。「うれしくって、おかしいって言っただけ」男を隣に座らせた。
アーッハッハッハ!
アーッハッハッハ!!
もういちど、彼女はわらった。おおきな身体をよじりながら、彼女は本当に素敵な声をしていた。
「わたし、ノリコ。あなたは?」
「タカシです。ツヅミ・タカシ」
それからふたりは見つめ合い、言葉を交わし合った。他のおんな達はほほ笑んでいた。すこしの戸惑いと、嫉妬にも似た感情を、必死で隠しながら。
「スゴイな」詢吾は言った。「こんなことってあるんだ」
すると、この言葉に江崎は、
「なにを言ってやがる」と言った。手をつなぎ始めた彼と彼女から目を離し、すこし不思議な表情で。
「うん?」詢吾は訊き返した。こちらも不思議な表情で、「なにが?」
彼のその不思議そうな顔に江崎は、こちらもすこしの戸惑いと嫉妬、それに過去の恥ずかしい記憶なんかを必死で隠しながら、
「ヤスコさんさ」と、つぶやくように、吐き捨てるように言った。「お宅のお姉さんはどうなんだよ。金曜にはじめて会った相手と、今日から一緒に暮らすんだろ?」
アーッハッハッハ!!
アーッハッハッハ!!
アーッハッハッハ!!
アーッハッハッハ!!
ノリコとタカシが、一緒になってわらった。店中にひびき渡るような声で。
「今日、まだ、火曜だぞ」
江崎は一時期、ヤスコに好意を抱いていたことがあった。
(続く)




