第三話:塔とペンギン(その7)
さて。
それから彼らは部屋を出た。
エレベーターに乗り込み、ロビー行きのボタンを押しながらニアが、「他の候補は? もう見たの?」とまひろに訊いた。
するとまひろはこれに、「ここが最後でしたけど」と言って答え、「どこも似たような感じで――」と、言葉をにごしつつ止めた。
なので代わりに杏奈ニアは、「どこも気に入らなかったってワケね」と、まひろの言葉を受けて言い、「もったいない話よねー」そう続けてから、「じゃあ、これからどうするの?」と、改めてまひろに訊いた。「ってか、なんでそもそも、部屋なんか探してるの?」
まひろは現在、一番上の兄・富士夫の家族とともに、彼らの実家で暮らしている。父母は別の土地に新たな居を構え、残りの兄ふたりも、既に家を出ていた。
「別に、だからってワケでもないんですが」とまひろは言うが、
まひろも既に仕事をしており、それなりの収入もあるのだから、独立心を養うためにも、そろそろ家を出てはどうだ? というのが兄・富士夫の――取り敢えずは表向きの――意見のようであった。であったが、
「だったら勝手に、自分で好きな部屋見付けて引っ越せばいいじゃない」
と、ここでニア。エレベーターは既にロビーに到着しており、彼女は皆に、先に降りるよう促していた。
「独立心がどうこう言っといて、自分が持ってるマンションに住まわせるってのも変な話よね、そのお兄さん」
すると、そんなふたりのやり取りを傍で聞きながら樫山ヤスコは、「それは多分」と想った。
「それは多分、彼女の自身に対する認識がもとで、なにかお兄さんを戸惑わせることでもあったのだろう」と。
そう。
一昨日の夜に会ったまひろの兄・富士夫の態度を想い返すに、どちらかと言うと彼は、まひろを出来るだけ手元に置いておきたがっているように見えた。そう。それは例えば、
「さあ、まひろ、帰るぞ」
と言った彼の口調が、明らかに保護者のそれであったことからも分かるのだが、ただ、それとは別に、
「まだ、こんなことをしているのか?」
とまひろに言い、
「うちの妹に! これ以上近付くなと言っているんだよ」
とヤスコに叫んだ彼の声には――あの後ヤスコは最初、彼の言葉や態度を、このような関係に対して、一般的な男性が持つ嫌悪や戸惑いから来ているものだと勘ちがいしていたのだが、よくよく想い返すに彼の声には、それだけではなく――明らかな、まひろ個人に対する、怒りや憎しみのような物も、含まれているように想えた。であれば、
「これは、家族の問題でね」
そう言った彼の言葉も、実はまひろの自認だけの問題ではなく、それを発端とした何かが家庭内で起こり、そのため彼女を、家から出したい、離れさせたいと想ったあの――
「ま、ただの過保護って気がしないでもないけどね」
とここで、杏奈ニアは言った。ヤスコの、悪い意味でうがち気味になる思考を止めようとするかのように。
「年の離れた弟を心配してのことなんでしょうけどさ」とニア。「いいわよねー、私もそういうお兄さん欲しいかも」と言って隣を歩くジアの腕を取る。「冷たくクールな、姉なんかじゃなく」
すると、
「うるさいなあ」と、その手を払いのけながらのジア。「私だって年の離れたカワイイ弟の方がよかったよ」
そう言いかけたのだが彼女は、ここで一瞬、不思議な顔をすると、
「……弟?」とつぶやいてからうしろを振り返った。並んで歩く、ヤスコとまひろの顔を交互に見ながら、「いや、待て、ニア」
が、ここで突然、
「いかがでしたかな? お部屋の方は?」
と、このマンションのコンシェルジュが彼らに声を掛け、彼女の言葉はそのまましまわれる事になる。そうして、
「山岸の大奥さまからも富士夫さまからも、まひろさまにはよくするよう受け賜わっておりまして」
と、このマンションのコンシェルジュは続けた。このマンションがいかに素晴らしく住み心地が良いか、投資用物件としてはもちろん、高所得者層向けの居住用物件としても超ハイクラスに当たるのだとかなんとか、
ペラペラペラペラ、
ペラペラペラペラ。
まるで、嘘をついている噓つきが、嘘をついていることを隠しもしない調子で、
彼の赤い肌とくろいあごひげを隠そうともしない様子で、
そうして、まひろとヤスコが、その嘘に取り込まれるかどうかを試すかのような格好で。
「なに? あのひと」
と、彼らから離れた場所で杏奈ニアはつぶやいた。
「さっきのおじさんとちがわない?」
それからふたたび、ジアの手を取りながら、
「てか、キライ。あのひと、わたし」
すると、彼女のこの言葉と態度に杏奈ジアは、すこし背中に、イヤなものを感じると、
「樫山さん!」と、あせったような声で叫んだ。「そろそろ行きましょう!」
「え?」
そうしてヤスコはふり返った。気のせいだろうか、なんだかジアが遠くにいるように見える。
「え? あ、うん、そうね、そうよね」
目の前のコンシェルジェの顔に、変な既視感と違和感を覚えながら、
「ほら、まひろくん、行きましょ」
そう言って恋人の手を握り、
「くわしいお話はまた後日、聴かせて頂きましょうよ」
そう言って、お辞儀をして、歩き出した。
「ええ、はい、それは、ヤスコさま」
コンシェルジェは応えた。教えていないはずの彼女の名前とともに。彼らの背中を嬉しそうに眺めながら、
「あるいは! いますぐにでも!」
ロビー全体を揺るがすような声で、
「あなたが! ご決断なさるか!」
しかし、それでもきっと、誰にも届かない声で、
「未来はッ! 待ってはくれませんぞッ!」
そうして、ロビーにひとり残されながら。
「まったく、」陰へと溶け込みながら悪魔は言った。「めんどうな方々だ」
(続く)




