第三話:塔とペンギン(その5)
「はー、はっはっは! 見てジア! 人がゴミのようだぁ!!」
「ここでそのネタは止めろ、ニア」
「だって、すっごいわよ、ほんとここ。ホントに人がアリンコみたいに見えるし、すっごい遠くまで見え――あ、あれ富士山かな?」
「なワケないだろう」
「えー、でもそれっぽくない? なんだか『山ッ!!』って感じだし」
「私もよくは知らないが、もっと尖ってるんじゃないか? 富士山」
と、言うことで。
彼女ら杏奈姉妹に、日本の地理など話したところで分かって貰えないだろうが、実際のところ、彼女たちが今いる部屋は、件のマンションの最上階、その北東角部屋なので、富士山はその真反対、きっと見えているのは――いや、この辺りにそんな高い山はないはずなので、きっと目の錯覚かなにかなのだろうし、そうして、
「でもここ、ほっんと、おっどろくほど広いわよね」と、リビングをぐるぐる歩きながらのニアも言うとおり、「2LDKってもっとこじんまりしたもんだと想ってたわ」
物が置かれていないからとは言え、天井の高さもあってかこのマンションは、それこそヤスコの住むおんぼろ一軒家よりもっとずっと広い印象を彼らに与え、更には、
「風通しもいいしさあ、それにアレでしょ? 高層階だと虫も来ないんでしょ?」と、虫ぎらいのニアにはうらやましいことこの上なく、「ロビーのおじさんも優しそうだったしさ――あ、ねえねえ、見ててジア」
「あ、おい、ニア、やめろ」
「せーのっ!」
ひょいッ
と彼女に、スカートがめくれるのも構わず、側転をさせてしまうほど素敵に見える場所でもあった。
「いいじゃん、いいじゃん、山岸。ここに決めなさいよ、ここに」とニア。スカートの裾を直しながら、「なやむことなんかないじゃない、こんなステキな物件」
が、しかし。
そんなニアの無邪気な顔に微笑しつつも山岸まひろは、それでもなんだか、浮かない、困ったような、そんな目で、その明るく、清潔で、ツヤのあるフローリングの床をながめていたし、それに、
「それはたしかに、いいお部屋だとは想いますけど――」
と今朝、ヤスコの家の窓から見えた、八重咲のしろい花のことをも彼女は想い出していた。
「あの花のなまえは、結局、なんと言うのだろうか?」と。
*
「だから、問題は花なんだよ」
と、江崎清一は言った。作業机の前に立ち、左手にペンタブのペンを、右手に安物のマウスを持ちながら、
「要するに、我々絵描きのしていることと言えば、あの美しい女性たちのまわりを、グルグルグルグル、うろつくことくらいなのではないだろうか?」
と言っては、二面あるモニターのうち一つを使って、ひたすらに、キレイなモデルや女優や有名人の動画や画像やイメージ映像を、彼は検索していた。
「あの慎重に、しかし無自覚に組み上げられた仮面の奥、その内側に這入り込むこと、それは、我々男には、所詮願っても叶えられない、土台無理のある夢物語なのではないだろうか。ちがうかね? 樫山詢吾くん」
が、しかし、このくり返される問いに対して当の詢吾は、リビングのソファに寝っ転がっては、無課金のスマホゲームをカタカタカタカタ、あたま空っぽな感じに続けるだけで、
「ふーん」とか、「ああ、まあ、そうかもな」と、適当な相槌を打つだけであった。「それはさておき、俺の仕事は?」
すると江崎も江崎で、
「まったく。近ごろの編集者という生き物は、どういう理由で働いているのやら、どういう料簡で仕事をしているのやら、まったくもって意味が分からんな」
と、詢吾の問いには答えず、ひき続きネットで画像を検索しては、
「なにかあるとすぐに「とにかく美少女を出して下さいよ」だの、「江崎さんの描く女の子ってのは、こう、ちょおっと色気ってやつが足りないんですよね」だのなんだのぬかしやがって、」
云々言いつつ、
「この子でもない」
「この子は若すぎる」
等々、画面に現れる美女や美少女やキレイな男の娘をことごとくスクロールしては最後に、
「しかも! ○○社の※※さんに至っては、「ヒロインの胸、もうちょっとおっきく盛りましょうよ、おっきく。ね、先生」とか言いやがってよぉ! 分かってねえッ!!」
と叫びだしたので、これには流石の詢吾もため息を吐いて、
「なあ、おい、江崎よ」
と、ゲームを打つ手を止め、ゆっくり起き上がると、
「なんならその短編、女の子のデザインは俺が考えようか? おまえメカは天才だけど、正直女の子は――」
と、友と締切のことを考えながら言った。
がしかし、これがかえって江崎清一のマンガ家魂なるものを刺激したのだろうか彼は、
「それは違う! それは違うぞ! 詢吾!!」
と、いまにも詢吾を押し倒さんばかりの勢いで彼に詰め寄ると、
「“物数を極め、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし”」
と、なにやら呪文のような言葉を唱え、
「そこはッ! そこだけはッ! 自分で描かねばならんのだよッ! 樫山詢吾くん!!」
とかナントカ、詢吾も作者もドン引きするくらいの熱量で語った。
「描かねばならんのだよ」
そうして、それから江崎は、不意に冷静さを取り戻すと、詢吾から離れ、作業机の方へと戻って行った。
「描かねば……ならんのだよ」
が、しかし、ここで困ったと言うか、それでも心配がのこるのは詢吾の方である。そうは言っても、
「そうは言っても、締め切りもあるだろうし、どっかで折り合いつけないとよ」と彼は続ける。「なんか適当なアイドルとかアニメキャラとかモデルにしてさ」
「それでは、俺の「花」は表現出来んのだよ、詢吾くん」と江崎は応え、
「だったら、おまえの頭の中の「花」とやらをそのまま描き出せばいいだろうが」と詢吾は言うが、
「そんなことが出来たら苦労はせんのだよ、樫山詢吾くん」と江崎。「俺の「花」は、俺の頭の中にあるからこその「花」なのであって、それを「はい、どうぞ」と取り出したからと言って、それが果たして「花」足りえるかと言えば――」
「だから、そこはお前のサジ加減で――」
ピロンッ
と、ここで突然、詢吾の手のスマートフォンが鳴り、続いて、
ブブッ、ブブッ、ブブッ
と、三枚の写真の到着を報せる振動音がした。
「……誰からだ?」
「うん? あー、ニアちゃんから。例のマンションの写真だってさ」
「どうせいつもの、背景も見えなければ、自分の顔しか写っていない、自己満足のためだけの写メだろう?」
「え? いや、なんか今日のは、姉貴かまひろさんが撮ったんだろうけど、しっかり背景も映り込ん――うわ、マジでタワマン見晴らしすげえな」
「ふん。どうせまた、あいつひとりでカワイイ子アピールしているだけの写真だろう。ちょっと見た目がいいからといって――」
「え? いや、今日のはジアさんも一緒に行ってて、姉妹で一緒に――」
ドタッ、
バタッ、
ガバッ
とここで江崎。突然立ち上がり、詢吾に抱きつくと、
「見せろッ、見せろッ、見せろッ」と彼の手からスマートフォンを無理やり奪い取る。「ああ、ジアさん、今日もお美しい」
それから彼は、詢吾のスマートフォンから画像を転送、ネットのブラウザをすべて閉じると、そこのモニターにトリミングしたジアの顔をアップでデカデカと映しては、
ササササ、
ササササ、
ササササ、
サササーーーーッ!!!
と、目にも止まらぬ早業で、原稿を仕上げていくのであった。
「あのさ、江崎」
と、ここで詢吾。そんな彼をマジで本気でスッゴイなーと感心しつつも、それでも少しキッツイなーとか想いつつ、
「ニアちゃんとジアさんが双子ってか、そっくりだってのは分かってるよな?」
「うん? ああ、まあ、見た目はな」
「うーーーーーん?」
「どうした?」
「いや、まあ、なんて言うか、お前の言わんとする「花」ってヤツが、分かったような分からんような」――彼女たちの違いにはっきりと気付けるのだから、こいつの目は確かなのだろうが、あるいは、「あのさ、江崎」
「なんだ?」
「そろそろジアさんとも、マトモに喋れるようにしないか?」
しかしこんなセリフは、馬の耳にと云うか釈迦にナントカと云うか、暖簾にカントカなんだろうな。
「分かってないな」と江崎は応えた。「そんなことしたら、描けなくなるだろうが、マンガ」
(続く)




