第三話:塔とペンギン(その3)
それから、1時丁度にスマートフォンの目覚ましが鳴って、鳴ると同時にそれは切られた。
と言うのも、それが鳴りはじめる丁度3分前に、ベッドの中の江崎清一は目を覚ましていたからであり、彼が目を覚ました理由は、ふだん使わないキッチンから、トマトとカレーとニンニクのよい香りがして来ていたからであった。
そうして、結局のところ、この短い眠りのあいだに、江崎清一が夢を見たのかどうかは、よい夢を見たのかどうかは、彼の中の夢の記憶が消えているので、結局誰にも分からないのだが、それでも彼は、このトマトとカレーとニンニクの香りに、
「ま、夢なんか見なくてもいいか」
と想い、続いて、
「あの野郎、またひとん家の食材勝手に使いやがったな」
と想った。
*
「なに? じゃあ、キスもまだなのか?」
と、カリカリに焼かれたうすい食パンをかじりながら江崎清一は訊いた。「自宅にお泊まりしたんだよな? その相手」
「あの様子じゃあ、九分九厘そうだろうな」
と、鍋に残った最後のスープを取り分けながら樫山詢吾は言った。「寝室は分けるし、朝メシの時も、なんか、こう、ぎこちないって言うか、見つめ合ったまま固まってたりもしたし」
「それは……、まあ、ヤスコさんらしいと言えばらしいけどな」
「あと昨夜は、千佳子さんもニアちゃんも来てたってのもあるけどな」
「それでも、みんな帰ったんだよな?」
「俺も気を利かしてさ、ニアちゃん送ったあとコンビニで時間つぶしたりしてたのに、あのひと、フェンチャーチに邪魔されたんだとさ――下手な三文小説じゃあるまいし」
「それは……、まあ、このお話の作者らしいと言えば作者らしいがな。その雑さ加減が」
「ってことで。場合によっては泊めてくれよ、今夜」
「はっ?」
「ちゃんとふたりきりにしてやろうと想ってさ。どうせたまってんだろ? 原稿」
「いや、まあ、お前に渡せられるかどうかは、俺の作業次第だけどよ」
「いいよいいよ。仕事ない間は、ゲームでもして待つから」
「まあ、いいけどよお……、しかし……、その……、そもそもお前がいないくらいで……、その……、アレだ……」
「チューするかって?」
「うん。だって……、あのヤスコさんだぜ?」
「さすがにするだろ、チューぐらい。昨夜もレモンケーキで酔っ払って――」
「いや、ほら、当人のやる気はさておき、変なところで奥手っていうか、根っから間が悪いっていうか」
「でもまあ、俺はいないし、フェンチャーチにはよーく言って聞かせて来たし」
「しかし……、たとえばまた、なにか邪魔が入るとか……」
「ネコ以外なにが入るってんだよ、家にふたりしかいないのに」
*
「いっやあ、お休みのところ、急にすみません。今日行こうとしていたお宅が日にち間違えていたらしくて、なんかいま幕張だそうで、それだったら樫山さんとこ先に直そうかなって――いまから行っても、大丈夫ですかね?」
*
「エアコンの修理?」
「姉貴の部屋のが壊れててな。来週になるって言ってたのが早まったらしい」
「ほらあ、やっぱりじゃん」
「いや、でも、修理なんか直ぐに終わるだろうし、そしたら流石に――」
「いや、これ、絶対なんか他にもあるって」
「ないない。他にはもう、来客の予定もないし――」
*
「お姉さまー、ニアですー、ゆうべー、スマホの電源忘れちゃったみたいでー」
*
「ほらあ、もうこれ、マンガにしていいか?」
「だめだめ、スマホのコードだけだろ? ニアちゃんもすぐに帰るって」
*
「あ、あと、ジアもー、今日はお休みなんでー、連れて来ましたー、ひっさしぶりにー、美人三姉妹でー、お出かけとかー、おしゃべりとかー、しましょうよー」
*
「あーあ、ジアさんまで連れて来られると断れないよな、ヤスコさんも」
「いや、でも、そこはジアさんが気を効かせて――」
*
「おい、ニア、樫山さんのご迷惑になってもアレだから、充電器見つけたらすぐに帰るぞ」
「えー、ジアこそお姉さまとは久しぶりなんだから、ちゃんとコミュニケーション取っ――」
「あ、どうも、ニアさん、昨夜は――」
「は?」
「はい?」
「なんで山岸がまだいるのよ?」
「あ、ニ、ニアちゃん、ちがうのよ、昨夜は遅くなって危なかったから、まひろ君には、ちょっと、ちょおっと泊まってもらっただけで――」
「えーっ! 私は帰したのにですか?! 信じらんないッ!!」
「あ、おいこら、落ち着け、ニア」
「え? なに? じゃあ、お姉さまのお部屋に泊ったってことですか? この新参者が?」
「新参者……」
「あ、いや、そこはちゃんとお部屋は分けて、あなた達が使っていたお部屋が空いてたから、まひろ君にはそこに――」
「はあッ?! 私たちの部屋にこいつを入れたんですかッ!!」
「だからニア、いまはもう私たちの部屋じゃな――」
「え? なに? じゃあひょっとして、私が使ってた布団とか枕とかも、このぽっと出に使わせたりしたんですか?!」
「ぽっと出……」
「あ、あれ、ニアさんのお布団だったんですか?」
「キャー、変ッ態!! 信じらんないッ!!」
*
「ほらあ、さすがのヤスコさんじゃん」
「俺、もう、帰るの怖くなって来たよ、家」
(続く)




