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救世主出現の吉報を耳にしてから三日ほど。
西園寺百合亜は緊張の面持ちで、小料理屋の座敷で正座をしていた。
上座には険しい表情の堅四郎、続いて十祈の姿がある。
母親の代わりといって、家政婦の十祈にも半ば強引に同席してもらったのは、心細いからという理由に相違ない。
恐れ多いといいながらも、興味津々な様子で意外にも乗り気だった……ということは、百合亜にとっても幸いだった。
「青年実業家がおまえを見染めた、というのは本当だろうな?」
あらかじめ油小路という男との見合い話が浮上していたにもかかわらず、娘を金持ちに嫁がせられればなんでもよい、という考えの堅四郎は今回の――網に魚が大きい可能性があるため逃すわけにはいかぬというわけで、名乗りを上げた男と見合いをさせることにした。
ところが、肝心の見合い相手が時間になっても姿を現さないのである。
「ええっと……きっとお忙しいのでございましょう。もうしばらく待っても――」
大事なお嬢様をヒヒジジイより年の近い男に嫁がせる方がマシ、と考えている十祈はこの見合いに賭けているようだった。
肝心の百合亜の気持ちは、というと……
――確かにそうなのよね……あの油小路という方に比べれば遥かにマシな殿方に決まっているし……でも、この話が流れるなら流れても……。
まだ結婚しようと決心するところまでは至っていなかった。
やはり、欲しいのは太いパトロン。
自由の身のまま借金を返す――その額を父に叩きつけて家を出てやるくらいの気概はあるのだ。
「お、遅くなり申し訳ございません……」
ここの払いはどうするんだ、と堅四郎が汗だくになっていた頃――
息を切らせながら座敷に飛び込んできたのは背広を着た青年。
年齢は、二十代後半といったところ。
髪型はピシッと七三に分け、顔立ちの整った高身長でスタイルのいい男性だった。
まず、ルックスに関しては申し分ない。
十祈の方もそこまで期待していなかったのか、驚いたように呆けていて、その隣の堅四郎も硬い表情をやわらげた。
一応は経済力さえあるのなら、年齢的に釣り合うイケメンに娘を嫁がせたいという親心的なものはあるらしい。
「え……えと、種子島千蔵と申します。清涼飲料水を販売する会社を経営しておりまして……」
「ほお。かなりお若いようですが、経営の方は……?」
緊張気味に言葉を紡ぐ千蔵に対し、堅四郎が最も気になっていた部分を尋ねた。
「ありがたいことに、順調でして。いくつもの店舗に我が製品を置かせていただいております。『気分爽快☆レスカッシュ』、ご存じありませんか?」
懐からレモン色の瓶を取り出し、千蔵は見せた。
「……申し訳ないが……そのような流行りものには縁遠く……」
堅四郎がハンカチで汗を拭った。
かつては贅沢三昧だったとはいえ、さすがに差し押さえの赤紙まみれの家に暮らしていればここ一年ほどは堅実に――茶さえ飲まずに白湯を啜るくらいにはわきまえていた。
ゆえに、高価な(?)流行の飲み物なんぞ知るわけもない。
同じように百合亜も困惑したように首をかしげている。
「ああ、いえ……西の方での流通が主流なので、帝都ではさほど出回っていないのかもしれない……ですね」
苦笑混じりに千蔵はそれを引っ込めた。
「差し出がましい話ではありますが、私は西園寺家への助力が出来る男だと……そう思い、見合いを申し込ませていただきました」
「な、なんと……もしや、我が家の状況を……」
オンボロな屋敷に住んでいて、住人の経済状況を知らない状態で見合いを申し込んだのであれば、リサーチ不足というほかない。
西園寺家の経済状況を把握した上での求婚だと思えない方が、どうかしているだろう。
というより、そこを期待していたくせに何を白々しい、と思ったらしい十祈はあきれ果てていた。
「私は家名に惹かれたのではありません。百合亜さん、あなたのお人柄です」
「はあ……」
と言われても、面識なんてあったかしら、と千蔵に手を握られた百合亜は困ったように頷いた。
「私はあなたのピアノを聴いたあの日、『あなた』だと確信したのです。ぜひ、私の伴侶にと……」
「え……」
それを聞いた百合亜の頬が赤く染まる。
――わたしのピアノを気に入ってくださったということなの、この殿方は?
正直、一目ぼれしました、などといったぼんやりとした殺し文句より、断然嬉しい。
自分の腕が認められた気がして、百合亜の気分は一気に高揚していた。
――芸術がお分かりになるのね、素晴らしいわ。
そんなわけで――
「わたし、この方と親しくさせていただきたいです」
数分後にはそう口にしていた。