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大衆食堂で最後の晩餐を楽しんでいた男は、突然何かの衝撃を受け、倒れ込んだ。
周囲の者たちが駆け寄るも、既に男の息は絶え、床には血だまりができていた。
――呆気ないものだな。あれだけのことをしでかしておいて無警戒とは。大したタマじゃない。やはり、ゴミがまっとうな人間の命を奪うことに憤りを感じるな。
レンガ造りの建物を背にした喪服を思わせるような黒い背広の男からは、微かな硝煙の香りが漂っていた。
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依頼人より指定されていたカフェを訪れたレオン・リーは、店内に流れる優美なピアノの音にはっとした。
座り心地のよさそうなソファが並ぶ、モダンな喫茶店の壁際に置かれたアップライトピアノ。
今まで音楽というものに感動を覚えたことはないが、美しい音色には心が洗われそうだ――と思うほどに感銘を受けた。
通された席に腰かけ、彼は興味を持った演奏者の方に視線を遣る。
――可憐だ……。
後ろ姿だが、艶やかな黒髪をアップにした、どことなく気品漂う二十歳をいくらか過ぎたくらいの若い女性だった。
「あの……うまくやっていただいたようで……」
少しばかり後れて入ってきた、よれたシャツに色あせたスラックスといったいでたちのくたびれた雰囲気の中年男が、レオンの元に訪れ、大きく頭を下げた。
可憐な女性のピアノ演奏を食い入るように見つめていたレオンは我に返り、中年男に向き直った。
「うまくもなにも……ターゲットは完全な素人だ。造作もない」
「ありがとうございます。軍警も私のような庶民が訴えたところで、本腰を入れた捜査をしてくれず……単なる事故死で片付けられてしまいましたから」
「役人が機能していないために、俺も仕事がやりやすいわけだがな……」
「それで……」
中年男性は震える手でよれた茶封筒を差し出した。
「――これだけ貰おうか。珈琲代には十分釣りがくる」
レオンは差し出された封筒から一枚札を抜き取ると、それを彼に戻した。
「え⁉ あ、いえ、大した額ではありませんが……それでも、頼子は報われたと思いますので……」
中年男性は封筒をひっこめようとはせず、再びレオンに差し出した。
「残りは娘さんに供える花代にでも宛ててくれ。それより、長々と話していては、妙な疑いを掛けられるだろう。俺は珈琲を飲み終えてから出る」
「あ、ありがとうございました。本当に」
いいから行ってくれ、と視線を送ったところで、中年男性は焦ったように姿を消した。
レオンが珈琲とサンドイッチ代程度の金額で請け負った仕事は『殺し』だ。
手間と必要経費(弾+銃の手入れ費)を考えると、赤字もいいところだった。
だが、時には裁かれることのない悪事が目に余ることがあり、安価で恨みを晴らしてやりたくなることがある。
割に合わない仕事であっても、自分の腕で報われると思う人間が居ることに価値を見出しているからだ。
注文した珈琲が運ばれたところで、再びレオンは美しいピアノ演奏に聞き入っていた。