第三十一話 司教たちの欲
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光の神を信奉するルス教は三人の預言者が残した福音書から様々な解釈が生まれている。どの預言者の教義に重きを置くかということも重要になるし、ルス教がアラゴン大陸に広まっていく中で、様々な宗派が生まれることになったのだ。
預言者ムサとイルの教義がほぼ同じものであるとしたムサ・イル派が台頭したのは半世紀ほど前のことになる。時の為政者と結び付き、為政者の都合が良いように戒律を捻じ曲げてきたムサ・イル派は多くの国々に政治利用されるようになり、宗教の力自体が国の奥深くにまで根を張ることになっていく。
そうして盤石な体制を整えたムサ・イル派は、帝国を迎え撃つという理由を掲げて強大な戦力を手に入れる。権力者が望むのは金と武力なのは太古の昔から変わりない事実であり、ムサ・イル派の枢機卿や司教たちは、己の欲望にとても忠実に出来ていた。
「ピエール・ニネ、貴様は私が居ない間に、よくもまあ、好き勝手なことをやってくれたものよ!」
「好き勝手とはどういうことでございましょうか?私は戒律に従って、イスベル妃の処刑の手配りをしただけのこと。正妃という立場でありながら、堂々と愛人を近衛として身近に侍らせる。神をも冒涜するような行為を行ったのはイスベル妃であり、妃殿下が愛人と共に罰を受けるのは当たり前のこと!」
ルイス・サンズ司教が王都を不在の間の責任者となっていたピエール・ニネ司教は、嘲笑うかのようにルイスを見つめながら言い出した。
「今までムサ・イル派を軽視し続けてきたアストゥリアス王家がようやく、至高の神の存在にお気付きになったのですよ。彼らだって死後に楽園に行きたいのは間違いのない事実。奴ら、焦ったように戒律に従って多くの罪人の処罰をしているので、神が全てをご存知だということにようやっと気が付いたのでしょう」
「戒律に従うのが悪い訳ではない。だがしかし、預言者ムサが残した戒律は今の世の中では厳しすぎるほどに厳しすぎるのだ」
そもそも、すべての人々を強引にでも正しき道に導こうと考えたムサの戒律は、時代と共に捻じ曲げられている。小さな罪で苛烈な罰が降るようにしたのも、自分たちに決して逆らわないように民の心を縛りつけるためのものであるし、民には厳しく、教会には甘い戒律は、古のものと比べてみれば似て非なるものになっている。
その平民向けの厳しい罰則を、貴族向けにアストゥリアス王国は適用しているのだ。それを望んでいるのは司教たちだと皆が思っているし、そう思うようにラミレス王が仕向けている。
「八人の貴族令嬢の片腕が切断されて、鉱山送りとなっているのだぞ?」
「あろうことか、王族の宝石を盗み出して私服を肥やしているような奴らなのです。戒律に従って罰しましたが、死刑となってもおかしくないもの。処分は甘すぎるほどでしょう」
「横領が発覚したことにより、両手を切断された者も多くいる」
「多くを盗んでいるのだから仕方がないではないですか?何かを盗むのであれば、盗みを行うその手が悪いのだと戒律で言われているのです」
ピエール・ニネは悪い人間ではないのだが、自分の頭で物事を考えることをしない人間だった。自分の下に置いて都合よく使う分には問題ないのだが、こと、彼が自分で何かしようとすると必ず問題が浮上する。
「イスベル妃が我らムサ・イル派を重用していたのは知っていましたよね?」
「はい」
「腕を切断された令嬢たちの実家や、横領で手を切られた者たちの家が、我がムサ・イル派に多額の寄付金をしていたのは知っていますよね?」
「はい」
「であるのなら、今まで多額の寄付をして来たのに、我らムサ・イル派が何故助けてはくれなかったのだとクレームが来ていることも理解出来ますよね?」
ピエールは呆れ果てた様子でルイスを見ると、
「神をもお認めになった戒律を守れない者など地獄に落ちてしまえば良いのです」
大きなため息を吐き出しながら言い出した。
「神は全てを見ているのです、悪しき行いをした者が罰を受けるのは当たり前のこと」
その悪いことをして横領した金の一部を、ムサ・イル派に流してくれたという事実がピエールの頭の中には浮かばない。信者が金を払うのは当たり前、多くの金を払えば神もお認めになり、死後には楽園へと招き入れてくれるのだ。
「金に良いも悪いもありません。仮令横領によって得た金を寄進したからとて、その金自体が悪に染まる訳ではありません。罰は罰として裁かれたとしても、神は全てを見ているのです。死後に楽園に行けるのだからそれで良いではありませんか?」
「そうではない、そうではないのだよ」
アストゥリアス王国の多くの貴族たちがムサ・イル派と手を切り、フィリカ派に帰依したいと考え始めている。今まで金を払うことによって厳しい戒律から免れてきたはずだったというのに、金を払っていたとしても、残酷なまでの処分を敢行されてしまうのだ。
隣国クレルモンはムサ・イル派が結婚にまで差し口を挟むことに嫌悪してフィリカ派へと宗旨替えを宣言することになったのだが、アストゥリアス王国では厳しすぎる処罰が理由で、宗旨替えへの動きが加速している。
北方二十カ国の使節団が、対帝国戦に向けてアストゥリアス王国に話し合いに来ているのだが、今のままでは『聖騎士団』の話は頓挫するかもしれない。
「キリアン、首尾はどうなっている?」
振り返ってルイス司教が問いかけると、黒髪黒目の魔法使いはソファに寝転がりながら言い出した。
「歓迎の宴は花の離宮で行われることになっているけれど、悪戯部屋は用意され、女を犯す気満々の男たちも集まっている。ことが明るみとなればパーティーどころではなくなるだろうな」
キリアンが生涯、足を引きずって歩くことを決定付けた憎き女を穢すために、集まった男が三十人近くにも登るというのだからかなり笑える話だった。自分の婚約に、
「はい、嘘です」
「嘘ですよね、それ?」
などと言われてミソを付けられた男は数多く存在する。
結婚する予定の相手からこっぴどく振られることになった男たちだけでなく、婚約という神がお認めになった契約を、自分勝手な考えの押し付けで破綻にまで導いた悪女を穢したいと望む、熱心なムサ・イル派の信者も含まれる。
それだけでなく、ペネロペの親の出世に嫉妬する輩もいれば、宰相補佐であるアンドレス・マルティネス卿との破談を目論む輩も集まるため、女ひとりを相手に行列となって自分の出番を待つことになる訳だから、
「ははははははっ!ざまあ!」
ソファに寝転がりながらキリアンは瞳を細めた。
「何でも、宗旨替えを促そうと、使徒ルーサーが王都に潜り込んでいるという情報まで入っている。歓迎の宴は早々に終わらせて、北方の使節団にはさっさと国に帰って貰わなければならないのだよ。宗旨替えが流行となってしまったら堪らない、打てる手は全て打たないと安心出来ない。キリアン、お前は離宮に潜り込むことは出来ないのか?」
「その問題の離宮には、多くのサラマンカの魔法使いが集められている。奴ら、死んだと思っていた僕が生きていたものだから血眼となって探しているし、僕が離宮に現れるものと考えて、罠を張って待ち構えているんだもの。とてもじゃないけど行けたものじゃないね」
その言葉を聞いて、ルイス司教は大きなため息を吐き出したのだった。
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