第二十六話 それはセラピー?
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「イタタタッ」
使徒ルーサーへの説明は無事に終わったものの、ペネロペは帰りの馬車の中で激しく痛む胃を押さえながらかがみ込み、脂汗をかくことになったのだ。
極度のストレスによる胃痙攣、侯爵家に常勤する治癒師曰く、
「胃痙攣や胃の炎症の急性期には右側臥位となり、閣下の魔法を利用して、患部を冷やした方が良いでしょう」
と、いうことになるらしい。
着替えを済ませたペネロペは、右側が下になるように横向きとなって寝転がる。食べ物を消化する胃は豆状に形が出来ているため、胃の痛みが激しい時などは、重力に従って胃が下にさがるようにするために、右側臥位となった方が楽になるらしい。
急性期にはとにかく冷やせと言われていて、肩の傷を冷やされ続けた経験があるペネロペは、今度は腹(胃)を冷やせと命じられたわけだ。
「ペネロペ、とにかく目を瞑って大きく息を吸うんだ」
人間、激しい痛みを抱えると筋肉が緊張して体全体が強張ってしまうのだ。
「大きく息を吸ったら、今度は長く長く吐き出して」
元軍人で英雄様であるアンドレスは、とにかく傷病者の扱いに長けている。
大きな手でお腹を抑えられながら、リラックスするように何度も深呼吸をしていると、不思議と胃が跳ね上がるような痛みが少しずつ治っていくように感じてくる。
重苦しく激しい痛みも、お腹に当てられた大きな手が患部を直接冷やしてくれることで、のたうち回るような苦しみが、次第に緩和する。
「ふーはーふーはー」
「そうそう、リラックス、力を抜いて」
「ふぐっ・・ううう」
ペネロペは思わず涙を流していた。
何で自分がこんな目に遭わなければならないのか、自分の人生を振り返ってみても、なんでこんなことになったのかが、ちっともよく分からない。
「ペネロペ・・泣くな・・ペネロペが泣くと、私は困る」
形の良い眉をハの字に下げたアンドレスが、ハンカチを取り出し、ペネロペの目元を拭いながら焦りの表情を浮かべている。
ちなみに、ペネロペはアンドレスの前で何度も泣いている。肩の傷が痛すぎて、何度も、何度もアンドレスの前で泣いていたので、一回泣こうが、十回泣こうが、彼女の中ではどうでも良いことになっている。
「私・・嘘が本当に嫌いなんです」
涙を拭かれながら、ペネロペは悔しそうに声を上げる。
「クソみたいな嘘が大嫌いなのに、世界をひっくり返すような大嘘に関わってしまった」
ペネロペは嘘が嫌いだ。
元婚約者であるフェレの嘘を暴いたペネロペは、多くの女子生徒から相談を受け、嘘や欺瞞を散々暴くことにもなったし、彼女たちが幸せになれるように、婚約を破棄や解消出来るように尽力してきたわけなのだ。
「君が嫌う嘘は、相手を尊重せず、裏切る行為に繋がるような嘘だろう?」
「はい・・」
「世の中には良い嘘、普通の嘘、悪い嘘と三種類あると言ったのは君自身じゃないか?君が嫌うのは悪い嘘であって、今日のアレは良い嘘に入るだろう?」
「アレって言わないでください」
アンドレスからハンカチを取り上げたペネロペは、自分の涙を拭いた末に盛大に鼻もかんで上質のハンカチをくちゃくちゃに丸め込んだ。
今、この寝室にはアンドレスとペネロペしか居ないし、侍女は外に控えているため、今日のアレの話をしても大丈夫なようになっている。
「過去には、解釈という名のもとに自分達の都合が良いように捻じ曲げてきた輩が居るわけだし、解釈違いによって生じる嘆きの声を、多くの古書の中から君は見つけて来たのだろう?」
「まあ、そうですけれど」
多くの人を救いたい、全ての人間に自由と平和を神は与えることを望んでいる。その神の望みを叶えるために、我々はどうすれば良いのだろうか?という出発点から始まる福音書は希望の光のようなものだった。
だがしかし、いつの時代の為政者も、自由と平和は限られた人間が傍受出来ればそれで良いと考えるし、多くの人間から搾取することだけを考える。教義を捻じ曲げたのは、何もムサ・イル派の司教だけに留まらない。過去には同じようなことが何度も繰り返されてきた歴史がある。
自分たちが進むにはどう進めば良いのか?多くの不幸な人々を救うためには、どう、教えを広めていけば良いのか。全ての人が安心出来るように、死後には楽園で慈悲深い神が待っているのだと教えを説けば救いとならないか?
楽園に行きたければ、私たちの言うことを聞かなければならない。私たちの言うことを聞かなければ一族郎党、最後の一人になるまで地獄へ落ちることになるだろう。
寄付の金額は神が与える慈悲と比例しているのです、多くの金は、あなたの信仰心の表れとなるのです。神は貴方の行いを見ているのです、だとするのなら、貴方は何をすれば良いのでしょうね?
「世の中は振り子のように出来ているのではないかと思うのだ。今、ムサ・イル派はこの世の春を傍受している。いや、己の欲を優先させて、世界を思いのままにしようとまで企んでいる。であるのなら、我々はその利己的な動きを止めなければならない」
アンドレスはペネロペの髪を優しく撫でながら言い出した。
「無名の使徒の手紙を私も読んだが、あれは魂の叫びのようなもので出来ていた。全ての人々に救済ではなく破滅を与えようとする輩が相手であれば、何の躊躇が必要か」
乗り上げるようにしてベッドの上にあがったアンドレスは、ペネロペを抱え込むようにして寝転がると、ペネロペの胃を冷やしながら優しく髪の毛を撫で続ける。
椅子に座ってそれを同時にやることは難しいけれど、後ろから抱き寄せるようにすれば可能となる動きなのだろう。
「これは・・ハンドセラピーなのでしょうか?」
手紙を仕上げるのは根気がいる作業だった為、ペネロペは心も体もへとへとの状態になっている。ひっくり返るような胃の痛みは七転八倒するようなもので、とても耐えられるようなものではなかったけれど、後ろからアンドレスに抱きしめられていると強張った体がほぐれていくような感覚に襲われる。
今回も自分の所為でペネロペが胃痙攣を起こすことになったのだ。(ペネロペはアンドレスが何とか調整をしさえすれば、今回の会談に同席することなど無かったのではないかと考えている)自分が碌でもない男ではないと証明する為なら、ペネロペの胃だって冷やすし、頭だって撫でるのだろう。
碌でもない男ではないと主張するために、何枚だってペネロペの涙と鼻水を拭うために高級ハンカチを提供するに違いない。
「自分が碌でもない男などではないと主張するために・・セラピーまで利用するなんて・・」
そんなことを呟きながらペネロペは眠ってしまったけれど、彼がペネロペを抱きしめながら頬にキスを落としていたことには気が付いていない。
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