第九話 それは困る
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「バルデム伯爵が帝国への移住を考えているだって?」
アストゥリアス王国の宰相ガスパール・ベドゥルナは、眼鏡を外して自分の眉間を指先で揉みながら、
「それは困る」
と、言い出した。
「鉱山経営に一家言持っているバルデム伯爵は、シドニア公爵麾下の貴族たちに恩を売って歩いている。シドニア公が治める地域一帯には鉱山が多いのだが、採掘の方法だとか鉱脈を探す特殊技術なんかは各自で隠匿しているような状態だったのだ。その為、鉱山開発が理由で家が立ち行かなくなるということが多かったものの、それを助けて回ったのがバルデム伯爵だったので、シドニア公なき後のまとめ役を伯爵に任せようと考えていたというのに・・」
宰相ガスパールは蛇のような目でじろりと目の前の部下を見上げながら言い出した。
「それが理由で、ペネロペ嬢が療養する部屋に自分の仕事を持ち込んでいるのか?正気の沙汰とは思えないのだがな?」
呆れ果てた様子の宰相を見下ろしながら、アンドレスは大きなため息を吐き出した。
「私の執務室の場所を探り当てたようで、ミシェル嬢が突撃訪問をするのです」
「なんだって?」
「機密文書もある部屋にクレルモン国王の姪を入れるわけにもいきません、私が移動したのは緊急避難に他ならず、職務を全うするための行為でもあるのです」
「うーーん」
クレルモン王国はいち早くムサ・イル派と決別をして、フィリカ派への宗旨替えを成功させた国である。その宗旨替えの原因となったのは、自殺したことになっている国王の姪であるミシェル嬢であり、その問題のミシェル嬢が本国で生きていると悟られることのないように、アストゥリアス王国に亡命をしているのだ。
南大陸と北大陸はアルボラン海峡を挟んでいるのだが、一番、南大陸に近い国が隣国ボルゴーニャ。ボルゴーニャの北に位置するのがアストゥリアス王国。アストゥリアス王国の北方からパラマイ山脈まで広がるのが二十の小国郡である。
今のままムサ・イル派の戒律に縛られるようなことになれば、対帝国戦では国民の最後の一人になるまで戦わなくてはならないことになるだろう。ムサ・イル派は他の宗教を許さない、異民族排除を謳うところがあるからだ。
ただし、預言者ルカの福音書に重きを置くフィリカ派に帰依すれば帝国との交渉も可能となり、自国が生き残るための落とし所というものが見つけやすくなる。だとしても、強大な戦力を持つ帝国を相手にするのなら、一国で対応するのはあまりにも分が悪すぎる。
出来るならアストゥリアス、クレルモン、北方二十カ国が同盟を組んで、帝国との交渉を進めるのが最良の策であり、二十二カ国が同盟を組むのに手っ取り早いのが、同盟国揃っての宗旨替えということになるのだろう。
何も光の神から帝国が信奉する火の神へと信じる神を変えろと言っているわけではないのだ。ルス教の中の宗派であるムサ・イルからフィリカへ替えるだけのことなのだから、それほど大きな抵抗があるとも思えない。
周辺諸国を巻き込んだ宗旨替えのタネを仕込むのはペネロペの役割であり、どうあっても今、ペネロペに帝国へ移動などされては困るのだ。
「あの大魔法使いキリアンが離宮へと侵入したのです。王宮で療養をしているからと言って決して安全とは言えない状況ですし、ペネロペに護衛が必要なのは確かなことです」
「その護衛に君自らが志願するのか」
氷の英雄が護衛につくというのだから、ペネロペの安全は確かなものとなるだろう。しかも二人は婚約者同士となっているため、男女二人が同室していたとしても大きな騒ぎとはならない。
「いや、ミシェル嬢は文句を言い出しそうだな」
隣国のリオンヌ公爵家に嫁ぎ、平民の愛人を溺愛する夫に無視されるような状態だったミシェルは、自分の死を利用して、公爵家及び伴侶である夫へ手酷い仕返しを行ったわけだ。その鮮やかなやり口を指南したのが、まだ十三歳のカルネッタ嬢だというのだから恐れ入る。
「何でもミシェル嬢はクレルモンの王弟パトリス殿の伝言を持って我が国に来たということなのだろう?であれば、バシュタール公爵家にミシェル嬢を引き取って貰おう」
海賊に襲われた時に助けられたということで、彼女はアンドレスに夢中になっているようなのだが、ガスパールとしても、わざわざペネロペと別れさせてまでミシェルとアンドレスを結婚させようとは思わない。
国王の姪として蝶よ花よと可愛がられて育てられたのだろうが、死亡扱いとなっているような娘である。ガスパールにとって彼女の価値はゼロ以下と言えるだろう。
「ペネロペが、私とミシェル嬢との関係を疑っているようなので、そうして頂ければ助かります」
「ミシェル嬢が王宮預かりから外れれば、君は自分の執務室へ戻るのだな?」
「さあ、それはどうでしょう?」
アンドレスは不適な笑みを浮かべながら言い出した。
「全てはペネロペ次第ではないでしょうか?」
「なんだって?」
「私は真面目で誠実な婚約者ですが、彼女は私を碌でもない奴だと思い込んでいるのです。良い機会ですから、彼女の考えを根本から変えていきたいと考えています」
ペネロペを囮にする作戦はガスパールも許可したものだが、まさか大魔法使いのキリアンが現れるとは思いもしなかったのだ。彼は確実に死んだはずだったのに、不死鳥の如く蘇ったのだ。
そんな彼を瀕死になりながら追い詰めたペネロペ嬢を、あの魔法使いが見逃すとは到底思えない。であるのなら、英雄をそば近くに置いた方がより安全なのは間違いないこと。
「それにしても、君の用意した手練れは一切の抵抗が出来なかった様子なのに、ペネロペ嬢はキリアン相手に一矢報いるとは素晴らしい」
ガスパールの言葉にアンドレスは大きなため息を吐き出した。
「おそらく水の魔法を使ったのでしょう」
「魔法が使えない状態だったのだろう?」
「襲撃者のうちの一人だけ、眼球が萎むような形で潰れていたのです。おそらくペネロペがやったのでしょう」
驚いた様子でガスパールは目を見開くと、くすくす笑いながら言い出した。
「君の婚約者は嘘も見抜けるし、可能性が無限大だな」
「はい、自分でもそう思います」
「逃がさないようにしないと」
「逃しません」
ガスパールはアンドレスが右手に持っている婚姻申請書をチラリと見ると、
「それ、承認欄にサインが必要なんだっけ?必要なようだったら今サインをするけど?」
と言って、アンドレスの方へ右手を差し出したのだった。
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