第九話 使徒ルーサー
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ムサ・イル派では神の教えを説く者のことを祭司、祭司たちを取りまとめる者のことを司教、司教たちを取りまとめる者のことを枢機卿としているのだが、フィリカ派では神の前では皆平等という精神を大切にしていることから、神の教えを説く者全てのことを使徒と呼んで、階級で呼び名を変えるようなことはしない。
半世紀ほど前からムサ・イル派が強大な力を持つようになり、フィリカ派は隅に追いやられたのだが、全ての民を等しく照らすという光の神の教えに従い、司教たちの救いの手から溢れた多くの人々の救済をフィリカ派は続けて、民の支持を集めているところでもあったのだ。
多くの権力者が、民は地べたを這いずり回る蟻のようなものであり、自分たちがより贅沢な生活を送るための道具であるとも考える。蟻が一匹死んだところで感傷なんて生まれないのと同じように、民が死んでも心など動かされない。
壊れたら取り替えれば良いし自分たちの慈悲により生かされているのだから、自分たちの都合に合わせて働けば良いだけの存在。例え過労で死んだとしても、病を患って死んだとしても、だからどうなんだという話になる。
時には権力者に反発する勢力も出てくるだろう。その勢力を押し潰すために、ムサ・イル派の掲げる教義は非常に都合が良い。何せ神の名を出しさえすれば、大概の人間は自分たちの心の中にある反発する気持ちに罪悪感を持つようになるのだから。
「光の神は等しく全てを照らしている」
だからこそ、全ての人には生きるための権利も、自由になる権利もあるはずなのだ。多くの使徒たちが人々を救済するために歩き回り、手を伸ばし、そうして己の無力さを実感して落胆していく中で、ルーサーも今まで何度絶望したか分からない。
それでも多くの人々を救うため、ただただ地道な活動を続けているうちに、その類まれなる魔法の力も評価されることになって、フィリカ派の頂点に君臨することになったのだ。そこでルーサーに奇跡が訪れた。
アストゥリアス王国を訪問した際に、失われたイルの福音書と聖人アーロの手紙がルーサーの手元に差し出されることとなったのだ。
三人の預言者たちの教義が時代の変化と共に解釈が変えられ、大きく意図を外れる行いが続いたのは歴史にも刻まれた事実ではあるのだが、ムサ・イル派が台頭するようになってからというもの、預言者イルの福音書がこの世界から抹消されていくことになったのだ。
目の前の福音書には、預言者イルが戒律を重んじることなく、人々の自由と平和を謳われていた。イルはムサと同じく戒律を重んじる、同じ思想を唱える預言者だと言われているが、それはムサ・イル派の司教たちが作り出した嘘に他ならず、イルの福音書は真実を照らし出す光のようなものとなった。
預言者イルの尊い思想を排除しようとする動きに危機感を感じた聖人アーロが魂の慟哭とも呼べる内容の手紙を残しているそうなのだが、このアーロの手紙は偽造となる。
無名の使徒が残した手紙をベースに作られたアーロの手紙を使って、新聞社に喧伝し、司教たちの悪行をまずは明るみにするとラミレス王が言い出した時に、
「いいえ、手紙の偽造などしなくても、この修復がされたイルの福音書があるだけで、世の中は大きく変わることでしょう」
と、ルーサーは告げていた。
ムサ・イル派には強欲な司教たちが大多数を占めることになるけれど、中には人々を救済すること、全てを照らす光の神に仕え、多くの人々の助けになればと心から願って働く聖職者もいる。
理想と現実のギャップに苦しむムサ・イル派の聖職者は多く、神の御名の元に搾取されていく人々の悲劇を目の当たりにして、自身の無力感に打ち震えている聖職者もまた数多く存在する。
その人たちにイルの真実を伝え、今まで神に背き続けてきた者は誰なのかを明らかにする。ルーサーはアラゴン大陸中に手紙を送り、本当は誰が悪いのか、真実を明らかにした上で糾弾を始めることにしたのだった。
先見の明がある国主たちのおかげで、アラゴン西方は駒をひっくり返すような形でフィリカ派への帰依が決まった。ならばアラゴン中央から東方にかけてムサ・イル派を排除し、己の権力を拡大するために計画された聖騎士団結成を頓挫させる。
彼らは『聖戦』を吹っかけてくるだろうから、宗教の力でそれをねじ伏せていく。そうするには司教たちの悪行の暴露を国内ではなく国外から仕掛けていく形が良いだろう。
ルーサーはムサ・イル派が積み上げた悪事を頭の中で思い描きながら、何処から突いて行こうかと考えていると、
「ルーサー様、このような時間ですが、至急お目通りをしたいと言ってバルデム卿がいらっしゃったのですが、どういたしましょうか?」
使徒の一人が、ルーサーが居る部屋に声を掛けてきたのだった。
バルデム卿は広い視野を持つ人であり、フィリカ派だからと差別することがない珍しい貴族でもあったのだ。彼の支援のお陰で、どれだけの人間が助かったのかを考えると、夜中だからと言って無碍に扱って良い人ではない。
「わかった、すぐにお会い致しましょう」
最高位の法衣を身に纏ったルーサーがセブリアン・バルデムを出迎えると、セブリアンに付き添うようにして立っていた少年が、開口一番に言い出した。
「ルーサー様、光の神の慈悲に縋りこのような時間に訪問したことを深くお詫び申し上げます。私はカサス侯爵が嫡男、ジョルディ・カサスと申します」
まだ12歳か、13歳か、それくらいの年齢の少年は辞儀をすると、早速、本題を口にした。
「ムサ・イル派の司教たちは、アストゥリアス王国の第一王位継承者だったアドルフォ王子に女を媒介として強い呪いをかけました。王家の種を絶たせる為に、己の欲を満たすために、アストゥリアスの鉱山を我が物とする為に、彼らは婚約、結婚、だけに限らず、呪いを使って王家の血まで操作しようとしたのです」
呪いはこの世に存在する。
呪いの成就の為には無辜の民の命を何百と犠牲にしなければならず、ルス教では絶対に行ってはならない神にも背く行いとして、厳しく禁止されているのだ。
「アドルフォ王子は病が進行する薬を飲まされて廃人となったと話には聞いておりますが」
「その病が進行する薬ってなんなんでしょうか?」
ジョルディはその紅玉の瞳をルーサーに向けながら言い出した。
「女を媒介にして移る病に進行させる薬は世界中、何処を探してもないのですよ」
ジョルディの隣に立つずんぐりむっくりの体型のセブリアンが、ジョルディの不敬とも言える態度とその発言に挙動不審となっている。
「親族だから僕の言いたいことはすでにご理解出来ていますよね?帝国と我がカサス家の血を引く、古代魔術に長けた貴方なら呪いの解除が可能だと。そして、司教たちが王子にかけた呪いを解いたと喧伝すれば、ムサ・イル派を追い込む一矢になるということも、戦争を回避する大きな一手になるということにも、貴方はもちろん気がついていますよね?」
緋色の瞳を細めたルーサーは、頭の中を回転させていく。
確かにルーサーにはカサス侯爵家の血が流れている。かつて、カサス家に嫁いだ帝国貴族はルーサーの曽祖母であるし、帝国とカサスの血を併せ持っているからこそ、古代の魔法や魔術が得意でもある。
一時期は魔法王国サラマンカの魔法の塔にも出入りしていたのだが、民の救済のために出家してフィリカの使徒となり、今の地位まで登り詰めたのは、カサスと帝国の血をもつ特殊な力を有しているからこそなのだ。
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