仮面舞踏会
実在の娼婦とフランス王妃の話です。
ピンクのわっかのドレスに宝石をちりばめられたティアラ、ダイアモンドのネックレス。
目の前にいるあたいとそっくりのあの娘はそんな姿をしていた。
あたいの名前はマリー・ニコル。マリー・ニコル・ドゥ・オリバ。あたいはパリの下町で産まれた。家が貧しく兄弟は10人いた。長女だった私は10才になると働きに出された。料理屋の皿洗い、マッチ売り、窓拭き、何でもやった。
あの娘と会ったのは14才の時。あの娘は隣国からやってきた。ガラスの馬車に乗って。
白いドレスにヴェール、手には可愛らしい女の子の人形が握られていた。
人々は皆あの娘に夢中。あの娘はオーストリアからフランスへと嫁いできたプリンセス。あたいと同い年だ。
「ねえ、お姫様姉さんに似てない?」
妹の一言だった。
16才になるとあたいは娼館で働き始めた。オーストリアから来たプリンセスにそっくりな娘がいるという噂を聞いてお客さんが夜毎やって来ました。
と言っても皆街の商人や苦学生といった平民ばかりどんなに客を取っても贅沢は望めませんでした。
「皇太子妃様がパリのオペラ座の仮面舞踏会に現れたそうだぜ。」
客の学生があたいにそんな話を切り出します。皇太子妃様とはあたいにそっくりなあの娘のことです。
仮面舞踏会とは趣向を凝らした貴族の舞踏会で仮面を付けて出席します。お互いの顔が分からないのです。
「皇太子妃様って仮面付けてるのになんで分かったの?」
「なんでもスウェーデンから来た留学生が仮面を外したらそれがお忍びで来てた皇太子妃様で騒ぎになったそうだ。」
(皇太子妃、舞踏会。)
その言葉で馬車に乗ってやってきたあの娘の姿が脳裏に蘇ってきました。
「ねえ、仮面を付けてれば誰か分からないのよね?あたいも行けるかな?」
「無理だろう。俺達平民じゃ着てく服も仮面も買えないし、ダンスを習う金だってない。あんなとこ行けるのは貴族だけだ。」
あたいはなんだか悲しくなりました。
そっくりな顔、同じ名前、同じ年。なのにかたやプリンセス、かたや娼婦です。
(あの娘が羨ましい。あの娘になりたい。)
そう思ってしまいますがどうにもなりません。
娼婦の仕事を始めて6年が経ちました。あたいのところに身なりの紳士が訪れました。貴族でしょう。
「マリー・ニコル嬢ですね?」
「はい。貴女を買いたいという方がいます。一緒に来て下さいますか?」
あたいが連れて来られたのはベルサイユ宮殿でした。
「これを被って下さい。」
あたいは馬車を降りると帽子を深く被らされます。
「メルシー伯爵、この娘かしら?」
可愛らしい女性の声がしました。
「はい、左様でございます。」
「では帽子を取って下さるかしら?」
貴族の男は失礼致しますと言って帽子を外します。
(鏡?!)
あたいの目の前にはあの娘がいました。
ピンクのわっかのドレスに宝石をちりばめたティアラ、ダイアモンドのネックレス。
それが目の前にいるあたいとそっくりのあの娘の姿でした。
「貴女がマリー・ニコルさんかしら?」
「はっはい。王妃様。」
あの娘は皇太子妃から王妃になってまいました。
「うふふ、そんなに緊張ならさなくてもい
いわ。」
あたいを買いたいのはあの娘、いえ王妃様でした。あたいは水色のわっかのドレスを着せてもらい、髪を結ってもらい、ティアラを頭上に乗せられます。首元にはサファイアのネックレスをつけます。
その代わり王妃様はあたいが今まで着ていた黄色いワンピースを着ています。
「王妃様?」
「ニコルさん、貴女が王妃よ。」
王妃様があたいを買いたいのは本来の用途とは別にあったようです。
「わたくしはどうしても会いたい人がいるの。だから今日と明日わたくしの振りをしてほしいの。お礼は弾むわ。」
宮殿の暮らしはしてみたかったし、王妃様のドレスは気に入っていました。
「あたい、やります。」
「あたいではなくわたくしよ。」
「はい、わたくしやりますわ。」
今日と明日だけあたい、いえわたくしは王妃になりました。ドレスで歩くのは思ったより大変で思うように動けません。メルシー伯爵に手を引かれながらなんとか歩きます。
夕食の席では見たこともない高級料理が出されました。
食器の使い方もよく分かりませんでしたがメルシー伯爵が隣で教えてくれました。
翌日は貴族達との謁見や昼食会、聖堂院の訪問と予定が入っておりましたがなんとかこなしました。
しかし王妃様は帰ってきません。次の日もその次の日も。
「ねえ、お聞きになって?」
貴婦人達とバルコニーでお茶を楽しんでる時です。
「先日までベルサイユに顔を出していたスウェーデンの伯爵、帰られたそうですわ。」
「ええ、確か結婚したとか。それもパリの街娘と。」
「わたくし、新聞で見ましたわ。マリー・ニコルとかいうそうね。王妃様にそっくりでしたわ。」
夫人の1人が新聞の切り抜きを見せてくれる。
(あたい?!)
あの娘でした。あの娘はあたいと入れ替わるとこの伯爵と駆け落ちしたのです。
ある昼下がりメルシー伯爵が部屋にやってきました。
「ニコルさん。」
「ニコルではありません、王妃ですわ。」
「これは失礼致しました。王妃様。王妃様、あの娘が大変なことを。あの娘は昔から手がかかる娘でして。」
メルシー伯爵はあの娘と一緒にオーストリアからやって来たのです。
「学問が嫌いで家庭教師の先生が来るとメイドの少女や人形を替え玉にして外に抜け出して庭で遊んでいたりと。母君である女帝もそうとう手がやいていたそうです。」
「うふふ、」
あの娘の子供時代の話に笑いが出てしまいます。
「まだ恋をした事のない少女でオーストリアとフランスの戦争を終結させるために嫁いだのです。いわば政略結婚です。」
王族も案外自由がないのでしょう。
「とはいえ、貴女にこんなことをさせて申し訳ないとは思ってます。」
「いえ、メルシー伯爵。あなたが謝ることではありませんわ。それにわたくしはやるべき仕事をしているだけです。王妃の地位という報酬を頂いて。」
ベルサイユ宮殿の生活は想像以上に厳しい。しきたりや決まり事、礼儀作法。覚えることは山ほどある。だけど
「わたくしは今の生活は好きですわ。娼婦をしていた頃王妃様が仮面舞踏会に行かれたと聞いて羨ましく思いましたもの。今は王妃という仮面を被ってるようです。それにいつも助けてくれるメルシー伯爵もいますわ。」
「あの娘にとって王妃の仮面は重かったのでしょう。」
その時
「失礼致します。王妃様、今夜の舞踏会のドレスにお召しかえする時間です。」
侍女がやってきました。
「今日でしたのね。さあ準備しましょう。」
メルシー伯爵が退出するとピンクのドレスに着替えます。
「王妃よ、行こう。」
「はい、陛下。」
わたくしは国王陛下に手を取られ貴族や貴婦人の待つ広間へと向かいます。「王妃」という名の仮面をつけて。
FIN